君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

アイドルとアイデンティティ、私が出会ったBTS

 

「アイドルになるために生まれてきた」

そんなフレーズで飾られているアイドル達をよく見る。その人たちがアイドルであるためにしている努力はきっと計り知れないし、根っからのアイドルなんて私はいないと思っている。

いや正確には、ひとりの人間として生まれて、そしてステージに立った日にもう一度アイドルとしての自分が生まれている、と言った方がいいかもしれない。2人は同じように見えて、少し違う。全く同じようには同居しない。

なぜなら、アイドルではアイデンティティが最優先されないから。こうあるべきだ、こう見えるというキャラクターが少なからずあって、パフォーマンスやグループのコンセプトに沿った展開があって、その中でアイドルとしての人格を確立していくから。個人の人間性はそれが確立してからだんだんとファンに浸透していく。だからこそ、少しずつズレが生まれてくる。アイドルとしての自分と本来の自分。きっとズレがないアイドルは幸せだ。そのアイドルこそが「アイドルになるために生まれてきた」のだろう。ただそんなアイドルがいたとしてもほんの一握りで、あとはきっと自分のアイデンティティと戦い続けている人ばかりだろう。そして更に現代のアイドルは1人では成立しない。グループとして戦い続ける限り、人数分の意見があるし、その分個人より組織を優先する場面が多い。時には自分の思いではないこともあるし、組織の一部として認識される時間の方が長い。この2つがより一層2人の自分の乖離を深めるし、活動する期間が長ければ長いほど2人を両立するのは難しいだろう。

 

私はここ数年を通してそれを痛感してきた。アイドルとしての自分と本来の自分、どちらかを選択する人、自分の未来とグループとしての未来、どちらかを優先する人、どの結果も悲しかったし、ただただ寂しかった。何より残された人たちを今までのように見る勇気が自分にはないのが申し訳なくなった。好きだった分、空いた一つの穴が、みんなが一緒にいない未来が考えられなくて離れてしまった。

 

そして少しでも寂しくならないように、何があっても良いように、準備をするようになった。もしかしたらこれが最後かもしれない、今見とかなきゃ後悔するかもしれない、そんなタラレバを頭に置くようになった。それで寂しさがなくなるわけじゃないけど、永遠はない、それを刻むことでその時が来ても立っていられるようにしたかったんだと思う。なぜか私が応援するグループは、そういう運命にあるような気がしていたから。

 

そんな私に憑いてたであろう疫病神も大人しくなって、しばらく穏やかな日々を過ごしたなと思っていたけれど。それはやっぱり訪れるもので。

私がコロナ禍に突如出会ったBTSにも、その日は訪れた。出会った時にはすでに世界に名を馳せるスーパースターで、今更感が凄かったのだろうが、私にして見ればこのタイミングで出会えたことが運命みたいな人たちだった。

 

BTSは本来ならONをリリースして1年規模のワールドツアーを行ったあと、個人活動に入る予定だったみたいだが、コロナ禍で予定が狂い、その結果Dynamite、Butterという空前絶後BTSブームを巻き起こしていた。本人たちからしてみればきっと予定になかった、棚からぼたもちくらいの功績だったのかもしれないが、その背景には計り知れない苦悩があったのだろうなと会食を見ていて思った。

 

私はそんな彼らにとってイレギュラーだった時間に、彼らと再会を果たした。記憶に残っていたヤンチャな不良集団は、コロナ禍の私を本物のDynamiteのごとく明るく眩しく照らしてくれる存在になった。特に去年は仕事面に関して本当に本当に辛くて、もうダメかもしれない、明日が来るのが嫌だとほぼ毎日眠れなかった私にとって、彼らの存在と楽曲は唯一の癒しだった。もう何も出来ないと思っても、不思議と歌声を聴くとちゃんと涙が出たし、そのことに猛烈に安心してしまう自分がいた。私は優しく誰にも寄り添おうとする彼らの歌声に、悩みも重圧も跳ね除けていく力強い楽曲に、とにかく元気をもらった。そうやって彼らのお陰でなんとか最後までやり遂げることが出来たし、自分のこれからを考えた最善の選択ができたと思う。これから始まる新生活でもきっと彼らの音楽が私の活力になるだろう。

 

彼らにとっては悩み迷った時間だったかもしれないけど、そんな彼らにすら私は元気を貰っていた。そんなことを微塵も感じさせずに明るいエネルギーだけを与え続けた彼らのことを今改めて尊敬する。本当にすごい人たちだと思う。比べるものじゃないけど私の悩みなんかより遥か上で戦っていた人たちだ。そう思うと私もなんだって出来るような気になる。

 

そんな彼らが新しいフェーズに入ったこと。訪れたその日にたしかに寂しさはあった。一度会ってみたいと思ってたからその機会に巡り会えなかったこと、7人がただただ楽しく笑ってる姿があまり見れなくなってしまうこと…あげればキリがないけれど。でも私はその寂しさや喪失感よりも、彼らが正直に語ってくれた言葉に物凄い安心感を覚えていた。彼らが語った言葉もまた、いつか聞いた「アイドルとしての自分と本来の自分」「個人としてやりたい事」「一度自分の人生を考えたい」あの選択をしていった人たちと同じで。そして彼らにしか分からないプレッシャーや期待に応える重圧。グラミー賞や、国連スピーチ、ホワイトハウス招待、もはやアイドルとしての域を超えているような凄まじいイベントの中で、みんなが必死に「自分」を見失わないようにしていたことに胸がギュッとなった。だからそんな彼らが、一度止まりたい、それぞれのしたいことをしたいと決めたこと、そしてその意見を周りが尊重したこと、そこにまずは安心してしまった。

 

そりゃそうだ。どれだけ凄いと言われても、スーパースターだと華々しく紹介されても、その前にひとりの人間だし、その人間が7人集まったのがBTSなのだ。きっと「BTS」だけが一人歩きして、個人にまで目が届いていなかったこと彼らが1番感じているだろうな。それもあっての個人活動なのだろうな、と。ここからは1人ひとりにフォーカスしてもらう、そしてそこが集まってBTSになるフェーズなのだろうな、と。

 

彼らが彼ら自身の言葉で話してくれたから、全部ではないけど今出来る精一杯で伝えたのだと教えてくれたから私にはすごく腑に落ちた。そして何よりも7人で選んだこの答えが、永く一緒にいるための最善の策だと言ったことに凄いなと思った。この答えを7人で出せることが、全員の個人活動へのモチベーションが一致していることも、全員がBTSを居場所だと思っていることが、私は違う道を選んだ人たちを知っているし、その寂しさを知っているから、余計に奇跡に思えた。ああ、めちゃくちゃ信頼出来る人たちだな、と。アイドルを応援していてはじめての感情だったように思う。

 

私はアイドルという存在に元気をもらっている人だから、自分を抑える瞬間があっても、個人よりグループを優先する時間が長くてもアイドルでい続けてくれる人を尊敬する。いつでも自分というアイデンティティを守りながら、ファンの求めるパフォーマンスや活動をするアイドルは凄い。同時にアイドルとアイデンティティが両立出来ないことに歯痒くなる。アイドル寿命が昔より伸びている今、ファンはこのジレンマをアイドルと一緒に乗り越えないといけないと思っている。推しと永く一緒にいるための戦いは、ファンも一緒に背負うべきだ。

 

それをBTSは今、一緒にやってみようと語りかけているような気がした。好きなアイドルがアイデンティティを優先する時間を許して欲しいと泣きながら話すのは、なんか少し切なかったけど、でもいつかこれが当たり前になって、アイドルも私たちと同じとまではいかなくても、今よりも少しだけでもいいからアイデンティティを大事にしながら永く歩いていける職業になればいいなと思いました。BTSは私が出会った中で、間違いなく一番のスーパースターなのでやってのけそうな気さえします。まあ無理はしなくていいけど、出来なかったら出来なかったでいいから、7人で仲良く笑ってて欲しい。最悪それで十分です。

 

ああ、予防線を張って生きてきたのに。永遠はないとまず覚悟を決めて応援することにしてたのに、第一章の最後にあんなに真っ直ぐな楽曲を届けて、どうしてくれるんだ。また永遠を信じたくなるグループに出会ってしまったもんだ。嬉しいような、複雑なような。まあまた7人に会える日を楽しみに、これからも日々を過ごします。とにかく、この2年私を支えてくれて本当にありがとう。

これからの7人にも絶対絶対幸せな雨しか降りませんように!!!!!!!!!!!!!