君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

今日も明日もアイドルに夢を見る

アイドルが好きだ。そうやって誰かを好きになる。当たり前のとてもシンプルな感情。

ただ普通と違うのは、一生交わらないこと。一方通行であること。私がどんなに想って、時間を割いても、向こうはこちらの存在すらきっと知らないであろう。交われるとしたら「ファン」という限定された関係だけ。

それでも。想う側(こちら)がいないと意味がないことも確かで。想う側と想われる側という二つの存在がないとアイドルの世界は成立しない。そう考えると、とても曖昧で不安定で、約束のない世界だ。私たちもそれを自覚しなければならない。いや、自覚しているはずだ。でもいつの間にか忘れてしまうのだ。目の前にいることが、声を聴けることが、約束されていないことを忘れてしまう。だからこそその事を突き付けれた瞬間は、こんなにも痛くて儚くて、泣きたくなるのだ。

大げさだと思うかもしれない。そもそも「たかがアイドル」と言われればそれまでだし、自分の人生を「アイドル」がどうにかしてくれるわけでもない。アイドルがいなくても自分の世界はまわるし、何の変化も起きない。ただ疲れた時、傷付いた時、うまくいかない時、救ってくれるのもまたアイドルなことには違いないのだ。私の日常のスパイスであることは変わることのない事実でもあるのだ。それに「たかがアイドル」と言われるとして、私の好きな人はその「たかが」を全うしてるのだ。誰かにとっては「たかが」かもしれない、でもアイドルは本気なのだ。手を抜く人だって、やる気のない人だっていない。誰もが「アイドル」を胸張って仕事としている。さらには人の目につく職業な分「ごまかし」は許されない。語弊を招くかもしれないが、「努力」や「失敗」の多少のごまかしが許される私たちの世界よりもずっとシビアに出来ている。

私はそんなアイドルを応援することが今、とても楽しい。シビアな世界に生き、誰にも負けたくないと骨身を削っているアイドルが、その上でキラキラと輝き光を放っている瞬間を見ることが何よりも快感だ。好きだという感情の前に、あの世界で戦っていることに対する憧れや尊敬の念さえある。さらに私はどこかで羨ましいとも思っている。誰かと同じものを追いかけ、夢中になり、必死に手を伸ばす。好きなことにガムシャラに向かっていく。そんな、時にはなりふり構わないアイドルの姿はいつだって眩しくて尊い。本気で夢を追うってどんな気分だろう。どんなに気持ちいいんだろう。ぜんぶは分からないけど、アイドルの夢に少しでも立ち会えたら。夢の先の同じ景色を見れたら。少しでいいから彼ら、彼女らの夢をお裾分けしてくれたら。もしかするとそんな気持ちで応援しているのかもしれない。普通なら見ることのない大きな夢をアイドルを通して叶えたいのかもしれない。

そんなアイドルが「アイドル」を辞める。アイドルじゃなくなる。それは夢が醒めるのと同じだ。追っていた背中が突然立ち止まり、もう歩き出さなくなった。この虚無感は何にもかえ難いし、こちらにまだ走る体力があったなら尚更だ。

でもきっとその「重さ」は一番アイドルが解っている。自分の身体で風を感じ続けてきたからこそ誰よりも、立ち止まる「重さ」を知っている。その「重さ」を知っておきながら、それでも尚立ち止まれるのはやっぱりアイドルだなあと私は思う。アイドルは強い。*1だから立ち止まることを選ぶのもまた「強さ」だなあと、ここでもまたアイドルなんだなあと、私は思ってしまった。と同時に、どれほど見続けていても、応援し続けていても、いざ目の前からいなくなる時は、その選択肢を受け入れるしか残されていないのだ。なんて残酷で、なんてあっけないんだろう、とも思う。何も出来ずただただ見守るしかできないこの無力感は出来ればアイドルでは味わいたくない感情だった。

「一生」なんて「絶対」なんて保証はない世界で、それを決めるのはアイドルで、私たちには何の力もないことを今回思い知ったので、どうかせめて、私の好きな人が今日もアイドルをしていることに感謝させてください。

アイドルなんてただの虚像に過ぎないとしても、いつかまたこうして誰かいなくなるとしても、それでも私はアイドルが大好きだ。アイドルの見る夢が大好きだ。だから私は今日も明日もきっと、アイドルに夢を見続けます。

*1:強くなければいけないという方が正しいのかもしれないが