君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

10年目の優馬担が今思うこと

中山優馬くん、24歳のお誕生日おめでとうございました。

ドラマ「バッテリー」で初めて優馬くんを見て、強烈な存在感に惹かれてから10年。
あのとき14歳の中学生だった優馬くんも、もう24歳。その10年間も、私は脇目も振らずに優馬担を続けていた。
10年って長いようであっという間で、でも一度も気持ちが途切れることがないまま一緒に歩いてこれた気がしている。
色んなことがあったけど、ひとつひとつ確実にこの世界に形を残していく優馬くんを応援することは楽しかった。優馬くんが着実に成長してることが手に取るように分かるのが嬉しかった。

でも少し。欲張りになってたのかもしれないなあと思って。
個人的な事なんですが、高校生までは現場に行かずにテレビやDVDでしか応援していなかったので、大学生になって関西に住むようになってから、行き始めた現場が楽しくて楽しくて。大学生になってから決まった現場は、ぜんぶ足を運んでいた。
それがすごくすごく特別なこと、すごくすごく恵まれていること、分かってたつもりだったし、忘れるわけないと思ってた。
だけど。いつからか現場に行くことが当たり前になって、行けない現場があることが考えられなくなっていた。
今回、SHOCKが1枚も当たらなかったことでそのことに気づきました。
現場に行けるって本当にありがたくて貴重なことなんだって改めて感じた10年目の始まりだった。
そんなわけで、2016年から心待ちにしていた「曇天に笑う」の完成披露試写会にも、優馬くんが憧れ続け、やっと出演の夢を叶えたSHOCKにもお呼ばれせず、なんとも言えない10年目の始まりを迎えてるわけなのですが。

いつもなら。前のわたしなら。
もしかしたらしょうがない、こういう時もあると踏ん切りを付けられたのかもしれない。
でも「曇天に笑う」も「SHOCK」も本当に楽しみにしてた仕事だから、何にも行けないと思ったら謎の倦怠感に襲われ、しかもSHOCKのチケットでさえ定価で取引されていないという環境を知り、さらにそれが新規の人達だと思われているような素振りもあって、なんだかもう「どうでもいい」と思い始めてしまったら最後でした。
あんなに行きたかったSHOCKなのに、何も見たくなくなってしまった。
急に馬鹿らしくなってしまった。
小さいことかもしれないし、その時の私の心が弱かっただけかもしれない。
でも公式に決められた価値をねじ曲げて交換や譲りに出されるチケットを見てると、行きたい人が行けない現実に疲れてしまったり、それに関してはSHOCK自体も、優馬くん自体も何も悪くないのにもうその事柄さえも嫌になってしまう。
しょうがない、ただ私に運がなかっただけ、そう割り切れたら楽なのに、どうしてもそう思えない自分がいて。
なんかもう、色々と疲れてしまった。
ほかの人から見たらそんな事でと思ってしまう事かもしれないけど。いや、だって私もビックリしたし、こんなにモチベーションが下がると思ってなかった。
そんな現実があることも嫌という程知っていたし、なんなら優馬くんの現場に行けない事には慣れていたはずだったから。
でも、そう思い始めたらもうどうしようもなかった。

正直に言うと、今もモチベーションは回復していません。
何も考えたくない。SHOCKにはもちろん行ってみたいけど、チケットを探すのが億劫でしょうがない。
曇天に笑うは試写会にはいけなくても、かろうじて映画は見れるので楽しみだけど、でもまだムビチケすら買ってない。
4月にあるオペラは、もはや義務のように申し込みをしたけど、東京まで行かなきゃいけないんだとかいろいろ考えると、心のどこかで当たったらどうしようと思う自分がいて。
そして実際にチケットが当たったときは、マジで当たっちゃった…とちょっと複雑だった。重い体を引きずってなんとかギリギリで振り込みをしたときはとんでもない虚無感があって、なんかもう悲しくなった。
もうここまでくるとどうしたらモチベーションが上がるのかすらわからない。完全に迷子です。
この状態に自分が一番びっくりしてる。
今まで10年間、優馬担をしていてこんなことなかったから。こんなに疲れたと思うことも、楽しくないと思うことも初めてだから。
同時に今までが恵まれていたんだなって。10年間ずっと楽しませてくれた優馬くんってすごいなって、もうようくわからないこと考え始めたりして(苦笑)
この10年間ずっと変わらないテンションで好きだったし、なんなら年々優馬くんのこと好きだなって思えていた。
でもたぶん今、ずっと同じ場所で立ち止まっている。優馬担をしていて初めて、前が見えなくて戸惑っている。
こんなことってあるんだなって。こんな未来ぜんっぜん想像してなかったな、ってちょっと呆然としてるなう。
今までがめちゃくちゃ楽しいヲタクライフを送れていた分、こんなスピードで急に何もかも楽しくなくなったら、もはや怖いよ。

でもね。これからどうしようか考えたとき。
10年もね、優馬担してたらさ、もはやアイデンティティーになってしまってるわけですよ。優馬くんを応援することは私を構成する一部になっちゃってるわけですよ。
そりゃ10年も続けりゃそうなるよね。
だからね、怖いんですよ。そのアイデンティティーを失うことが。
優馬くんを応援しない自分って想像ができない。こんなに疲れてるしめんどくさいとも思ってるのに、優馬くんがいない生活が考えられない。
でも今優馬くんをみても何も思わない。もうね、延々ループですよ。何にも解決しない。
ただこうやって考えてみると、私にとって優馬くんって相当大きい存在なんだなって。なんかもうたぶん好きすぎて、好きだってことを忘れている。
好きなことが当たり前すぎてどこか好きとか何が好きとかすっ飛ばしていて、もはや好きとか嫌いとかいう次元じゃない。
だからね、何が悲しいって今こんな状態になっているのが優馬くんのせいじゃないっていうことが一番悲しい。
優馬くん自体に何か嫌なところがあったわけでもない。スキャンダルがあったわけでも、逮捕されたわけでもない、なんの問題もない。
ただ自分の問題で嫌になってるだけなのに、いつもなら大したことない、しょーもないって笑い飛ばせてることかもしれないのに。
今だって優馬くんは世界で一番カッコいいし、宇宙で一番素敵だと思ってる。
なのに、どうしてもあがらないモチベーションと自分にイライラしたりして。
何をどうしたらいいのか、どうすれば一番いいのか何も見つけられなくて、もはや優馬くん自体に興味がなくなったら楽なのにっていうたぶん究極のところにたどり着いたりして。
ええ、きっと今優馬担の中で一番精神状態がよくないのは私です(笑)
なんでこうなってるのか自分でもよくわからない。自分でも自分のことがわかりません。
もうわからな過ぎて、えーい!考えるのやーめた!って逃げてるのが今の状況です。
いやいやヲタクなんてたかが趣味だしと思う自分と、いいやされど趣味だしヲタクの10年舐めんなよって思う自分が交互にいます。
からの優馬くんに会えばなにか分かるかな、現場に行けば戻れるかもしれない、いやそもそもチケットないやーん!を永遠に繰り返しています。一人コント。

ここからは完全に余談なんだけど、自分でも怖いのがさ、ヲタクしぶといなって思うのがさ、そんな中でも違う趣味を見つけちゃうことで。
ただいまヲタクに疲れていたところを笑わせてくれた、若手芸人にドハマりしてよしもと漫才劇場に通い詰めてます。ちなみにミキっていうコンビです。
怖い。めっっっっっちゃ怖ない????自分のしぶとさとしたたかさに、もはや笑ってしまう。
でも何も考えたくない、しんどいなーって思ってた時に何も考えずに笑える時間があるのってめちゃくちゃ落ち着くねん…。
そっから芋づる方式で好きな芸人さんが増えて、気づいたら手元にチケットがあるんです…。
トット、和牛、アキナ、アインシュタインさや香霜降り明星銀シャリ…気づいたら動画サイトで勝手にネタ再生しだしてるんです。
そして好きになる人たちみんな見事に大阪の芸人だから、生で見たいと思ったらサクッと劇場に行けることを知ったらもう最後なんです。
こういう自分のミーハーさと無駄に行動派なところもっと違うところで活かせたらいいのになって本気で思ってる。
気づいたら少クラの毎週録画を辞め、Mステの毎週録画も辞め、バツウケテイナーを録画しはじめ、M-1の敗者復活と本戦を毎日の様に見返す日々なんです。年末なんてネタ見せ番組とバラエティーが死ぬほどいっぱいあってHDDパンパンだった。
今年何年かぶりにクリスマス前のMステも、紅白歌合戦も見なかった。なんならジャニーズカウントダウンもほとんど見なかった。いや〜見なくても生きていけるもんだなあってこういう時に気づくよね。

まあこんな感じで、今はこうやって違うことに労力を使う生活を送ってるわけなんですけども。これが一番楽しい。
何も考えたくないし、考えても答えが出ないし、時間が解決することもあるかもしれないなってぼんやり考えてたりします。
もしかしたら3日後にはケロっと優馬担してるかもしれないし、結局距離を置く事になるかもしれない。
なんであんなしょーもないことで悩んでたんだろうって我に返るかもしれないし、芸人の方が面白い!!!!ってなるかもしれない。
もうそれは神のみぞ知るです。ただひとつ言えるのはSHOCKだけはいかないと絶対後悔するぞ、っていう気持ちだけはある。
一緒にずっと優馬くんを見守ってきた母には帝国劇場でライバル役する優馬くんを見せてあげたい気持ちだけはめっちゃある。
だから億劫な気持ち振り切ってチケット探すこともあるかもしれない。これだけは義務だと思い込んで、考えるな燃えろ!って腰をあげるかもしれない。
きっとそうやって頑張って探して、SHOCKの優馬くんを見たら、すぐに正気に戻ると思う。それは分かってんねん。
それが一番の近道ってことはなんとなくわかってんねん。それでやっぱり優馬くんやな~!でチャンチャンのオチが一番手っ取り早いことは分かってんねん。
ただ……!!!!!チケットを探すのがめんどくさい!!この葛藤と闘わなければならない!!
でもまだ曇天なら希望があるかもしれない。片っ端から応募したらひとつだけでも当たらないかな…それで福士くんと並んでる優馬くんみたら一発で幸せになんねん。分かってんねん。
ただ……!!!!!当たる確率が低い!!私は今年末吉を引いた!!
だからもうどうなるかわかりません。もうそれでいいかなって思ってる。
どうにかなる。どうにでもなれ。そんな感じです。
SHOCKのチケット空から降ってこないかなァ~~~。
曇天の試写会のチケット住所間違えて送られてこないかなァ~~~。
そんな感じです。

ヲタクなんて本気でするもんじゃないなーってこうなって改めてめっちゃ思います。これを機にいい距離感とか、自分の気持ちに蹴りを付ける方法とかを見つけたいなとも思う。
そういう意味ではいい機会なのかもしれません。
まあ、どう転がっても優馬くんのことは大好きです。細々と続けることになっても、距離を置いて若手芸人の沼にズブズブハマることになっても、どうなっても優馬くんのことが好きな気持ちは変わりません。
もういまはそれだけで十分。私が辞めようが続けようが、優馬くんは立派にライバルをやり遂げるだろうし、これからもドラマや映画や舞台で活躍するだろう。それが私の大好きな優馬くんだし。
とにかくどうなっても、優馬くんにはキラキラしてまぶしい未来が待ってることだけは願い続けます。
ついでに私も。
ちゃっかり優馬担やり続けて、このブログ読み返したときこんなことあったわーって笑い話に出来てることを願います。

夢の舞台「Endless SHOCK」

優馬くんにしては、珍しく報告があるから待っててねと告知をしていたから相当なお仕事だろうとは思っていた。
蓋を開けてみれば、納得しちゃうお報せで。
というわけで改めて優馬くん、
「Endless SHOCK」出演おめでとうございます。
ずっと欠かさず足を運び、DVDも買い、座長に出演を懇願していた優馬くんにこんな現実が待ってるなんてなあ。
制作発表のあんなに嬉しそうにキラキラした顔の優馬くんを見たら、良かったね以外の感情が芽生えてこない。大丈夫かなあとか心配とかぜんぶ置き去りにして、良かったねが先に来るお仕事なんて幸せだよね。
ずっといつかライバル役が見てみたいなとは思っていたけど、長い間屋良くんと内くんが務めていたし、イメージが固定されているのもあって、難しいのかなと夢物語みたいに思っていた。
だからいざこの日を迎えると、本当に信じられないようなフワフワした気持ちだった。

正直、不安や心配がないといえば嘘になる。
Endless SHOCKと言ったら、ジャニーズ舞台の金字塔でもあり、ストイックにエンターテイメントを突き詰めた作品だと誰もが認めている。
そんな作品に携わるだけでなく、ライバル役という大事なポジションを務めるのは簡単なことではない。
きっと想像を超えた大変さがあるし、出たい出たいと言っていた時とは違う現実があると思う。
しかも今までライバルを務めてきた屋良くんと内くんは、長い間ライバル役をしていた分、安定したものがあるだろう。それを踏まえた上でステージに立つことを考えると、優馬くんにかかるプレッシャーは計り知れない。
そういうことを言い出したら本当にキリがないくらいたくさんある。

でも、2017年の優馬くんは、主演舞台を二つこなし、海老蔵さんと共演した舞台で歌舞伎に挑戦し、大竹しのぶさんとも共演している。そんな大きな舞台で俳優として経験とスキルを積んで、着実にステップアップしてきた優馬くんを見てるから、不安ももちろんあったけど、同じくらい優馬くんならやってくれるんじゃないかっていう期待もあって。
このために今年こんなにたくさんの舞台に出演したんじゃないかとすら思えてきた。
さっきは信じられないような、フワフワした気持ちだって言ったけど、同じくらいワクワクして見たことのない新しい優馬くんを、ライバルを、見せてくれるっていう確信も持っていた。
それは、優馬くんが今までのことをひとつも無駄にしない人だって知ってるから。今までの優馬くんが表現してきたものに物足りなさや不満を感じたことは一回もないし、行って後悔した現場もないから。
これだけは自信を持って言える。
否定的な声もあるだろうし、不満な人もいるだろう。
それでも少なくとも私は、優馬くんを信頼している。
それは全部、今までの優馬くんが積み上げてきた信頼だ。
ファンなんだから当たり前だと言われればそれまでなんだけど、それでもそう信じている。

だから、優馬くんが見せてくれる新しい世界が楽しみです。
優馬くんの初Endless SHOCK。そして私にとっても初SHOCK。
優馬くんがくれた、ジャニオタなら1度は見ておくべき舞台「Endless SHOCK」を見るチャンスを、この際だから全力で楽しみたいと思います。
(だからチケットください。神様、おねがいします。)

あなたは何処でも行ける あなたは何にでもなれる

ミュージカル「にんじん」を観ました。
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物語は、
とあるフランスの片田舎にある、小さな村の家族のお話。
「ルピック家」は少し変わっている。
傲慢でヒステリックな母親と、家庭に無関心の父親
そして可愛がられて育った長女のエルネスティーヌと、甘やかされて育った長男のフェリックス、末っ子でひねくれたフランソワの5人家族。
でも、フランソワだけ少し違う。真っ赤な髪で、そばかすだらけの子ども。みんなから「にんじん」と呼ばれ、蔑まれている可哀想な子ども。
母親もにんじんにだけは厳しくし、辛く当たります。
フェリックスはそれを冷やかし、エルネスティーヌは同情するだけ、父親も見て見ぬ振りです。
普通なら、楽しいひと時である夕食の一家団欒も、どこかピリピリしていてまったく楽しそうではありません。
そんないびつな「ルピック家」のおはなし。

といった感じ。

でも実は、私は観ていてルピック家のことを理解できないとは思わなかった。
確かに「愛情」は他の家庭より欠落しているし、そのほんの少しの愛情もみんなそれぞれ表に出すのが下手くそだ。
ルピック夫人は自分に似ているにんじんのことを理解しながらも傷付けてしまうし、にんじんも人の嫌がる悪戯で気を引こうとしているし、エルネスティーヌも実はよく家族のことを見ているのに何も言わずに息をひそめているし、フェリックスは誰よりも人の気持ちに敏いから、自分より愛されているにんじんに不満をぶつけ発散しているし、ルピックさんだって愛したいと思っているのに戦争に負け名前だけを背負ったことを窮屈に思っているし、ひとりひとりに確かに「愛情」に対する気持ちが存在するのに、誰一人それを言葉にしたり行動に移したりしない。
きっと彼らにとっては、それは悲しいことで悲劇なのだろうけど、見ている側からするとそれは少し滑稽で、全然交差しない愛情にちょっと笑えたりする。
「普通に好きだよって言えばいいのに」「抱きしめればいいだけなのに」と、どうして簡単なことが出来ないんだ、何に悩んでいるんだって思えたりもする。
でも、家族ってこういうところあるよなと思った。
どんな家庭にも、こういう「歪み」だったりが存在するし「不器用さ」とか「弱さ」があると思う。
そういう家族の問題って、端からみると簡単なことだったり、笑い飛ばせることだったりするし、逆にものすごく重かったり、難しかったりもする。
本人達にしか苦しみや悲しみは分からないし、家族の数だけそれぞれの幸せや悲劇がある。
そしてそれは本人たち同士でしか分かり会えない、他人には理解できない不可侵のものでもある。
ただどこも同じなのは、「家族」って楽しくて幸せな空間だけじゃなくて、どこの家庭でも誰でも憂鬱で辛い時があるってことで。
そういう意味でもルピック家は、一見いびつだけど実はすごく普遍的な家族の姿を映し出しているような気がして、なんだか他人事のように思えませんでした。
それと、家族の在り方って本人達の問題だけではなく、時代だったり風習だったり、地域との繋がりからも形成されるものでもあるなと、敗戦国であるという精神的屈辱を背負っていることや、落ちぶれたルピック家と裏で言われてる事や、にんじんが自殺することを嫌がり世間体を気にする父親を見て思った。

また、子どもには罪はないよなあと改めて思いもしました。
きっと「ルピック家」のような家庭って割とよくあって、同じような家庭で育った子もいっぱいいるだろうと思う。
でもにんじん(子ども)にとっては、その家庭が「世界のすべて」で。そこから必要とされなければ「僕はいらない」「世界中でひとりぼっちの寂しい僕」だと思ってしまう。家族からの愛だけがすべてではないのに。アンリやマチルドからも愛されているのに。
子どもにとっては「僕だけ扱いが違う」という事実しか読み取れなくて、その奥にある愛情にまで幼い思考ではたどり着けない。
だからひねくれたり、意地汚くはしゃいでみたりする。
そしてこんな世界に嘆いて、バケツに顔を突っ込んだり、ロープに首をかけようとしたり…。
そんなにんじんを見てると、子どもの狭くて小さな世界は、大人が簡単に支配出来てしまうものなんだなあと思った。
そこがすごく残酷で現実的で、強欲な「大人」って嫌だなあと思った物語でもありました。
でもいつかきっと、もっと大きくなって世界が広がったらにんじんは気づく。僕と同じような子もいたんだ、あの時もひとりじゃなかったんだ、って。世界は意外とひとりぼっちになんてしないんだと。
はやくそういう時が来ればいいのになと思いました。
「昨日までの独りじゃない、自分で選んだ独りなんだ」と歌いながら寄宿舎に帰ったにんじんだったら、きっとすぐに気づくと思っています。

この物語はこうやって、子どもの目線で描かれた世界なのだろうと思うのですが、もしかしたら見る人の立場で全然印象が変わるのかもしれません。
私自身は20歳をやっと超えたばかりなのですが、やはりまだにんじんやフェリックスの気持ちが分かるし、同じ目線に立ってしまう時が多かったです。
でも歪んだ家庭に生まれ、意地悪されながらも、ひとりであることを乗り越えそして受け入れて強く歩き出したにんじんのことは、もしかしたらこどもの方がよっぽど大人より生きる力の備わった強い人なのかもしれないと羨ましく思う時もあって。きっと私はまだ大人になりきれてないんだなあと気付いたりもしました。

にしても原作は百年以上も昔のものなのに、鮮度がすごい。
今もこういう家庭がどこかに必ずあるし、同じ思いをしている子どもたちも必ずいて。
舞台になっている戦後間もないフランスから、国も時代も超えて今の日本の空虚さにビシビシ寄り添ってくるのが切なくもあり、めちゃくちゃ刺さるお話だったなあ。
なんだか、北斗くんを思い出してしまいました。

そんな北斗くんから、今度は傷付ける側にまわったフェリックスについても。
どうしても優馬くんが演じているから、愛しく感じてしまいます。
ルピック夫人じゃないけど、デロデロに甘い目で見てしまう。
でも。そうにしても、クッッッソしょーーーもない奴だったな(笑)
中身のない、空っぽのクズでした。
正直、初めのうちはあんまり好きじゃなかった。
厳密にいうと、クズのキャラクターがとかではなくて、優馬くんの演技があまり好みではありませんでした。
だってずっと浮いてたから。ひとりではしゃいで、空元気で。
上辺だけをなぞってるみたいな薄っぺらい演技で、好きじゃないというか、まったく入ってこない。温度を感じない。
たまにする、空っぽの冷めた眼や、片方の口角だけをあげて笑う馬鹿にした顔は少しだけひっかかったけど、それ以外はほとんどフワフワ浮いたまま、あまりフェリックスを掴めずにいました。
でも中盤のシーンで、にんじんのアゴを掴みながら「お前その自分だけ除け者でいじめられてるって面やめな。母さんはお前しか見てないんだから。」と睨んで吐き捨てたフェリックスに人間臭さを感じて、初めて地に足のついたフェリックスを見た気がしました。
そして畳みかけるように一番最後のシーン。ルピック家の全財産をもってパリへ行く!と決め「骨になるまで踊ってろ!二度と帰らない!このくそったれの村!!!!!!!」と叫んだフェリックスの大人びた、でも泣きそうな表情にハッとさせられた。
これが本当のフェリックスだったんだ。
ずっと、あの冷めた眼と呆れた顔したフェリックスが引っかかったのはそういうことだったんだ、と。
あの家の中でフェリックスは「こども」であることで自分を守り、「かわいい息子」になることで愛をもらおうと必死だったんだ、と。
だからにんじんがいじめられてるときに、あんなに冷めた眼をしていたんだと全てが繋がった気がした。
本当は僕も愛してくれと叫びたかったのかもしれない。
だけどこっちを向きもしないルピック夫人に呆れていたのかもしれない。
そう気づくと、とんでもなく愛おしくて。
今までのフェリックスの行動がひとつひとつ浮かんできた。
私はずっと、この母親がフェリックスをこんなにも甘やかし優しく育ててきたのは「自己満足」なんだろうなと思っていた。にんじんにひどいことをしている分フェリックスには母親らしいことをしている、それでバランスを保とうとしていたんだと思うし、そしてフェリックスも自分がかけた愛情の分を返してくれる、そういう満足感を得るための行為なんじゃないかなって。
きっとフェリックスも薄々気づいていたんじゃないかと思う。
だから最後「フェリックス!私のかわいいフェリックス!!!!ああ……!!!!」と叫ぶ母親を残して去ったのは、母親のエゴからの解放で、フェリックスが自由になったことの表れなんじゃないかと。
そしてどこか泣きそうな顔をしていたのは、自由になったと同時に手に入れた「自立」という現実に対する不安なんじゃないかと思いました。
最後の最後まで弱さを残していくのが、とっても世間知らずのおぼっちゃまという感じがしたなあ(苦笑)
こういうのぜんぶ考えていてやってるんだとしたら、優馬くんすごいなあってゾクリとした。
あまり大きな展開のない、些細な日常の中で進んでいく物語のなかでもフェリックスの小さな成長と、変化が見れて、すごく繊細に演じているなあと思いました。
あの浮ついたフェリックスと、最後の「くそったれの村!!!!」て吐いたフェリックスの対比が最高で、すごく気持ちよかった。
最後のフェリックスが一番人間らしくて、好きでした。
まあ、今までの育ち方見てるとパリでの生活も目に見えてるし、場所が変わっても大した変化はないのかもしれないけど笑、それでも自分の足で立って、家族から自立したのはフェリックスで、その大人への第一歩だけは、高揚感に満ちた瞬間だったなあと思うわけです。
だからどうかフェリックスに少しでも多くの幸運が訪れますように…!

そして結末についても。
あれだけ5人でルピック家での日々を繰返しながらも結局、嫁いでいったエルネスティーヌや、パリへ行くと家を出たフェリックス、そして自分で選んだ独りだと寄宿舎に帰ったにんじんも、家族から自立し始めていて、いつの日も初めに家族から自立するのは「こども」なんだろうなあと思いました。
もしかしたらあの家に残されたルピックさんとルピック夫人が、一番行き場がなくて閉塞してるかもしれない。
こどもにはこれから変われる膨大な時間があるし、果てしない未来があるけど、今まで変わらずここまで生きてきた大人には、孤独という現実が付きまとう。
実はひとりぼっちなのはルピックさんと夫人の方だった。
そんな、一種の哀愁も感じさせるラストだったなあと思います。

物語全体的には、大きな展開があるわけではなく、あくまでもルピック家で繰り返される日々の中での些細な出来事をメインに進んでいて、それがすごく「家族の物語」って感じがしました。
毎日大それたことのある家庭の方が珍しいし、大きく変わっていく家族もそんなに多くない。それがこの物語の些細な日常に表れ、そして大きな変化もなくそれぞれがバラバラになったルピック家に表れていたように思います。
さらに、きっと5人は根本的には変わらない、ずっと「ルピック家」という性質を持ったまま生きていく、そんな一種の呪いみたいなものも感じました。
良くも悪くも「家族」ってそういう縛りみたいなものだと思うんです。どこにいても離れていても、同じ呪いにかけられた集まり。私は物語の結末にそんな未来も感じました。

フェリックスは、今までの優馬くんの舞台の中で一番人間らしいかもしれない。
ドリアンや淳一先生のように華のある選ばれた人でもなければ、十兵衛のように重い宿命を背負っている人でもないし、セザールや悟のように壮大な運命を懸けている人でもない。
どこかの家にいる、ちょっとわがままで傍若無人な普通の男の子。
でも単純そうに見えて複雑なコンプレックスを抱えたとっても人間臭い、良い意味で親近感の沸く役だった。
また新しい優馬くんの演技を見れて面白かったです。
さっきあんなに真面目にフェリックスについて語ってたけど、見てる最中は、辟易してるみたいな冷めた目と、呆れた様に笑う表情が大好きなやつで、優馬くんの蔑んでいる演技最高だな……と思いながら見てました(急にド変態)
例えていうと、勝手に部屋に入った須賀ちゃんを押し倒してるときの成海くんです(みんな大好きなpieceだよ♡)あれも最高だったけど、フェリックスはもっとゾクゾクして最高だった…!ああいう顔もっと見たいです!!!!!
優馬くんは元のお顔がお美しいから、冷めた眼をしていても、
蔑んだ顔しても、片方だけ口角あげて笑っててもいやらしくないし、むしろゾクゾクするからぜっっっったい似合うよ!!!!
アネットに「他にいい働き口探してやるよ」ってバッキバキの眼で言ってるの本気で興奮した。
楽しそうにはしゃいでる顔から急にうんざりした、世界に辟易した顔になる瞬間なんてほんとにほんとに大好物で、目の周りに丸い跡が残るんじゃないかっていうくらい双眼鏡でその顔を焼き付けてた。
それくらい新しい優馬くんが見れて嬉しかったから、優馬くんの演技がもっともっと見たい、いろんな役を見てみたいと欲深く思った舞台でもありました。
だからはやく次の仕事ください(どさくさ)

最後に性癖さらしただけだとアレなので、松竹座を出て駅に向かってるときに聞こえた曲があまりにもフェリックスへ送る歌だったので、それを残して終わりにしようと思います。

あなたは 何処でも行ける
あなたは 何にでもなれる
ただ幸せが 一日でも多く 側にありますように
悲しみは 次の あなたへの 橋になりますように


星野 源 - Family Song 【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】

ABKAI2017「石川五右衛門~外伝」

なんだかんだ、合間を縫って一公演だけ見に行くことが出来ました。
シアターコクーン
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優馬くんと海老蔵さんが剣を交えている姿は、まさに絶景でした。
こんな未来があるなんて、まさかなあと思いながら見てしまった。
ひとりで活動し始めて早3年が経とうとしているけど、これからどこへ行くんだろうと漠然と見守っていた頃からは想像できない現実で。
優馬くんの今までの色んな努力や経験が、きちんと舞台の上で生きているなあとひしひしと感じて、漠然としていたあの頃もひとつも無駄にしていないなと実感しました。
それくらい着実な未来に辿り着いているなという成果の表れた舞台だったんじゃないかなあ。

優馬くんも初めての歌舞伎だけど、私にとっても初めての歌舞伎。(むしろ優馬くんは一度ぴんとこなで触れているから、私の方が素人かもしれないけど笑)
とっても楽しかった!煌びやかで華やかでこれぞエンターテイメントという真髄を見せていただいたような気がしました!
決して優馬くんの出番は多くはなかったけど、海老蔵さん扮する五右衛門と対峙するというとっても見せ場の多い役を頂いていて、満足度は十分でした。
そして白塗りの優馬くんは見慣れなくて新鮮だったけど、白粉をしてもそのお顔の麗しさは健在で。特に横顔が本当に美!だった。
優馬くんって顔立ちがハッキリした「美しさ」だからあんまり儚くみえたりしないし、むしろ強気そうに見えたりすると思うんだけど、今回はその意志の強さがすごく十兵衛という役柄に合っていたなあと思いました。
あとこれはもう今しかない特権だと思うけど、若さからくる艶とハリたっぷりな美しさみたいなものが、十兵衛の青さとなって滲んでいて、今の優馬くんにぴったりだなあとも思いました。
そして役も少し優馬くんと重なるなあなんて。
真っ直ぐで純粋で、芯が強い青年。でも偉大な父の後を追っているはずなのに、自分の信念とのすれ違いに気付く。
そんな真っ直ぐに生きられない現実に、真摯にひたすらに向き合いながら、不器用に自分の我を通していく。
こういう時、優馬くんもきっとこうするんだろうなあと思いながら十兵衛に思いを馳せていました。
そんな十兵衛ゆうまくんに、五右衛門が掛ける「自由になる覚悟はできたか?」ってセリフがまたニクいんだよな~!!
自由に軽やかに飛び回る盗賊・五右衛門と違って、いろんな責任やしがらみを抱える跡取り息子・十兵衛。
きっと心のどこかでその軽やかさに憧れ羨む部分もあるんだろうけど、責任を果たしそして繋いでいく覚悟もまた、十兵衛が自由に選んだ道。
もっと楽に生きる方法もあるんだろうけど、それでも柳生の名を継ぐ覚悟と責任を背負って「お相手仕る!」と叫ぶ十兵衛をどうしても応援したくなるのです。
その十兵衛のバックボーンと優馬くんの人柄とを照らし合わせながら見るのもまた、楽しめた理由の一つでもありました。

そして一番これが大事だと思うんですけど、きちんとABKAIの世界観や初めての歌舞伎を楽しめたのは何にも不安要素がなかったからというのが大きかったです。
舞台に立つ優馬くんに対して、何一つ不安になったり緊張したりすることがなかった。ちゃんと歌舞伎の世界に馴染み、浮くこともなく十兵衛として生きていたから余計なストレスなく見ることが出来ました。
これって本当にすごいことで、短い中で優馬くんがたくさん努力し稽古した証なんだろうなと思いました。
そして同時に自分のソロコンで「余裕でやってるように見せなきゃ。お客さんを不安にさせるのが一番アカンから。」と言っていた優馬くんを思い出しました。
私、優馬くんがこの感覚を持っているって知れた時、すごくうれしかったんです。そしてすごく信頼した。
この人は余裕を作ってステージに立つ人なんだ、と。そしてそのための努力や、練習を惜しまないんだと。
今回もきちんとそれを体現していたなあと思います。だから安心して見れたし、絶対これからの優馬くんの肥やしになると確信できた。
所作や、セリフ、立ち回り、すべてにおいて歌舞伎の世界として見れたこと、すごく誇らしかったです。
何事も堅実にコツコツと積み上げて、ひとつひとつクリアしていく真面目な優馬くんに、きっと歌舞伎という硬派な世界が合っていたんだろうなと思いました。

あとはもう一つ楽しめた理由として、ジャニーズの世界観と似ていることが挙げられる気がしました。
とにかく派手で豪華で煌びやかなところも、頭で考える楽しさではなく、目で見て耳で聞いて感覚で感じて、アドレナリンがドバドバでる楽しさもすごく似ていた。
物語ももちろん大切なんですけど、なんか楽しい!なんかすごい!それだけの感情で楽しめる軽やかさも魅力としてあって、エンターテイメントだなと思いました。
優馬くんもきっとどこか知ってる、みたいな感覚絶対あったと思う(笑)そう考えると優馬くんが今までやってきた仕事とあまり変わりないのかもしれません。
まあ私が知ってる歌舞伎はABKAIだけなので、総じてそうなのかは分からないですけど(笑)
でも歌舞伎~入門編~としては本当にピッタリで、先入観としての「お堅い娯楽」というイメージを払拭できるだけでも相当意味のある試みだなあと、歌舞伎初心者は思いました。

それからやっぱり海老蔵さんがすごかった!スーパースター様、超かっこいい!!!!と思わずにはいられない圧倒的オーラが素敵でした。
仕草ひとつひとつに色気があるし、表情ひとつひとつに男気もあるし、立ち回りひとつひとつに繊細さもあるし、他にも見得を切るときの迫力も、ねぶたの上に立つ豪快な立ち姿も、本当にぜんぶ完璧なお方だった…!
こんなかっこいい方と優馬くんが背中を合わせ、剣を交えているという現実に何度震えたか。優馬くんにとって本当に貴重な経験だし、さらに私は今貴重な機会を目にしているんだと実感し、本当に幸せでした。

だからこそ、そんな海老蔵さんが「人生で一番泣いた日です」と綴る現実の非情さに胸がすごく痛んで。あんなに堂々と舞台に立つ人もひとりの人間で、大切な人を失う悲しみをこらえ舞台に立たなければいけないんだと、そしてあの堂々たる海老蔵さんを支えていたのはたったひとつの命だったんだと、あの海老蔵さんを見たからこそより一層我慢できない哀しみがありました。
そして海老蔵さんが一番大変だったのは、分かり切ったことだけど、きっと同じ舞台に立つ演者の皆様にとっても、いろんな葛藤と踏ん張りがあったんだと思います。
舞台に立ってくれるのは当たり前ではなく、色んなものを背負いながらも届けている人がいること、今回のことで身に染みて感じました。
何があっても舞台に立ち続け、いつもと変わらないものを届ける、そういう場所であり、そういう世界であることは時に非情ではありますが、役者側がその責任を果たそうとする以上、私たちはその人が舞台に立つ限りきちんと見届けることが唯一出来ることなんだと思います。
だからどうか。あれからもずっと舞台に立ち続ける海老蔵さんが、ずっとずっと多くの人が憧れる、スーパースターで在り続けますように。
本当にお疲れ様でした!
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ここからは、あまりABKAI自体には関係ないかな~と思ったけど、残しておきたいので追伸、的な感じで(笑)
今回のMyojoの海老蔵さんと優馬くんの対談でのことなんですけど、海老蔵さんのお言葉が印象に残っていて。
「まだ23歳で舞台をやっていくという姿勢はたいしたもの。やっぱりどうしても有名になりたいから連ドラとか、そっちのほうがいいんじゃないかと思いそうだけど、自分というものを見定めて、会社の方針も理解して、こういう現場にいるわけでしょ」
この言葉を聞いたときすごいなーと思って。そこまで背景を読める人なんだなって純粋にすごくびっくりして。そしてしっかり優馬くんを見てくれているんだなあと少し嬉しかったんです。
確かに優馬くんはあまりテレビに出演しないし、舞台の現場が圧倒的に多いけど、やっぱりちゃんと意図があったのだなあと腑に落ちたというか。
それが優馬くんの意思なのか、会社の方針なのかは分からないけど、どちらにせよ長いスパンで時間をかけて力をつけようとしているんだなと感じました。
だから今優馬くんがしてることって、長い目で見ると絶対無駄なことじゃないと思うし、絶対やってて良かったって思えることなんじゃないかな。いっぱい踏み込んだ人って上がる時にすごい力で飛べると思うから、その時のことを思うと純粋にすごく楽しみです。
その間は少し物足りなく感じたり、焦りを感じたりもするかもしれないけど、真面目な優馬くんならきっと報われるだろうなあと変に自信があります(笑)
そしていろんな力を蓄えてる最中の大事な時期に、このABKAIに出演出来たのだなと思うと感慨深い……。
デビューから今までずっと忙しなく駆け抜けてきた分、ソロ活動を始めてからのここ2、3年は割としっかり地に足つけて進んでるような気がするので、やっと優馬くんのペースで歩ける日が来てるんだなあと思います。
だからこのまましっかり進んでくれるといいなあ。
次の「にんじん」も楽しみにしています。

自担が退所を考えていた話

毎月第一金曜日に掲載されるスポーツ報知の連載に、優馬くんの番が回ってきた。
ジャニーズタレントを対象にしたインタビュー記事で、話題は主に優馬くんが出演する舞台「ABKAI2017」と「にんじん」のことについてだった。
優馬くんはこういうインタビューで、ファンが知らなかったことについてポロっと漏らす節がある。
今回も例に漏れずそれだったんですけど、いつもより印象的だったのでつい考え込んでしまったんですよね。

インタビューにはこう書いてあった。

俳優を目指すようになってからは、ジャニーズ事務所を退所しようと考えた事もあったという。
「今はもちろん事務所にすごく感謝していますけど、入る事務所を間違えたんじゃないかと思ったり。でも、そのとき家族に言われたんですけど「俳優の事務所に入っても、なかなか俳優業をするのは難しい。今の事務所にいれば、俳優になる道も近道としてあるんじゃないか」って。そうだなって思って、この事務所のまま俳優をやっていきたいと思うようになった。」

優馬くんはつくづく素直で誠実で、嘘のつけない人だなあと思った。自分を良く見せようと言う欲がないというか、あくまでも飾らない自然体な人で。
その素直さが時々痛々しく見えたり、胸がえぐられたりするんだけど、優馬くんが見えない時にはその素直さに安心する時もあって。
こういうことって今回だけじゃないんですよね。何回もあるし、毎回覚えている。そう思うと、優馬くんってずっと変わらないなって。
昔から素直で良くも悪くも嘘のつけない、アイドルには決して向いているとは言えない性格。最初はそう思っていたんだけど、素直であってもあの時そう思っていたんだって後から知ることが多くて、しかも事実として淡々と語るのが優馬くんのクセだと気付いた時、とてもプロだなとも思った。
優馬くんの場合いろいろ特殊だから言いたくても言えないこととかたくさんあると思うけど、ファンの知りたいっていう欲望をきちんと後からでも満たしてくれるし、自分の思いとして残してくれるからアイドルとして誠実な人だなと思う。
まあ素直すぎるから知らない方が良かったことも、知りたかったこともどちらも受け取れてしまうんだけど(笑)
でもそういう全部伝えちゃう不器用なところもすごく人間ぽくて好きだったりもする。

ただ今回のこのインタビュー記事は、正直自分でも知りたかったのか知りたくなかったのか分からない。
一番近いので言うと、知りたかったけど知るのが怖いから知りたくなかった、がたぶん正しい。
でも優馬くんが正直に話したからこの際ちゃんと自分でも考えてみようかなと思って。

私は、かれこれ小学生の時から優馬くんを応援している。
そして大学生になったいまもヲタクなわけだが、もはやここまで来ると生活の一部になっているし「ジャニヲタ」は私を構成するアイデンティティーのひとつとさえ思えてくる。
でも、優馬くんがソロ活動を始めて、俳優業に力を入れるようになってから何度も考えた事がある。
優馬くんにジャニーズ事務所という場所は合っているのだろうか。」……本当に何度も思った。
俳優がやりたいんだったらここじゃない場所がもっとあるんじゃないか、他だったら優馬くんのやりたいことがもっと出来るんじゃないかって、今の場所を窮屈に思うのだ。
その度に思いだすのは、優馬くんの言葉だった。ソロコンのオーラスで照れながら「ジャニーズ事務所に入って良かったと思っています」と言った言葉だ。
その言葉はきっと本心だったのだと思う。本当に恥ずかしそうにこっそり教えてくれた優馬くんが本当に愛しかったし、誇らしかった。
ちゃんと信じられる顔をしていた。心の底からそう思っている、そんな顔だった。きっと今も、そう思っている。
だから窮屈に思って、ここでいいんだろうかって心配する度に、あの時の顔を思い出してはあの優馬くんを否定したくないって思ってきた。
だけどほんの一瞬でも、優馬くんも退所について考えたことがある、それを知っただけで私は胸が痛くてしょうがなかった。
そうか。優馬くんも考えたことあるんだ。いつの話だろう。いつ、そんなことを思いながら仕事をしていたんだろう。
そうやって今までの優馬くんを思いだして、あの時だろうか、この時だろうか、いろいろ考えを巡らせてしまう。
だから知りたくなかったのかもしれない。だから怖かったのかもしれない。

そして、もし、本当にやめていたらどうだっただろうか、とも考えた。
優馬くんがジャニーズじゃなくなる。そうなったとき、私の中で何か変化は起きるだろうか。
答えはたぶんノーだ。何も変わらない。
ジャニーズだから優馬くんが好きなのか、そう考えるとはっきりしてくる。別にそうじゃない。
私はただ、中山優馬が好きだ。優馬くんが歌おうと、踊ろうと、お芝居しようと、どこの事務所にいようときっと同じだと思う。
私は優馬くんがジャニーズじゃなくても、きっと違うどこかで好きになっていたと思う。応援していたと思う。
ジャニーズも、アイドルも大好きだし、生活に潤いを与えているのは間違いなくジャニーズだけど、それはそれで。
好きになったきっかけもアイドルをしていた優馬くんだったけど、それでも。
あくまでも優馬くんの「ジャニーズ事務所所属」は、今の私にとって付属品でしかなくて。いろんなもの取っ払うと、ヲタクとして大切なのは優馬くんだけだ。
だからたぶんあの時、優馬くんが家族に相談する前に退所を決めていたとしても、私は変わらなかっただろうなと思う。
もちろんアイドルの優馬くんも大好きだし、歌って踊るアイドルという職業も大好きだ。だから惜しくなるし寂しいとも思うし、もったいないとも確実に思うけど、だけど結局いちばん好きなのは優馬くん自体なのだなあと、今回この記事を読んだときに思った。
アイドルが好きの前に、ただ単に優馬くんが好きという感情の方が先にくるようになった自分に気付いたときはちょっと不思議な気持ちだった。
アイドルとして見つけた優馬くんを好きになったはずなのに、ね。
そしてヲタクって意外と単純な感情で動いているんだなあと思わされた。
もちろんファンにもいろんなスタンスがあると思う。アイドルじゃなきゃ意味がないって人もいるだろうし、アイドルだから好きだっていう気持ちもすごく分かる。なんなら私もそのタイプだと思っていた。それくらい私にとって「アイドルであること」は大きい意味を持っていたし、アイドルに対して尊さだったり憧れを抱く気持ち自体が好きだった。アイドルってすごいんだって思わされる瞬間が好きだった。
でも私はいつの間にかそういうアイドルを応援する事の魅力を優馬くんで感じられなくなっても、好きで居続けられるようになっていたんだなと知った。
優馬くんが言ってくれて初めて気付いた。
今回この事に気付けたのは自分にとってすごく大きかったなあ……

それから、きっと「退所」ってすごくナイーブな話だと思うし、所属するタレントは誰もが一度は必ず頭をよぎるんだろうなと思う。
特にジュニアは切っても切れない話だと思うし、現に私も長いジャニヲタ生活のなかで何人もの子がステージを降りるのを見てきた。
本当に突然、辞めますも辞めましたもなくいなくなっている、この決断はその子自身にとってもその子のファンにとっても耐えがたい怖さだろうなと思う。
ただ優馬くんは入所して割とすぐ最前線に立たされ、あれよあれよとデビューしたから、ジュニアと言える期間は決して長くなかった。
だからきっと「退所」についてあまり考える時間もなかったんだろうなと思う。考える時間もないまま大人になって、気付けばジャニーズWESTもデビューし、ソロ活動をするようになってじっくり考える時間が出来て。その時初めてここで良かったんだろうかと立ち止まったんだとしたら、やるせないなあとも思う。
もうここまで来ちゃったら後に引けないってのも絶対あったと思うから。優馬くんがジュニアだったら、もしくはもうちょっとじっくり成長できる場があれば、もっと「退所」について柔軟に考えられたし、活躍できる場所は他にもきっとあるよって思えたのに。
でも今やジュニアだけの問題でもなくなって、デビューした未来が約束されていると思っていたタレントですら、辞めていくのが現実だ。
決して優馬くんだけに言えることじゃないし、優馬くんだけの問題でもない。それくらい誰にでもありえる話になっている。
ただデビュー組の場合はより「ジャニーズ」として芸能界で認識されることが多い点で、退所した後のことも慎重に考えなくてはいけないし、余計に退所は大きな問題だろうなと思う。
それでも退所を考えた優馬くんは、どれほど悩んだのだろう。どれほどいろいろ考えたのだろう。

それを思うと私はこの話を、そうだったんだ、と簡単に流せない。
たぶんずっと思い出すし、今はそうじゃないかなとずっと考えてしまう。
でもやっぱり知れて良かったと思う。そんな時もあったんだって怖くなったけど、知らない方がもっと怖かったと思うから。
何も知らないまま、もし退所していたら、と思うとゾッとする。
(まあ今回のは退所しなかったから言えた言葉でもあるとは思うんだけど)
それに知ったからこそ、いま優馬くんがジャニーズ事務所に所属していることの重さも知れた。
優馬くんが事務所に残って俳優をすることを決めたのであれば、私もその挑戦を応援したいし、優馬くんがこの先、この事務所だから出来たんだっていう仕事にたくさん出会えたらいいなと思う。
そうやって優馬くんと一緒にジャニーズ事務所にいる意味をいっぱい見つけていきたいなと思う。
そしていつかこんな素直で不器用で嘘のつけない人が、成功する世界を見てみたいなと思います。

連続ドラマW 「北斗-ある殺人者の回心-」

記事にするまでにずいぶん時間がかかってしまいました。
それくらい優馬くんのお仕事の中で、一番真剣に向き合った作品だったなあと思います。
こんな膨大な思いを受け取るドラマ初めてでした。
2016年の夏の優馬くんの全力が詰まっていた。
北斗として生きた優馬くん、本当にすごかった。
優馬くんに「俺のやりたいことはこれなんだ」って挑戦状叩きつけられたみたいな、生半可な気持ちじゃねえぞっていう覚悟を見せつけられたみたいな気がした。

私は大阪の試写会で見た北斗がいちばん最初だったのですが、しょっぱなから飛ばしてるなあと思わずにはいられなかった。そしてふたを開けてみれば最初だけでなく、最後まで容赦がなかった。
暴力や、殺人の描写なども一切妥協せずに、細かく描いていくスタンスが確かに今のドラマでは見ないなと思った。まるで映画のような濃厚さで、毎回一時間があっという間だった。
そして、何より絶妙な話数だなあと思った。
ドラマでいうと5話って決して長くないし、民放でいうとちょうど折り返し地点くらいだから、この分厚い原作を映像化するには足りないと思えるけど、これが絶妙にちょうどいいのが驚きだった。
限られた話数だからこそ無駄なシーンが一切なく、必要なシーンのみで構成されているので、最後まで緊張感の続くしっかりとした作品になっていた印象だった。
そして何よりこの話数に、ぎっしりと熱意が詰まっていたのがすごかった。監督の情熱とキャストスタッフがこれに全力で応えた掛け合いが、ちゃんと作品の熱として表れていた。本当に、画面からはみ出しそうなくらいの熱さに胸がチリチリと焼ける感覚だった。
同時に、これはWOWOWだから実現できたんだろうなとも思った。映画ではちょっと時間が足りないし、民放はこの熱量でできる場所ではないし、そう考えると適した場所だなあと思う。見てもらえる人は限られてくるだろうけど、でも見た人には確実に胸に刺さるクオリティーが出来たように思える。
そしてこの内容的にも、躊躇せず思いっきりできるのは今のテレビ業界ではWOWOWしかないんだと、だとしたらやはり特殊だし、唯一無二の場所だなあと納得できた。

ドラマの内容に対しては、原作に忠実だなと思った。
多少削っている描写だったり、登場人物もいるが、原作の満足度と差して変わらなかった。
キャストも本当に原作から出てきたみたいにピッタリで、私は特に綾子さんが大好きだった。
あの優しくて力強い声が、北斗くんって呼ぶ度に私まで嬉しくて、物語の中の唯一の光だった。
優馬くんが宮本さんの声が好きだって言ってた気持ちがすごく分かるし、「お母さん行かないで」って言っちゃう気持ちもすごく分かる。それくらいただ声を聞くだけで安心できる存在だった。
他にも、キャストそれぞれに存在感があったし、見どころがあって楽しめた。
優馬くんに関して言えば、正直言うと原作を最初に読んだとき、優馬くんのイメージはないなと思っていた。
全体的に薄い印象の、あまり雰囲気のない人。北斗くんにはそんな印象を持っていたので、優馬くんに合うのかなあと思っていたくらい。お顔も中性的で色白でどちかと言うと塩顔系の男の子ってイメージを思っていたし。
だけど、そういう次元じゃなかったなと後から申し訳なく思った。
優馬くんは合ってる合ってないじゃなくて、どれだけ自分のモノに出来るか向き合っていた。だからこそイメージは違くても、細かい描写や北斗くんがまとっている雰囲気がすごくリアルだった。
そこにリアリティーがあるから、他のイメージなんて勝手に付いてきた。もう今じゃ北斗くんは優馬くんの顔で思い出されるし、優馬くんの感情が読めなさそうな硬質な部分と、北斗くんの神経質で潔癖そうな部分がすごくマッチしていたなあと思えます。

物語の中で私が一番印象的だったのは、一話から二話への流れでした。一話での留置所の北斗くんはまったくと言っていいほど何も話さず、話したのはただ一言だけ「死刑にしてください。」のみ。感情の起伏と言えば「不幸な生い立ち」に触れられた時くらいで。そうやって一話は主人公の感情がまったく分からないまま終わっていく。そして二話からは徐々に情報も増えて行き、北斗くんがどんな子でどんなことを経験してきたのか、丁寧にゆっくりと描かれていく流れになっていた。私は、一話では「殺人を犯してしまった人」でしかなかった北斗くんの生い立ちを高井先生と辿っていき、どんどん人間らしい普通の人と変わらない北斗くんを知っていく流れがうまいなあと思った。二話で母に対して怒りをぶつけたり、綾子さんを試して泣いたりと、感情を露わにする北斗くんにすごく新鮮さを感じ、こんな表情するんだ、こうやって叫んだりするんだと驚いた。それくらい一話の北斗くんは静かで空っぽで。だからこそ二話での人間らしい北斗くんとの対比が大きくて面白いなと感じた。
また主人公はもちろん北斗くんだから、ほとんどが北斗くんの生い立ちや変化がメインで、途中まで見ているとどうしても北斗くんに肩入れしてしまう。不幸な偶然が重なっただけ、暴力の芽を植え付けたのは両親だ、とどうにか擁護したくなってしまう。だけど後半になり、裁判が始まるとハッとさせられるのだ。今までは北斗くん側から物語を追い、北斗くんが暴力の「被害者」のように見てきたが、まったく逆の物語も存在することに気付かされてしまう。北斗くんが奪った人生もまた存在していて、北斗くんは「加害者」なのだと気付いた瞬間、物語はとても複雑になる。北斗くんが奪った命を大切にしていた人たちがいる。北斗くんが綾子さんを大事にしていたように。
どうしようもないループに陥るところは原作と変わらないし、むしろ原作よりも密度が高く迫ってくるような気がした。

私には原作の結末は「希望」だと感じると、このブログに記した。
ドラマはまた少し違っていたように思う。
もっともっと人間の本質に迫ったような最終回だった気がしたからだ。

特に裁判が始まってからはそれがすごく顕著で。
1日目は、生きることを諦めたような人で、血が流れていないみたいな真っ白い顔をしている北斗くんが、日を追うごとに徐々に目に光を宿し始め、自分の中の感情に戸惑い苛つく姿が痛々しくて、でもこれは北斗くんが生きてる証なんだからと私も歯を食いしばって見守った。
そしてラストの意見陳述のシーン。
口に出していいのか、本当に言ってもいいのか、迷いながら高井先生を見つめた北斗くんの姿が印象的で。
何を言うのかと身構えたら、人間として当たり前の、ごく自然な「生きたい」という感情を、ポツポツと語り始めて。
「身体が生きようとするんです。」
「生きて罪を償いたい。」
北斗くんが嗚咽を噛み殺しながらもらした本音に、胸がギュッとなったと同時に「ああそうか、北斗くんはずっと生きたかったんだ」と思った。
だから家を飛び出した日も、自動販売機に縋ってしまったし、綾子さんが亡くなったあとも復讐のために生きたんだと腑に落ちた気がした。
「生まれて来なければよかった」「僕は悪魔の子だ」「事件を起こしてから死ぬことばかり考えていた」「死刑に値する人間だ」そうやって自分を否定し続け、存在価値を自ら排除してきた北斗くんだけど、心の奥底ではきっと誰よりも「生きたい」と望んでいたんだ。
そして、すべての人が持ってて当たり前の「生きたい」という願望を、今までずっと隠しながら生きてきたんだと気づいて、すごく悲しくなった。
北斗くんは「生きる」ことを権利だと知らずに生きてきたんだ。誰かに与えられるものだと思って、自分の意思で決められないと思って生きてきたんだ。
生きていることを後悔しながら生きてきたんだ。
それは、どれだけ苦しかっただろうか。
そんな北斗くんが、自分の命を賭けた裁判で初めて「生きたい」と口にした。
自分で「生きる」ことを選べた。
人間の本能的な、普通の人だったら持っていても気づかないくらい当たり前の単純な感情。
でも口にしたことで何かから解放されたような北斗くんの表情にはグッとくるものがありました。
そして今までタイトルバックが鮮明な赤だったのに、最終回だけ透明になっていたのもそういう意味があったのかなあと。
北斗くんが揺らぐことなく「生きたい」と自覚し変わったことで、「悪魔の血」という真っ赤な不純物が取り除かれて、ただただ透明な北斗くんの思いのほうが勝ったということの表れのような気がしました。
ドラマの方がそういう意味では明確なゴールを持っていたから、ズシンときたなあと思います。

そして最後は優馬くんについても。
この作品に優馬くんが主演として関われたことは、今後の優馬くんの俳優人生でも大きな強みになるだろうと確信しました。
演技が上手い下手とかの次元ではなく、端爪北斗として存在しようとしていた、本気で端爪北斗になろうとしていた。
一瞬でも中山優馬ではなくなっていた。
この経験はすごく大きなものになるだろうなあと。
これから演じる役にもぜんぶ、北斗くんは活きていくんだろうなあと思います。
最初の方にも言いましたが、演技が好きで、俳優をやりたいと常々言っている優馬くんの本気を見せられたような、彼の覚悟を感じました。
どんな俳優になっていくのか楽しみになったし、もっともっと色んな役と出会う優馬くんが見たいです。
WOWOWドラマがどれほどの人の目に止まっているかは分かりませんが、もしかしたらそんなに多くないかもしれないけど、見た人の中に優馬くんの印象が残って、次の仕事に繋がって欲しいなと強く思っています。
いや、絶対繋がる作品だと思っています。
だからこそ、また次優馬くんを映像作品で見るのがとても楽しみです。
優馬くんがまた次もこんな密度の高い作品に出会えますように。

愛しい私の『それいゆ』について。

初演から数ヶ月。
こんなにすぐ淳一先生に会えると思わなかった。
初演からたった数ヶ月。
こんなに濃密に変化すると思わなかった。
私にとって、すべてが予想外の「再演」でした。
初演を見た時から、ずっと胸の中にあり続けるだろうなと確信するほど、静かで、激烈な感情を覚えて。
再演でまた私は何を感じるだろうと、楽しみにしていたけど。
予想外で、予想以上でした。

再演で感じたのは「愛しさ」だった。
キャラクターに対しての、愛情だった。
ちょっとビックリした。
正直に言うと、初演ではまったくと言っていいほど淳一先生に共感ができなくて。
もちろん先生の生き方に感じるものはたくさんあったし、確かに「美しい」と思えた。
でも桜木さんじゃないけれど「私は先生とは違う」とも思っていた。
どちらかと言うと私も、桜木さんのように「求められたものを」というタイプだ。
だから初演の時は、少し理解するのに時間がかかったし、感情移入は、淳一先生の気持ちに寄り添うことは、最後まで出来なかったように思う。
だからこその尊敬でもあったし、天才だとも思えた。
それはそれで自分なりに間違いではないと思っているけど。
初演の淳一先生は私にとっては、やっぱりどこか「異質」な「変わった人」で。
私は淳一先生から離れていった、桜木さんや舞子ちゃん、山嵜編集長の方がよっぽど人間らしいと感じていた。
人並みに劣等感を感じて、世の中と折り合いをつけている人たちにどうしても人間味を感じていた。

そんな初演だったので、まさか再演で「愛しさ」を感じるなんて思ってなくて。
自分の中の感情に驚いた。
物語もキャラクターの設定も、大きく変わっているわけでもないのに。
「異質」で「変わった人」なことに変わりはないんだけど、前よりも圧倒的にチャーミングで、ひとが大好きでっていう人間味も感じたし、好きなものに対してまっすぐで純粋な無邪気さもあって。そしてなにより美しさだけを追い求める姿がグッと純度を増していて。
「変わった人だけど、可愛い人」っていう人物像がハッキリしていたのが印象的だったなあ。
淳一先生を形どる輪郭みたいなものが前よりも分かりやすかったような気がした。
だからこそ「可愛い人だなあ。愛しいなあ。」っていう感情に行き着いて、前よりずっと人間らしい淳一先生で、ああ私と一緒なんだ、淳一先生も人間なんだっていう「共感」にも繋がった。
そして普段は人当たりの良い、柔らかくて無邪気な印象を受けるからこそ、逆に孤独感だったり、ひとり深く堕ちていく闇が際立ってより淳一先生の葛藤や不安が浮き彫りになっていくコントラストも面白かった。
もちろん初演の淳一先生も素敵なんだけど、再演の淳一先生はもっともっと好きになれたなあ。
そしてそれは、優馬くんが初演を通して、淳一先生に対して愛情を深めたせいでもあるんだろうなあと思いました。
初演よりも圧倒的に淳一先生が馴染んでいたし、優馬くん自身が「中原淳一」に対して愛情と尊敬を持っているのが演技から伝わってきた。そしてその美しい淳一先生に近づくために、まさに淳一先生の言っていた「自身の生き方、魂を極限まで磨き上げて、純度を高めて挑む」を体現しているように感じた。
だから中原淳一という人の「容れ物」として、中山優馬はこんなにも適していたんだろうな。
優馬くんの演技、仕草、口調、視線ひとつひとつに丁寧さを感じて、まるで自分の中に存在する中原淳一を楽しんでいるように私には見えました。
それは淳一先生だけじゃなくて、他のキャラクターも同じで。みんな初演より輪郭がハッキリしていて「愛しさ」が増していました。
淳一先生の描く挿絵が何よりも大好きで、生きる希望で、それだけを頼りに生きていたのにストリッパーに成り下がってしまう舞子も、誰よりも歌が好きなのに、歌うことに臆病になり下を向いてばかりいる天沢も、淳一先生を誰よりも尊敬しそばで見守りながらも、先生と自分の価値観の違いに苦しむ桜木も、中原淳一を見出し自分が育てたことだけを過信しすがりつく山嵜編集長も、こだわりを捨て流行を真似て、淳一先生とは真逆の道をいく五味も、みんなみんな完璧じゃないからこそ魅力的で。
迷いながら、ぶつかりながら、うつむきながら、それでもまっすぐ前を向いて生きていく姿に誇らしささえ感じました。
きっとみんながみんな役のことを愛し、役と共に生きて、絆を育んできたんだろうなと思えるカンパニーで。
そしてみんな本当に「それいゆ」が愛しくてしょうがないんだろうなあ、と。
こんな愛に溢れた舞台を、生で体感できて、愛を受け取れて、観客である私も幸せでした。

そんな中でも、特に初演よりも純度を増しているなあと思ったシーンのことを残しておきたいと思います。
ひとつは、少女の友を降りた淳一先生に、少女の友に戻って挿絵を描いてよと舞子がすがるシーン。
ここだけじゃなくて全体的に日奈子ちゃん演じる舞子の純度が抜群だったんだけど、特にここは目立っていたなあ。
初演よりずっとずっと真っ直ぐで純粋だから、それゆえのわがままで独りよがりな思いも強くて。
ただただ淳一先生の画が大好きで、あの挿絵だけが希望で、なのにある日突然その希望すら奪われて、もう辛い現実しか残されていない悲しみでいっぱいで、その自分の悲しさをただただぶつけているみたいな盲目さも、幼さも、それすら愛しいなあ、美しいなあ、と思ってしまう。
舞子の真っ直ぐで純粋すぎる「わがまま」が、より一層淳一先生に憧れていて、淳一先生の描く挿絵が大好きなんだって伝わってきて胸がギュッとなったシーンでもありました。
日奈子ちゃん、見る度に毎回ポロッポロ泣いていたから、毎公演毎公演こんなに泣いてるのかなって思って、ああ本当に身を削って舞子として生きてるんだろうなって。
淳一先生も「舞子くん」って呼ぶ声が最後の方は荒くなって、なだめながらもどこか寂しそうな顔で舞子を見てるのが繊細で細かい演技だなあと思いながら見てました。

そしてもうひとつは、最後の淳一先生の独白のシーン。
「もう誰も美しさなんて求めない」と罵られ、自分の求めている理想を否定されて、もがき苦しみながら倒れたあと。
天沢さんに見つけられ目を覚ました淳一先生の錯乱した姿が痛々しくて苦しみが伝わってくるようですごかった……。
初演のときは、疲れたように静かに天沢さんに身を委ねるのが印象的だったけど。
今回は「僕は……この作品を完成できないまま消えていくのか……!」と叫びながらのたうち回る淳一先生で。
天沢さんに抱きしめられながら落ち着きを取り戻していく淳一先生が、なんとも脆くて危うい「人間」で、それがもうどうしようもないくらい愛しかった。
天沢さんに抱きしめられる淳一先生はどこか小さく見えて、あんなにキラキラした明るい人なのに、腕の中にいるのはこどもみたいにちっぽけなただの人間で。
すがりながら胸に埋まる淳一先生は、弱くて儚い普通の人間で。
初演よりももっともっと深みの増した、淳一先生の苦しみの表現が胸にグサッと刺さりました。
そして弱くて儚くて脆いのに、その姿はなによりも誰よりも美しく映って、ああこういうことなんだなって。
美しく生きるってこういうことなんだってスッと胸に降りてくるみたいな感覚も強くて。
表面だけの「美しさ」ではなくて、必死にもがいて、追いかけて、悩んで、戦って。そうやって一生懸命生きることなんだろうなって。
「美しい」って見た目の「姿や形」のことではなくて、そういう「生き方」なんだとこの淳一先生を見ていてありありと伝わってきました。
外見や外側ではない、内側からあふれる「美しさ」ってこんなにも眩しくて愛しくて切ないんだなあって知れた気がします。
そしてその「生き方」の純度が、もう本当にめちゃくちゃに高くて、不純物が一切なくて。こんなに必死なのに淳一先生はどこまでいっても「純白」で「清廉」で。
1度も染まらない、ずっと「真っ白」のまま。
信念を貫く「強さ」を他人にも求めてしまう傲慢さもあるけど、かといって他人を認めないわけではなく「こういう生き方もある」っていうことをきちんと理解していて、でもそれをこのままでいいのかと問いかけてしまうのは、純粋だからで。そんなたくさんの矛盾を抱えながら、いろんな感情と共生している淳一先生は強くて美しい人だなあと。
初演と変わらず、私が憧れている、淳一先生だなあ、と。
まあ、演じてるのが優馬くんだから、ただ単に見た目もすごく綺麗な淳一先生なんですけどね。でもそれと相まって、より一層内側から、その生き様からあふれる淳一先生の「美しさ」が際立っていたなあと思いました。言うなれば、美と美の相互作用みたいな。
ほんとうに美しかったなあ……。
「完璧な造形美」とは本当に「中原淳一」そのものだなあ、と。

そして初演の時からずっとずっと、心に残っているラストシーンのことも。
再演が決まったときからこの光景がもう一度見れるんだって楽しみにしていたんですけど、見た瞬間に焼き付けなきゃっていう猛烈な焦りに駆られて。
ああ私ずっとこの瞬間を待ってたんだなって思わずにはいられなかった。
あの美しい、完璧な造形美が最後ね、大輪のひまわりの海に囲まれるんですよ。
底抜けに明るい黄色のひまわりが舞台を埋め尽くしていて豪華だけど決して派手じゃなくて。むしろ素朴で柔らかい、まるで人間が生まれたときに初めて見る原風景みたいなあの景色が大好きで。
再演でのこのシーンも本当に美しかった。
……本当に美しかった。それしか言えない私の語彙力のなさを呪いたいくらいで、とにかく私の中ではこの世で一番美しい光景って言っても過言じゃないくらい。
少なくとも私の20年間の人生で見た景色の中では、一番美しいと言える。
このラストシーンのための物語なんじゃないかって、この優しくて温かいラストシーンのために淳一先生は苦しんでもがき続けたんじゃないかって思うくらい。
いっつもこのひまわりの海に佇む淳一先生を見ると、一瞬にして浄化されて、淳一先生の思いが報われた気がして。
美しく生きた淳一先生の物語の最後にふさわしい景色で、柔らかく射す光に向かって淳一先生が手を伸ばした瞬間にどうしても泣けてしまうんです。
個人的には今回かなり前の席のドセンで観劇する機会があったんですけど、その時のこのシーンの美しさったら。
目の前で淳一先生がひまわりに向かって歩いて、光の中に消えて行くから、本当に眩しくて。一瞬光で何も見えなくなったときに天国ってこんな感じかなと思わず川を渡りかけました。
いやでも割と大真面目に死ぬ前にみる景色はこの光景がいい、この光景を死ぬ前に見れたら幸せだ、と思っている(笑)


そして個人的な話のついでなんですけど、私は神戸公演のみの観劇でしたが、新神戸オリエンタル劇場もとっても素敵でした。
コンパクトで重厚感があって、落ち着いた雰囲気で。それいゆの世界に浸るにはぴったりの、そしてなによりオシャレな淳一先生にぴったりの劇場だった。
初日は中原先生の御命日ということもあり、美を表す数字「6」にちなんで6本のひまわりが来場者にプレゼントされたのですが、すごく素敵な心配りと美しく生命力にあふれたひまわりで心が洗われるようでした。
優馬座長がくじを引きながら、ワイワイしているそれいゆカンパニーが微笑ましくて、ツッコんだりボケたりそれに笑ったりと普段の様子が垣間見えたのも嬉しかったなあ。それいゆカンパニーに仲間入りしたみたいなくすぐったさがあって、劇場から出た後もフワフワしてしまいました。
そして千秋楽には盛大な拍手が送られていて、それを嬉しそうにそして誇らしそうに受け止める清々しいカンパニーの姿に胸がグッと熱くなったりして。
終わってしまう寂しさと、無事に乗り越えられた達成感と、この舞台への愛情と、様々な感情が舞台上に転がっていてこれまた愛しかったなあ。
いつのまにか淳一先生や優馬くんだけじゃなく、このカンパニーとこの「それいゆ」という舞台も愛していたんだなあと気付かされました。

あとは優馬くんが最後のあいさつで「この「それいゆ」という舞台が、皆様の心に大輪のひまわりとなって咲き続けますように。」と言っていて、それがあまりに美しい言葉で、優馬くんから出たとは思えなくて(失礼すぎるけどw)、すごくビックリして。
優馬くんってあんまり言葉数も多くないし、当たり障りのないこと言ってたりする印象だったんですけど笑、今回どの挨拶も本当に語彙力が豊かだし、とにかく美しい言葉ばかりで、これは絶対木村道場のおかげだよなあっていうのもぼんやり思っていました笑。
もちろん淳一先生として生きていく中で出会った言葉もあったんだろうけど、自分の思いや事実だったりを思っていることと同じくらい正確にアウトプットするようになっていたのは「どうしてこう動いた?」「なんでそう思った?」っていうのを木村道場を通して何度もやってきたからなんだろうなあと思って。
今回の再演に関してのインタビューでもそれいゆについて語る優馬くんの言葉がどれも本当に的確で、言葉や語彙力が自分の思いに追いついてきたみたいにスラスラ語っているのをみるとね、ずっと見てきている身としては「すごいです」「素敵な作品です」くらいしか言えなかった10代の可愛い優馬くんのこと思い出すのです…あれはあれで可愛かったから一抹の寂しさみたいなものある…。
まあね、優馬くんは多くは語らなくても身体で表現して、自分の存在で語ってきた人だったからそれに関して不満に思った事は一切ないんですけどね。
だけど今の優馬くんはそれにプラスして、ちゃんと自分の思いもしっかりとした言葉で語れるようになっていてもう「大人」だなあと思った再演でもありました。

今回優馬くんにとっても生まれて初めての再演で。そして応援する優馬担にとっても初めての再演。
すごくいろんな感情と出会えたんじゃないかなあと私は感じています。
特に初演の時には見えなかったものが見えたりして、気持ち的に余裕があったのは大きいことだったなあと思う。
だからこそカンパニー自体のすごさにも気付けたし、ひとまわりもふたまわりも成長したカンパニーをじっくり見れた気がした。
そして再演をして分かったのは、どちらも素敵だっていうことで。
優馬くんやキャストは、初演でも100%だったから再演はそれ以上を、よりよいものをって言っていたけれど。
私にとってはどちらも100%で十分だったな、と。超えるとか超えないとかではなく、初演は初演の、再演は再演の良さがあったから、良い意味で別物だと思っていたなあ。
ただ再演は純度がすごく高くて、初演よりも不純物がなくなっていたなあという印象はあって。でもそれは初演からずっとこのカンパニーがそれを追い求めていたからで、その追い求めていたものが再演でより追いついて昇華されたのかなあと感じました。
そして何より感じたのは、初演を経て再演に挑んだカンパニーの結束と、作品に対する大きな愛情で。
ずっと言ってるけど、大きな愛に包まれた素敵なカンパニーだなあと。
そんなみんなをまとめているのが優馬くんだと思うと、誇らしい気持ちにもなるし、嬉しくなる。そして何よりカンパニーみんながお互いを思いあっていて、その中にもちろん優馬くんも含まれていて、みんなから大切にされている優馬くんを見るのは本当に幸せだなあと思いました。
そして優馬くんもきっとそれに対してちゃんと返して大切にできる人なんだろうなって思うから、改めて素敵な作品とカンパニーに出逢えたんだなあと、優馬くんの強運に感謝しました。




最後に。
優馬くんが大千秋楽の最後のカーテンコールの挨拶で「上向いて、胸張って、前!」って言ってくれたこときっとこれから何度も思い出します。
「それいゆ」はずっと私の心の中の大輪のひまわりとして咲き続けるだろうなと思います。辛くなった時、苦しくなった時、思いだして太陽に向かって咲くひまわりに救われるんだと思います。そして淳一先生のことを思う時、それいゆの事を思い出すとき、優しく揺れるひまわりに落ち着くんだと思います。
そんなこれから先、どんなときも心にあり続けるであろう素敵な舞台でした。再演の「それいゆ」も最高でした。
ありがとうございました!
カンパニーの皆様がこれからもご活躍されますように!そしてまた違うどこかでも再会できますように!それゆけ、それいゆ!
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