君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

舞台「それいゆ」第1幕

舞台「それいゆ」について、一個人の感想と見解を含めた記事です。

(セリフは忠実に汲み取ったつもりですが、確実ではありません。)

私が今あるありったけの力を使って、この目でみた「それいゆ」を残したいだけですが、お付き合い出来る方はぜひ。

 

  • 語りのシーン

舞台には、真っ黒い台と真っ白い服に身を包んだ淳一だけ。

そこに手を伸ばし淳一はずっと一点を見つめ続ける。

「違う、こうじゃないんだ。」

そうつぶやいて何度も何度も手を伸ばし、角度を変え、向き合い続ける。

私ははじめ、そのシーンを見たとき、何をしているのか分からなかった。

なぜなら、その真っ黒い台には何もないから。

キャンバスがあるわけでもなく、銅像があるわけでもなく、洋服が飾られているわけでもない。

何も無い。あるとしたら、真っ白なもやのような煙と、オレンジに照らされたぼんやりとした光だけ。

だから彼が、何をしているのか、何に対して違うと言っているのか分からなかった。

そしてそのまま一生懸命向き合って、夢中で何かを作っている淳一を囲むように、登場人物たちが現れる。

そして彼が残した詩を読み上げるのだ。

 

もしこの世の中に風にゆれる『花』がなかったら、

人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。

もしこの世の中に『色』がなかったら、

人々の人生観まで変わっていたかもしれない。

もしこの世の中に『信じる』ことがなかったら、

一日として安心してはいられない。

もしこの世の中に『思いやり』がなかったら、

淋しくて、とても生きてはいられない。

もしこの世の中に『小鳥』が歌わなかったら、

人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

もしこの世の中に『音楽』がなかったら、

このけわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

もしこの世の中に『詩』がなかったら、

人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

もしこの世の中に『愛する心』がなかったら、

人間はだれもが孤独です。

 

そして舞台の真ん中で小さく眠りにつく先生を見つめながら、

 

五味「不思議な人でしたねえ。華やかで、地位も名声も金もあって、それでいてどこか満足していない、いつも満たされていない顔をしている。」

元内「彼は時代に求められた天才だった。」

 山嵜「いや、彼は時代を逸脱した天才だった。時代を先取り、いつしか時代に取り残された悲劇の主人公だった。」

 天沢「ひまわりのように鮮やかで、その実、誰よりも不器用な男。」

 

と次々に、先生について語りだす。そしてその過去を振り返るかのように静かに物語は始まっていく。

 

  • アトリエでの出会い

天沢が、舞子に強引に連れられて向かうのは淳一のアトリエ。そこは、まるで外国に紛れ込んだかのような雰囲気で、とても戦時中とは思えない空間だった。

そしてそこにいる中原淳一もまた「異質」であった。真っ白いスーツ、足元まで眩しい純白に包まれる淳一に天沢は衝撃を受ける。アトリエの外では、誰もが窮屈に暮らし、下を向き、我慢をしているのが当たり前だったからだ。天沢もそのうちのひとりだった。大好きな歌も、歌えるようなご時世ではないからと気持ちにふたをする日々。

そんな天沢に、淳一は投げかける。

「歌えばいいんだよ、天沢くん。歌いたいなら、歌えばいい。」

 

物語のはじまりであるこのシーン。実は私はこのシーンこそ、いちばん中原淳一を表していると思っている。戦時下、誰もが国民服を身にまとう中で、それは生地がゴワゴワしていて嫌いだからと真っ白なスーツを着るこだわりの強い人。それはとても「異質」でイレギュラーだ。天沢がおかしいと言ったのは、きっとあの時代にいるとふつうの感性なのだろう。むしろ変なのは時代にまったく対応していない淳一の方。そんな淳一の変人っぷりがいちばん最初のシーンで炸裂している。

人の話を聞いているようで聞いていない、突拍子もなくイチゴの美味しい食べ方の話をする、一番最初という最もインパクトの大きいシーンで、主人公・淳一が「変な人」だと印象を与える。それだけでもうすぐに物語に色がついてグッと引き込まれるから、とても入り込みやすい最初だなと思った。

 

さらに淳一はこうも言う。

「ご時世なんて関係ない。自分自身の夢を妥協なく求めること、大切なのはただそれだけだ。たとえ戦争をしていようとなかろうと僕は同じ生き方をするよ。」

この言葉で、淳一がただの変人でないことが分かる。自分の中に確固たるこだわりを持って、服を着て、好きなものを好きだという生き方をしているのだと。戦争への反発心や拒絶ではなく、この人はただ単に自分の意志に正直な人なんだと。こうして淳一の純粋でただひたすら真っ直ぐな思いに天沢は感化されていくのだ。

 

「咲き誇る花は美しい。色や香り、生命力に満ちているからね。でもその花が枯れてしまっても、人の手で工夫を凝らすことでまた違った美しさを手に入れることができる。生きた花とは別の美しさを得ることができるんだ。これが本質的な美しさだ。」

また淳一はこんな持論も展開する。「本質的な美しさ」淳一がずっとずっと大事にし、追い求めていったもの。ここではドライフラワーを引き合いにして語られる。枯れてしまった花も、人が手を加えることで咲き誇る花と同じになれる。つまり、枯れてしまった花も咲き誇る花も、花である限り本質は同じであって、十分に美しくなる可能性を秘めている。と淳一は言うのだ。

淳一がこのセリフを言うのは、天沢が歌を披露した後だ。淳一は彼に「君にクラシック音楽は向いていない。ポピュラー音楽に転向した方が良い。」と告げたあとにこの話をする。

何の話か分からず、みんな首を傾げるのだが、淳一は本質的な美しさ=天沢の歌声、クラシック音楽=咲き誇る花、ポピュラー音楽=人が手を加えた枯れた花、と例えたかったのではないだろうか。つまり天沢の才能は認めていたが、ただ輝く場所が違うと指摘したかったのだ。たとえポピュラー音楽に転向したとしても、天沢の歌声は美しいと言えばいいのに、わざわざ小難しいたとえ話をするあたりが「淳一先生」だなと思う。

 

  • 「少女の友」の編集長・山嵜とのアトリエシーン

独自のこだわりを持ち続け、それに正直に生きている淳一にとって、戦争とはそれを奪うものでしかなかった。ついには、その影が淳一の足元にも及び「敵性文化であり、華美ゆえに時局に合わない」淳一の挿絵はそう判断されてしまう。当時押しも押されもせぬ人気作家だった淳一をどうしても失いたくない編集長は、彼にもんぺ姿の少女を描くように提案する。そんな提案を淳一はあっさりと放り投げた。

 

「僕がワンピースやスカートをはいた少女の絵を描くのは、贅沢禁止令の中で、オシャレすら許されない少女たちへのせめてものなぐさめなのです。だけど、もんぺは少女たちにとってただの日常だ。そんな挿絵を見て楽しい夢を見ることができますか?」

繊細でまっすぐな淳一の思いさえまかり通らないくらい時代は厳しかった。

 

そんな時代に向かって淳一は言う。

「美しさを愛でる気持ちや、個人の夢まで奪わなきゃ勝てないなら、……そんな戦争負けたっていい。」

あの時代でこの思想はどれだけ過激で反発的だと捉えられたのだろうか。そして自分の言ってることが当たり前のことなのに、それすら許されず過激だと批判されるのはどれほど心が痛かっただろうか。そしてそれでも妥協せずに自分の思いを貫き通しもんぺを描くことを拒絶した淳一の覚悟はどれほどのものだったのだろうか。

私はそんな淳一を、自分の思いに忠実で、明確な意思を持っている、とても強い人。戦争の渦の中に巻き込まれない覚悟を持っている人。そう思っていた。

 

  • 淳一の心の葛藤シーン

でも違っていた。ただ強い人ではなかった。人一倍の覚悟を持ちながら、人一倍の不安とも戦っていた人だった。自分の中から湧いてくる「本当にもんぺ姿の少女を描かなくてよかったのか?」という感情と正面から向き合っている人だった。

白いマントをはおった「もう一人の自分(淳一自身)」なのか「世間(周囲)の声」なのか、はたまた自分が作り上げてきた「作品」なのか、そんな得体のしれない物体に追いかけられることに人一番怖れていた、とても弱い人だった。

 

  •  舞子と淳一「絶交しよう」

淳一が「少女の友」の専属作家を辞めてしまったことを知りショックを受けた舞子は、アトリエで淳一にすがる。

「私も我慢してるから、先生も我慢してよ!我慢して少女の友に挿絵を描いて!!!!!」

悲痛な彼女の叫びは、とてもわがままで無茶なお願いだった。でもきっとそれくらい、彼女や当時の少女たちにとって淳一の画は生きる希望であり、戦争を忘れられる唯一の楽しみだったのだろう。しかし、淳一にも曲げられない信念があった。

「舞子くん。君もわがままだし、僕もわがままだ。だから絶交しよう。今後一切このアトリエに出入りするのは遠慮してくれたまえ。」

こうしてふたりはすれ違う。涙をいっぱいためた舞子に突き飛ばされた淳一が少し悲しそうにうつむくのがすごく切なかった。舞子の思いも分かるし、淳一の突き通したい信念も分かる分、ぶつかって交わらなくなってしまった思いが痛かった。淳一は夢見る少女のために「もんぺを描くくらいなら」と降板したのに、その少女はもんぺを描いてでも辞めないでとすがる、矛盾した二つの欲求が相手を強く思うが故の衝突なのが歯がゆかった。

 

  • 五味と淳一、出会う

舞子の婚約者である実業家・五味。彼との出会いもまた淳一に影響を与えて行く。

「あなたの作るものは素晴らしい。当たり前だ、本物なんだから。でも例えばもし、このドライフラワーのまわりに似たような花を置いたとして、果たして何人の人が本物の花を選ぶでしょうねえ。この世の中にはね、偽物でも満足だという人もいる。だから私の商売が成り立っているんですよ。」

もちろん偽物は決していいものではない。彼もきっと誇りを持ってしているわけではないだろう。でも売る人が、作る人とが悪いのは当たり前だが、買う人がいるから成立するのが商売だ。この商売が成り立っているのはそういう「妥協した、なんのこだわりも持たない人」つまり淳一とまったく真逆の者がいるからなのだ。五味は正攻法ではないし決して綺麗とは言えないが、彼もまた人間をよく知るうえで自分の意志を持つ男だった。こだわりを持たない、流行ったものを次から次へと真似ていき世を渡っていく、そんな淳一とはまったく真逆のこわりを持っていた。言うなれば、こだわりを持たないという「こだわり」だ。

 

そんな現実を突き付けられた淳一は、「帰ってくれ!!!!」と五味に怒鳴る。そして疲れた顔で天沢に尋ねるのだ。「君はどう思う?」それに天沢は、僕はあなたの信念や生き方を否定する気はないと言い切ります。 

「歌いますよ、僕は。もう時代のせいにして下を向くのはごめんです。」

彼は淳一と出会ったことで、我慢をして下を向いていた自分と決別し始めていた。歌えばいいと言われて、淳一の前で歌った喜びがきっと、彼の心を満たしたのだと思う。そんな天沢に嬉しそうに微笑んだ淳一は「見せたいものがある」と告げる。きっとこのとき、淳一は天沢に本当に心を開き、この人になら「僕」を見せてもいいと思ったのだろう。

 

このシーンは、淳一と天沢の距離が一気に近くなり、心が寄り添い始める一方で、ずっと淳一のそばにいて、彼を支え続けてきた桜木との歯車が狂い始めるきっかけともなっている。「桜木くん、今日はもういいよ。」と言われ、静かに頷いて蓄音機を止めにいく桜木の顔はどこか淋しげで、胸が痛くなる。と同時に「ずっとそばにいたのは僕なのに…」「先生のことなら僕が一番分かってるのに」という気持ちと「僕も先生の信念をまっすぐ信じられたらいいのに。」「僕がいちばん理解してあげないといけないのに」という狭間にいたのだろうか。ふたりを見つめる桜木はとても複雑そうな顔をしていた。

 

  • 淳一と天沢の誓い

アトリエの奥の部屋に連れられた天沢はそこで、淳一からあるものを見せられる。冒頭で、淳一がずっと向き合い丁寧に触れていた得体の知れないものだ。そこにあったのは人形だった。それもフランス人形などというようなカテゴリーにも属さないような、いわば何にも例えられない芸術品だった。

 

そこで淳一は静かに語り始める。

「僕が目指しているのは、ただ純粋に完璧な造形美としか言いようのないもの。誰もが疑いようのない美しいものだ。」

 

話しているうちに淳一の眼は遠くを見つめ、強く意思をもった輝きを放ち始める。

「僕は美しさに答えはないと思っている。国や文化、どんな環境に生きているかで何を美しいと感じるかは変わるからね。それはとても素晴らしいが同時に怖いことだ。なぜなら、意図的に誘導できるからさ。人は弱いから、誰かが押しつけた価値観を、まるで自分の価値観のように錯覚することがある。右へならへで考えることをやめてしまうのさ。もんぺをはかされているのではなく、自分の意思ではいているんだと思い込んでしまうんだ。

だから僕はこの手で証明したい。魂が震えるほどの間違いようのない美しさが世の中に確かにあるんだということを…!」

淳一は、完璧な造形美を追い求めていたのだ。

そしてその理由をこう言っている。

「自身の生き方、魂を極限まで磨き上げて、純度を高めて挑む。なぜなら、彼らが見ているからね。僕の中にある不安や、弱さを。決して見逃さないように。」

彼らとは、得体のしれない真っ白い物体だ。仮面をつけ、白いマントを羽織った物体。淳一が葛藤し、戦っている奴らのことだ。言わば、見えない敵のようなもの。その彼らが見ているから、淳一は完璧な造形美を求めていると言うのだ。他の誰にも見えない、自分の中だけでの戦い。誰かと張り合うのではなくひたすら自分と向き合い、自分の中の敵と戦わなければいけない挑戦。淳一はいつもそうだった。内側との戦い。自分との勝負。他を顧みず、それだけを追い求める。一見すると、ただの自己満足のような、自己中心的な挑戦に思える。でも証明するためだけに他人の評価が欲しい。美しさを認めて欲しい。なんて独りよがりなんだろう、なんて矛盾してるんだろう。でもこの淳一の矛盾こそが、彼が作品を作る原動力だし、彼の人間味だと思った。いびつで、不器用で不思議な人だ。

 

そんな淳一に向かって天沢は約束をする。

「先生あなたならきっと完璧な造形美を作り出すことができますよ。ですから、約束します。僕は生涯、先生の生き様を見つめ続けると。先生が追い求める完璧な造形美が出来上がるその日を、1番近くで見届ける。構いませんよね?」

かたい握手と、契りを交わしたふたりは、それからお互いにとって唯一無二の存在となっていきます。

 

  • 画材屋ヒマワリ開店

淳一は少女の友を辞めても、少女たちに夢を与えることをやめようとはしなかった。かわりに、自分の作品を待ってくれている人に直接届けようと「ヒマワリ」という店をはじめた。

 

そこで開店祝いに訪れた山嵜編集長は、淳一に向かって言葉を投げかけます。

「君の妥協のない生き方は、いつか自分自身の首をしめる。いつか少女の友をやめたことを後悔する日が必ず来る。」と。

淳一は「そんな後悔するくらいなら死んだ方がマシだ」とつっぱね、怒ったようにその場を去ってしまう。

 

そして舞子を連れて田舎の長野に引っ込むことになった五味も挨拶にやってきて、そこで天沢に淳一についてこう語る。

「あの人は強いようで弱い。こだわればこだわるほど自分自身の首をしめていくような、大きな矛盾を抱えていくような、そんな危うさを感じたんですよ、あの先生からは。」

そして、「誰があの人のことを分かってあげられるんですか?」とも。

五味さんもやっぱり人との関わりを生業にしてる人だから、人を見る目はすごくあるんだろうなと思う。きっと人一倍、人間の感情に敏感で、繊細な部分を読み取るのもうまい。そんな彼から発せられる「あの人は強いようで弱い。」の言葉の重みはすごいなあ。五味から与えられた言葉でより一層、淳一の脆さや弱さが縁取られて、人間味が増していく。中原淳一という人物を他人がどう見ているのかを提示することでより一層深みを増していく人物像があって、その描写がうまいなと思ったシーンだった。

 

  • 淳一の心の葛藤シーン

一方淳一は苦悩の中にいた。山嵜編集長の言葉を反芻して、葛藤していた。「僕には僕の理想がある。」自分の中にあるこだわりと、現実との折り合いのつけ方がものすごく下手くそで、不器用な淳一らしい苦悩だと思った。妥協を許さないこの生き方が正解なのか、本当に後悔しないのか。白いマントを翻して、淳一の周りを囲む敵が何度も何度も淳一を責める。そのたびに、眉を顰め、潤んだ瞳を見開き、不安を振り払うように両手を振り回す淳一は、深い深い闇に吸い込まれていくようなどうしようもなさを身にまとっていた。

「昨日作ったものは今日古くなり、今日作ったものは明日には古くなる。歩みを止めてしまうのが怖いのだ。」

淳一はそうつぶやきながら、必死にまとわりつく敵を振り払う。 それでも奴らは淳一にずっとつきまとったまま…。

 

ここで1幕が終了します。1幕は、時代は戦中。贅沢の許されない、皆が同じことをしなければならない、制限された世界。自らが選ぶことのできない、自由のない世界。その時代の中で、淳一は自らのこだわりに向き合い続けた。いくら制限され、自由を奪われても、美しいものや、夢を追い続けた。彼にとっては、生きづらい世界だっただろう。だから、毎日あの敵と戦っていたし、後悔に苛まれていた、でもそんな苦しみの中でさえも作品を生み出してきた。きっとそれが生き甲斐だったし、自分を表現する方法だったのだろう。果たして彼のこの苦しみは、この時代ゆえだったのだろうか。制限されていたからこそのあの苦しみだったのだろうか。そういう疑問を残して終わる1幕だった。そしてその1幕と新しい時代へと突入した2幕のコントラストがすごく面白いのだ。

というわけで、2幕に続きます。