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君の名は希望

どんな時も君がいることを信じてまっすぐ歩いて行こう

愛しい私の『それいゆ』について。

初演から数ヶ月。
こんなにすぐ淳一先生に会えると思わなかった。
初演からたった数ヶ月。
こんなに濃密に変化すると思わなかった。
私にとって、すべてが予想外の「再演」でした。
初演を見た時から、ずっと胸の中にあり続けるだろうなと確信するほど、静かで、激烈な感情を覚えて。
再演でまた私は何を感じるだろうと、楽しみにしていたけど。
予想外で、予想以上でした。

再演で感じたのは「愛しさ」だった。
キャラクターに対しての、愛情だった。
ちょっとビックリした。
正直に言うと、初演ではまったくと言っていいほど淳一先生に共感ができなくて。
もちろん先生の生き方に感じるものはたくさんあったし、確かに「美しい」と思えた。
でも桜木さんじゃないけれど「私は先生とは違う」とも思っていた。
どちらかと言うと私も、桜木さんのように「求められたものを」というタイプだ。
だから初演の時は、少し理解するのに時間がかかったし、感情移入は、淳一先生の気持ちに寄り添うことは、最後まで出来なかったように思う。
だからこその尊敬でもあったし、天才だとも思えた。
それはそれで自分なりに間違いではないと思っているけど。
初演の淳一先生は私にとっては、やっぱりどこか「異質」な「変わった人」で。
私は淳一先生から離れていった、桜木さんや舞子ちゃん、山嵜編集長の方がよっぽど人間らしいと感じていた。
人並みに劣等感を感じて、世の中と折り合いをつけている人たちにどうしても人間味を感じていた。

そんな初演だったので、まさか再演で「愛しさ」を感じるなんて思ってなくて。
自分の中の感情に驚いた。
物語もキャラクターの設定も、大きく変わっているわけでもないのに。
「異質」で「変わった人」なことに変わりはないんだけど、前よりも圧倒的にチャーミングで、ひとが大好きでっていう人間味も感じたし、好きなものに対してまっすぐで純粋な無邪気さもあって。そしてなにより美しさだけを追い求める姿がグッと純度を増していて。
「変わった人だけど、可愛い人」っていう人物像がハッキリしていたのが印象的だったなあ。
淳一先生を形どる輪郭みたいなものが前よりも分かりやすかったような気がした。
だからこそ「可愛い人だなあ。愛しいなあ。」っていう感情に行き着いて、前よりずっと人間らしい淳一先生で、ああ私と一緒なんだ、淳一先生も人間なんだっていう「共感」にも繋がった。
そして普段は人当たりの良い、柔らかくて無邪気な印象を受けるからこそ、逆に孤独感だったり、ひとり深く堕ちていく闇が際立ってより淳一先生の葛藤や不安が浮き彫りになっていくコントラストも面白かった。
もちろん初演の淳一先生も素敵なんだけど、再演の淳一先生はもっともっと好きになれたなあ。
そしてそれは、優馬くんが初演を通して、淳一先生に対して愛情を深めたせいでもあるんだろうなあと思いました。
初演よりも圧倒的に淳一先生が馴染んでいたし、優馬くん自身が「中原淳一」に対して愛情と尊敬を持っているのが演技から伝わってきた。そしてその美しい淳一先生に近づくために、まさに淳一先生の言っていた「自身の生き方、魂を極限まで磨き上げて、純度を高めて挑む」を体現しているように感じた。
だから中原淳一という人の「容れ物」として、中山優馬はこんなにも適していたんだろうな。
優馬くんの演技、仕草、口調、視線ひとつひとつに丁寧さを感じて、まるで自分の中に存在する中原淳一を楽しんでいるように私には見えました。
それは淳一先生だけじゃなくて、他のキャラクターも同じで。みんな初演より輪郭がハッキリしていて「愛しさ」が増していました。
淳一先生の描く挿絵が何よりも大好きで、生きる希望で、それだけを頼りに生きていたのにストリッパーに成り下がってしまう舞子も、誰よりも歌が好きなのに、歌うことに臆病になり下を向いてばかりいる天沢も、淳一先生を誰よりも尊敬しそばで見守りながらも、先生と自分の価値観の違いに苦しむ桜木も、中原淳一を見出し自分が育てたことだけを過信しすがりつく山嵜編集長も、こだわりを捨て流行を真似て、淳一先生とは真逆の道をいく五味も、みんなみんな完璧じゃないからこそ魅力的で。
迷いながら、ぶつかりながら、うつむきながら、それでもまっすぐ前を向いて生きていく姿に誇らしささえ感じました。
きっとみんながみんな役のことを愛し、役と共に生きて、絆を育んできたんだろうなと思えるカンパニーで。
そしてみんな本当に「それいゆ」が愛しくてしょうがないんだろうなあ、と。
こんな愛に溢れた舞台を、生で体感できて、愛を受け取れて、観客である私も幸せでした。

そんな中でも、特に初演よりも純度を増しているなあと思ったシーンのことを残しておきたいと思います。
ひとつは、少女の友を降りた淳一先生に、少女の友に戻って挿絵を描いてよと舞子がすがるシーン。
ここだけじゃなくて全体的に日奈子ちゃん演じる舞子の純度が抜群だったんだけど、特にここは目立っていたなあ。
初演よりずっとずっと真っ直ぐで純粋だから、それゆえのわがままで独りよがりな思いも強くて。
ただただ淳一先生の画が大好きで、あの挿絵だけが希望で、なのにある日突然その希望すら奪われて、もう辛い現実しか残されていない悲しみでいっぱいで、その自分の悲しさをただただぶつけているみたいな盲目さも、幼さも、それすら愛しいなあ、美しいなあ、と思ってしまう。
舞子の真っ直ぐで純粋すぎる「わがまま」が、より一層淳一先生に憧れていて、淳一先生の描く挿絵が大好きなんだって伝わってきて胸がギュッとなったシーンでもありました。
日奈子ちゃん、見る度に毎回ポロッポロ泣いていたから、毎公演毎公演こんなに泣いてるのかなって思って、ああ本当に身を削って舞子として生きてるんだろうなって。
淳一先生も「舞子くん」って呼ぶ声が最後の方は荒くなって、なだめながらもどこか寂しそうな顔で舞子を見てるのが繊細で細かい演技だなあと思いながら見てました。

そしてもうひとつは、最後の淳一先生の独白のシーン。
「もう誰も美しさなんて求めない」と罵られ、自分の求めている理想を否定されて、もがき苦しみながら倒れたあと。
天沢さんに見つけられ目を覚ました淳一先生の錯乱した姿が痛々しくて苦しみが伝わってくるようですごかった……。
初演のときは、疲れたように静かに天沢さんに身を委ねるのが印象的だったけど。
今回は「僕は……この作品を完成できないまま消えていくのか……!」と叫びながらのたうち回る淳一先生で。
天沢さんに抱きしめられながら落ち着きを取り戻していく淳一先生が、なんとも脆くて危うい「人間」で、それがもうどうしようもないくらい愛しかった。
天沢さんに抱きしめられる淳一先生はどこか小さく見えて、あんなにキラキラした明るい人なのに、腕の中にいるのはこどもみたいにちっぽけなただの人間で。
すがりながら胸に埋まる淳一先生は、弱くて儚い普通の人間で。
初演よりももっともっと深みの増した、淳一先生の苦しみの表現が胸にグサッと刺さりました。
そして弱くて儚くて脆いのに、その姿はなによりも誰よりも美しく映って、ああこういうことなんだなって。
美しく生きるってこういうことなんだってスッと胸に降りてくるみたいな感覚も強くて。
表面だけの「美しさ」ではなくて、必死にもがいて、追いかけて、悩んで、戦って。そうやって一生懸命生きることなんだろうなって。
「美しい」って見た目の「姿や形」のことではなくて、そういう「生き方」なんだとこの淳一先生を見ていてありありと伝わってきました。
外見や外側ではない、内側からあふれる「美しさ」ってこんなにも眩しくて愛しくて切ないんだなあって知れた気がします。
そしてその「生き方」の純度が、もう本当にめちゃくちゃに高くて、不純物が一切なくて。こんなに必死なのに淳一先生はどこまでいっても「純白」で「清廉」で。
1度も染まらない、ずっと「真っ白」のまま。
信念を貫く「強さ」を他人にも求めてしまう傲慢さもあるけど、かといって他人を認めないわけではなく「こういう生き方もある」っていうことをきちんと理解していて、でもそれをこのままでいいのかと問いかけてしまうのは、純粋だからで。そんなたくさんの矛盾を抱えながら、いろんな感情と共生している淳一先生は強くて美しい人だなあと。
初演と変わらず、私が憧れている、淳一先生だなあ、と。
まあ、演じてるのが優馬くんだから、ただ単に見た目もすごく綺麗な淳一先生なんですけどね。でもそれと相まって、より一層内側から、その生き様からあふれる淳一先生の「美しさ」が際立っていたなあと思いました。言うなれば、美と美の相互作用みたいな。
ほんとうに美しかったなあ……。
「完璧な造形美」とは本当に「中原淳一」そのものだなあ、と。

そして初演の時からずっとずっと、心に残っているラストシーンのことも。
再演が決まったときからこの光景がもう一度見れるんだって楽しみにしていたんですけど、見た瞬間に焼き付けなきゃっていう猛烈な焦りに駆られて。
ああ私ずっとこの瞬間を待ってたんだなって思わずにはいられなかった。
あの美しい、完璧な造形美が最後ね、大輪のひまわりの海に囲まれるんですよ。
底抜けに明るい黄色のひまわりが舞台を埋め尽くしていて豪華だけど決して派手じゃなくて。むしろ素朴で柔らかい、まるで人間が生まれたときに初めて見る原風景みたいなあの景色が大好きで。
再演でのこのシーンも本当に美しかった。
……本当に美しかった。それしか言えない私の語彙力のなさを呪いたいくらいで、とにかく私の中ではこの世で一番美しい光景って言っても過言じゃないくらい。
少なくとも私の20年間の人生で見た景色の中では、一番美しいと言える。
このラストシーンのための物語なんじゃないかって、この優しくて温かいラストシーンのために淳一先生は苦しんでもがき続けたんじゃないかって思うくらい。
いっつもこのひまわりの海に佇む淳一先生を見ると、一瞬にして浄化されて、淳一先生の思いが報われた気がして。
美しく生きた淳一先生の物語の最後にふさわしい景色で、柔らかく射す光に向かって淳一先生が手を伸ばした瞬間にどうしても泣けてしまうんです。
個人的には今回かなり前の席のドセンで観劇する機会があったんですけど、その時のこのシーンの美しさったら。
目の前で淳一先生がひまわりに向かって歩いて、光の中に消えて行くから、本当に眩しくて。一瞬光で何も見えなくなったときに天国ってこんな感じかなと思わず川を渡りかけました。
いやでも割と大真面目に死ぬ前にみる景色はこの光景がいい、この光景を死ぬ前に見れたら幸せだ、と思っている(笑)


そして個人的な話のついでなんですけど、私は神戸公演のみの観劇でしたが、新神戸オリエンタル劇場もとっても素敵でした。
コンパクトで重厚感があって、落ち着いた雰囲気で。それいゆの世界に浸るにはぴったりの、そしてなによりオシャレな淳一先生にぴったりの劇場だった。
初日は中原先生の御命日ということもあり、美を表す数字「6」にちなんで6本のひまわりが来場者にプレゼントされたのですが、すごく素敵な心配りと美しく生命力にあふれたひまわりで心が洗われるようでした。
優馬座長がくじを引きながら、ワイワイしているそれいゆカンパニーが微笑ましくて、ツッコんだりボケたりそれに笑ったりと普段の様子が垣間見えたのも嬉しかったなあ。それいゆカンパニーに仲間入りしたみたいなくすぐったさがあって、劇場から出た後もフワフワしてしまいました。
そして千秋楽には盛大な拍手が送られていて、それを嬉しそうにそして誇らしそうに受け止める清々しいカンパニーの姿に胸がグッと熱くなったりして。
終わってしまう寂しさと、無事に乗り越えられた達成感と、この舞台への愛情と、様々な感情が舞台上に転がっていてこれまた愛しかったなあ。
いつのまにか淳一先生や優馬くんだけじゃなく、このカンパニーとこの「それいゆ」という舞台も愛していたんだなあと気付かされました。

あとは優馬くんが最後のあいさつで「この「それいゆ」という舞台が、皆様の心に大輪のひまわりとなって咲き続けますように。」と言っていて、それがあまりに美しい言葉で、優馬くんから出たとは思えなくて(失礼すぎるけどw)、すごくビックリして。
優馬くんってあんまり言葉数も多くないし、当たり障りのないこと言ってたりする印象だったんですけど笑、今回どの挨拶も本当に語彙力が豊かだし、とにかく美しい言葉ばかりで、これは絶対木村道場のおかげだよなあっていうのもぼんやり思っていました笑。
もちろん淳一先生として生きていく中で出会った言葉もあったんだろうけど、自分の思いや事実だったりを思っていることと同じくらい正確にアウトプットするようになっていたのは「どうしてこう動いた?」「なんでそう思った?」っていうのを木村道場を通して何度もやってきたからなんだろうなあと思って。
今回の再演に関してのインタビューでもそれいゆについて語る優馬くんの言葉がどれも本当に的確で、言葉や語彙力が自分の思いに追いついてきたみたいにスラスラ語っているのをみるとね、ずっと見てきている身としては「すごいです」「素敵な作品です」くらいしか言えなかった10代の可愛い優馬くんのこと思い出すのです…あれはあれで可愛かったから一抹の寂しさみたいなものある…。
まあね、優馬くんは多くは語らなくても身体で表現して、自分の存在で語ってきた人だったからそれに関して不満に思った事は一切ないんですけどね。
だけど今の優馬くんはそれにプラスして、ちゃんと自分の思いもしっかりとした言葉で語れるようになっていてもう「大人」だなあと思った再演でもありました。

今回優馬くんにとっても生まれて初めての再演で。そして応援する優馬担にとっても初めての再演。
すごくいろんな感情と出会えたんじゃないかなあと私は感じています。
特に初演の時には見えなかったものが見えたりして、気持ち的に余裕があったのは大きいことだったなあと思う。
だからこそカンパニー自体のすごさにも気付けたし、ひとまわりもふたまわりも成長したカンパニーをじっくり見れた気がした。
そして再演をして分かったのは、どちらも素敵だっていうことで。
優馬くんやキャストは、初演でも100%だったから再演はそれ以上を、よりよいものをって言っていたけれど。
私にとってはどちらも100%で十分だったな、と。超えるとか超えないとかではなく、初演は初演の、再演は再演の良さがあったから、良い意味で別物だと思っていたなあ。
ただ再演は純度がすごく高くて、初演よりも不純物がなくなっていたなあという印象はあって。でもそれは初演からずっとこのカンパニーがそれを追い求めていたからで、その追い求めていたものが再演でより追いついて昇華されたのかなあと感じました。
そして何より感じたのは、初演を経て再演に挑んだカンパニーの結束と、作品に対する大きな愛情で。
ずっと言ってるけど、大きな愛に包まれた素敵なカンパニーだなあと。
そんなみんなをまとめているのが優馬くんだと思うと、誇らしい気持ちにもなるし、嬉しくなる。そして何よりカンパニーみんながお互いを思いあっていて、その中にもちろん優馬くんも含まれていて、みんなから大切にされている優馬くんを見るのは本当に幸せだなあと思いました。
そして優馬くんもきっとそれに対してちゃんと返して大切にできる人なんだろうなって思うから、改めて素敵な作品とカンパニーに出逢えたんだなあと、優馬くんの強運に感謝しました。




最後に。
優馬くんが大千秋楽の最後のカーテンコールの挨拶で「上向いて、胸張って、前!」って言ってくれたこときっとこれから何度も思い出します。
「それいゆ」はずっと私の心の中の大輪のひまわりとして咲き続けるだろうなと思います。辛くなった時、苦しくなった時、思いだして太陽に向かって咲くひまわりに救われるんだと思います。そして淳一先生のことを思う時、それいゆの事を思い出すとき、優しく揺れるひまわりに落ち着くんだと思います。
そんなこれから先、どんなときも心にあり続けるであろう素敵な舞台でした。再演の「それいゆ」も最高でした。
ありがとうございました!
カンパニーの皆様がこれからもご活躍されますように!そしてまた違うどこかでも再会できますように!それゆけ、それいゆ!
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