君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

あなたは何処でも行ける あなたは何にでもなれる

ミュージカル「にんじん」を観ました。
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物語は、
とあるフランスの片田舎にある、小さな村の家族のお話。
「ルピック家」は少し変わっている。
傲慢でヒステリックな母親と、家庭に無関心の父親
そして可愛がられて育った長女のエルネスティーヌと、甘やかされて育った長男のフェリックス、末っ子でひねくれたフランソワの5人家族。
でも、フランソワだけ少し違う。真っ赤な髪で、そばかすだらけの子ども。みんなから「にんじん」と呼ばれ、蔑まれている可哀想な子ども。
母親もにんじんにだけは厳しくし、辛く当たります。
フェリックスはそれを冷やかし、エルネスティーヌは同情するだけ、父親も見て見ぬ振りです。
普通なら、楽しいひと時である夕食の一家団欒も、どこかピリピリしていてまったく楽しそうではありません。
そんないびつな「ルピック家」のおはなし。

といった感じ。

でも実は、私は観ていてルピック家のことを理解できないとは思わなかった。
確かに「愛情」は他の家庭より欠落しているし、そのほんの少しの愛情もみんなそれぞれ表に出すのが下手くそだ。
ルピック夫人は自分に似ているにんじんのことを理解しながらも傷付けてしまうし、にんじんも人の嫌がる悪戯で気を引こうとしているし、エルネスティーヌも実はよく家族のことを見ているのに何も言わずに息をひそめているし、フェリックスは誰よりも人の気持ちに敏いから、自分より愛されているにんじんに不満をぶつけ発散しているし、ルピックさんだって愛したいと思っているのに戦争に負け名前だけを背負ったことを窮屈に思っているし、ひとりひとりに確かに「愛情」に対する気持ちが存在するのに、誰一人それを言葉にしたり行動に移したりしない。
きっと彼らにとっては、それは悲しいことで悲劇なのだろうけど、見ている側からするとそれは少し滑稽で、全然交差しない愛情にちょっと笑えたりする。
「普通に好きだよって言えばいいのに」「抱きしめればいいだけなのに」と、どうして簡単なことが出来ないんだ、何に悩んでいるんだって思えたりもする。
でも、家族ってこういうところあるよなと思った。
どんな家庭にも、こういう「歪み」だったりが存在するし「不器用さ」とか「弱さ」があると思う。
そういう家族の問題って、端からみると簡単なことだったり、笑い飛ばせることだったりするし、逆にものすごく重かったり、難しかったりもする。
本人達にしか苦しみや悲しみは分からないし、家族の数だけそれぞれの幸せや悲劇がある。
そしてそれは本人たち同士でしか分かり会えない、他人には理解できない不可侵のものでもある。
ただどこも同じなのは、「家族」って楽しくて幸せな空間だけじゃなくて、どこの家庭でも誰でも憂鬱で辛い時があるってことで。
そういう意味でもルピック家は、一見いびつだけど実はすごく普遍的な家族の姿を映し出しているような気がして、なんだか他人事のように思えませんでした。
それと、家族の在り方って本人達の問題だけではなく、時代だったり風習だったり、地域との繋がりからも形成されるものでもあるなと、敗戦国であるという精神的屈辱を背負っていることや、落ちぶれたルピック家と裏で言われてる事や、にんじんが自殺することを嫌がり世間体を気にする父親を見て思った。

また、子どもには罪はないよなあと改めて思いもしました。
きっと「ルピック家」のような家庭って割とよくあって、同じような家庭で育った子もいっぱいいるだろうと思う。
でもにんじん(子ども)にとっては、その家庭が「世界のすべて」で。そこから必要とされなければ「僕はいらない」「世界中でひとりぼっちの寂しい僕」だと思ってしまう。家族からの愛だけがすべてではないのに。アンリやマチルドからも愛されているのに。
子どもにとっては「僕だけ扱いが違う」という事実しか読み取れなくて、その奥にある愛情にまで幼い思考ではたどり着けない。
だからひねくれたり、意地汚くはしゃいでみたりする。
そしてこんな世界に嘆いて、バケツに顔を突っ込んだり、ロープに首をかけようとしたり…。
そんなにんじんを見てると、子どもの狭くて小さな世界は、大人が簡単に支配出来てしまうものなんだなあと思った。
そこがすごく残酷で現実的で、強欲な「大人」って嫌だなあと思った物語でもありました。
でもいつかきっと、もっと大きくなって世界が広がったらにんじんは気づく。僕と同じような子もいたんだ、あの時もひとりじゃなかったんだ、って。世界は意外とひとりぼっちになんてしないんだと。
はやくそういう時が来ればいいのになと思いました。
「昨日までの独りじゃない、自分で選んだ独りなんだ」と歌いながら寄宿舎に帰ったにんじんだったら、きっとすぐに気づくと思っています。

この物語はこうやって、子どもの目線で描かれた世界なのだろうと思うのですが、もしかしたら見る人の立場で全然印象が変わるのかもしれません。
私自身は20歳をやっと超えたばかりなのですが、やはりまだにんじんやフェリックスの気持ちが分かるし、同じ目線に立ってしまう時が多かったです。
でも歪んだ家庭に生まれ、意地悪されながらも、ひとりであることを乗り越えそして受け入れて強く歩き出したにんじんのことは、もしかしたらこどもの方がよっぽど大人より生きる力の備わった強い人なのかもしれないと羨ましく思う時もあって。きっと私はまだ大人になりきれてないんだなあと気付いたりもしました。

にしても原作は百年以上も昔のものなのに、鮮度がすごい。
今もこういう家庭がどこかに必ずあるし、同じ思いをしている子どもたちも必ずいて。
舞台になっている戦後間もないフランスから、国も時代も超えて今の日本の空虚さにビシビシ寄り添ってくるのが切なくもあり、めちゃくちゃ刺さるお話だったなあ。
なんだか、北斗くんを思い出してしまいました。

そんな北斗くんから、今度は傷付ける側にまわったフェリックスについても。
どうしても優馬くんが演じているから、愛しく感じてしまいます。
ルピック夫人じゃないけど、デロデロに甘い目で見てしまう。
でも。そうにしても、クッッッソしょーーーもない奴だったな(笑)
中身のない、空っぽのクズでした。
正直、初めのうちはあんまり好きじゃなかった。
厳密にいうと、クズのキャラクターがとかではなくて、優馬くんの演技があまり好みではありませんでした。
だってずっと浮いてたから。ひとりではしゃいで、空元気で。
上辺だけをなぞってるみたいな薄っぺらい演技で、好きじゃないというか、まったく入ってこない。温度を感じない。
たまにする、空っぽの冷めた眼や、片方の口角だけをあげて笑う馬鹿にした顔は少しだけひっかかったけど、それ以外はほとんどフワフワ浮いたまま、あまりフェリックスを掴めずにいました。
でも中盤のシーンで、にんじんのアゴを掴みながら「お前その自分だけ除け者でいじめられてるって面やめな。母さんはお前しか見てないんだから。」と睨んで吐き捨てたフェリックスに人間臭さを感じて、初めて地に足のついたフェリックスを見た気がしました。
そして畳みかけるように一番最後のシーン。ルピック家の全財産をもってパリへ行く!と決め「骨になるまで踊ってろ!二度と帰らない!このくそったれの村!!!!!!!」と叫んだフェリックスの大人びた、でも泣きそうな表情にハッとさせられた。
これが本当のフェリックスだったんだ。
ずっと、あの冷めた眼と呆れた顔したフェリックスが引っかかったのはそういうことだったんだ、と。
あの家の中でフェリックスは「こども」であることで自分を守り、「かわいい息子」になることで愛をもらおうと必死だったんだ、と。
だからにんじんがいじめられてるときに、あんなに冷めた眼をしていたんだと全てが繋がった気がした。
本当は僕も愛してくれと叫びたかったのかもしれない。
だけどこっちを向きもしないルピック夫人に呆れていたのかもしれない。
そう気づくと、とんでもなく愛おしくて。
今までのフェリックスの行動がひとつひとつ浮かんできた。
私はずっと、この母親がフェリックスをこんなにも甘やかし優しく育ててきたのは「自己満足」なんだろうなと思っていた。にんじんにひどいことをしている分フェリックスには母親らしいことをしている、それでバランスを保とうとしていたんだと思うし、そしてフェリックスも自分がかけた愛情の分を返してくれる、そういう満足感を得るための行為なんじゃないかなって。
きっとフェリックスも薄々気づいていたんじゃないかと思う。
だから最後「フェリックス!私のかわいいフェリックス!!!!ああ……!!!!」と叫ぶ母親を残して去ったのは、母親のエゴからの解放で、フェリックスが自由になったことの表れなんじゃないかと。
そしてどこか泣きそうな顔をしていたのは、自由になったと同時に手に入れた「自立」という現実に対する不安なんじゃないかと思いました。
最後の最後まで弱さを残していくのが、とっても世間知らずのおぼっちゃまという感じがしたなあ(苦笑)
こういうのぜんぶ考えていてやってるんだとしたら、優馬くんすごいなあってゾクリとした。
あまり大きな展開のない、些細な日常の中で進んでいく物語のなかでもフェリックスの小さな成長と、変化が見れて、すごく繊細に演じているなあと思いました。
あの浮ついたフェリックスと、最後の「くそったれの村!!!!」て吐いたフェリックスの対比が最高で、すごく気持ちよかった。
最後のフェリックスが一番人間らしくて、好きでした。
まあ、今までの育ち方見てるとパリでの生活も目に見えてるし、場所が変わっても大した変化はないのかもしれないけど笑、それでも自分の足で立って、家族から自立したのはフェリックスで、その大人への第一歩だけは、高揚感に満ちた瞬間だったなあと思うわけです。
だからどうかフェリックスに少しでも多くの幸運が訪れますように…!

そして結末についても。
あれだけ5人でルピック家での日々を繰返しながらも結局、嫁いでいったエルネスティーヌや、パリへ行くと家を出たフェリックス、そして自分で選んだ独りだと寄宿舎に帰ったにんじんも、家族から自立し始めていて、いつの日も初めに家族から自立するのは「こども」なんだろうなあと思いました。
もしかしたらあの家に残されたルピックさんとルピック夫人が、一番行き場がなくて閉塞してるかもしれない。
こどもにはこれから変われる膨大な時間があるし、果てしない未来があるけど、今まで変わらずここまで生きてきた大人には、孤独という現実が付きまとう。
実はひとりぼっちなのはルピックさんと夫人の方だった。
そんな、一種の哀愁も感じさせるラストだったなあと思います。

物語全体的には、大きな展開があるわけではなく、あくまでもルピック家で繰り返される日々の中での些細な出来事をメインに進んでいて、それがすごく「家族の物語」って感じがしました。
毎日大それたことのある家庭の方が珍しいし、大きく変わっていく家族もそんなに多くない。それがこの物語の些細な日常に表れ、そして大きな変化もなくそれぞれがバラバラになったルピック家に表れていたように思います。
さらに、きっと5人は根本的には変わらない、ずっと「ルピック家」という性質を持ったまま生きていく、そんな一種の呪いみたいなものも感じました。
良くも悪くも「家族」ってそういう縛りみたいなものだと思うんです。どこにいても離れていても、同じ呪いにかけられた集まり。私は物語の結末にそんな未来も感じました。

フェリックスは、今までの優馬くんの舞台の中で一番人間らしいかもしれない。
ドリアンや淳一先生のように華のある選ばれた人でもなければ、十兵衛のように重い宿命を背負っている人でもないし、セザールや悟のように壮大な運命を懸けている人でもない。
どこかの家にいる、ちょっとわがままで傍若無人な普通の男の子。
でも単純そうに見えて複雑なコンプレックスを抱えたとっても人間臭い、良い意味で親近感の沸く役だった。
また新しい優馬くんの演技を見れて面白かったです。
さっきあんなに真面目にフェリックスについて語ってたけど、見てる最中は、辟易してるみたいな冷めた目と、呆れた様に笑う表情が大好きなやつで、優馬くんの蔑んでいる演技最高だな……と思いながら見てました(急にド変態)
例えていうと、勝手に部屋に入った須賀ちゃんを押し倒してるときの成海くんです(みんな大好きなpieceだよ♡)あれも最高だったけど、フェリックスはもっとゾクゾクして最高だった…!ああいう顔もっと見たいです!!!!!
優馬くんは元のお顔がお美しいから、冷めた眼をしていても、
蔑んだ顔しても、片方だけ口角あげて笑っててもいやらしくないし、むしろゾクゾクするからぜっっっったい似合うよ!!!!
アネットに「他にいい働き口探してやるよ」ってバッキバキの眼で言ってるの本気で興奮した。
楽しそうにはしゃいでる顔から急にうんざりした、世界に辟易した顔になる瞬間なんてほんとにほんとに大好物で、目の周りに丸い跡が残るんじゃないかっていうくらい双眼鏡でその顔を焼き付けてた。
それくらい新しい優馬くんが見れて嬉しかったから、優馬くんの演技がもっともっと見たい、いろんな役を見てみたいと欲深く思った舞台でもありました。
だからはやく次の仕事ください(どさくさ)

最後に性癖さらしただけだとアレなので、松竹座を出て駅に向かってるときに聞こえた曲があまりにもフェリックスへ送る歌だったので、それを残して終わりにしようと思います。

あなたは 何処でも行ける
あなたは 何にでもなれる
ただ幸せが 一日でも多く 側にありますように
悲しみは 次の あなたへの 橋になりますように


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