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君の名は希望

どんな時も君がいることを信じてまっすぐ歩いて行こう

「北斗‐ある殺人者の回心」を読んで

3月25日の初回放送に備えて、原作「北斗 ある殺人者の回心」を読んだ感想を残しておきます。

北斗 ある殺人者の回心 (集英社文庫)

北斗 ある殺人者の回心 (集英社文庫)

石田衣良さんは池袋ウエストゲートパークが好きで、 何度も読んだことがある作家さんでしたが、正直北斗のような題材は意外で、エッジの効いた鋭い感覚の作品しか読んだことのなかった私にとっては、まずそこから衝撃的でした。
エッジが効いたどころか、どちらかと言うと、淡々と凄惨な出来事を並べ、主人公の平坦な感情が語られていく…すごく意外だった。
こんなに静かで鈍くて、それでいて抉るほどに深い物語も書く方なんだなーと思いました。

作品自体の単純な感想を言うと、すごいリアルだなというのがいちばんで。
細かな描写から人物像まですべてにリアリティがあって、生々しくて。本当に北斗くんが存在するんじゃないかとか、ノンフィクションで実話を基にしているんじゃないかなんて思ってしまうほど。
現実にあっても違和感のない、現代の闇に深く切り込んだ物語だなあという印象でした。
だからこそより深く感情移入出来たのかもしれないし、とても苦しかったのかもしれない。
そして実際に起きていてもおかしくない事件だし、北斗くんみたいな人がいるんじゃないかと思えてしまう今のこの現代が怖いなと改めて思いました。
また決して物語として、2次元のことだから、あくまでもフィクションだから、と片付けるわけにはいかない、私たちが生きる世界でも目を向けるべき問題だなとも。他人事として読んではいけないのだと思わされました。

それから、とても不思議な感覚になる物語だなーとも思った。
出来事や虐待の描写は冷静に淡々と第三者目線で語られているのに、北斗くんが受けた痛みの感覚や心情は、客観性も交えながらもまるで体験したかのようにすごく細かく丁寧に描写されていて。
そのちぐはぐさがよりリアルで、読んでいる私は第三者なのかそれとも北斗くんなのか分からなくなる瞬間が何度もありました。
そしてその境目も良い意味で曖昧でぼやけているのがすべてのことに感情移入しやすくなっていて、北斗くん側に立って痛みを受けることも、第三者側に立って物事をみることも出来て、より深く世界観に入り込めたような気がしました。

具体的な話をすると、「端爪北斗」という人間の半生についてなのですごく膨大で。
全体を通してみると、ただ単に「虐待」だけを描いているのではなく、他にも殺人、里親制度、裁判、医療詐欺など様々なことが取り上げられていて、「虐待」だけが北斗くんの20年間じゃなかったことが分かる。
ただ北斗くんの人生を追うように時系列で物語が進んでいくので、虐待を受けている幼少期から思春期の入り口までが果てしなく長く感じるし、永遠に続いてこのまま北斗くんが死んじゃうんじゃないかと思えてすごく怖かった。
私でもそう思うのだから、北斗くんにとってはもっと長く感じたのだろうなと思う。しかも人格形成や発達においても重要な幼少期に、こんな思いをしながら過ごしたのだから、やっぱりとても罪の重いものだとも思った。
命の危険を感じながら過ごす幼少期とはどういうものなのだろうか。真冬の寒い時期に裸で外に出される気持ちは、空腹に耐えきれずにちょっと白米を食べた為に暴力を振るわれる気持ちは、秋の山道に置いていかれて1人で山を下る気持ちは、夜に凍死しようと決意して公園で一夜を明かした気持ちは、その時に暖をとった自動販売機の方が両親より温かいと感じる気持ちは、どういうものなのだろうか。
想像も出来ないけれど、ほぼ毎日のようにみる「児童虐待」や「虐待死」というニュースをご飯を食べながら見ている現実を思い出して、あの子たちも北斗くんのような思いをしているんだろうかと急に胸がザワザワとした。

中でも1番私が衝撃的だったのは、やっぱり至高が北斗くんにドライバーを向けるシーン。
読み進めていくうちに口の中の水分が奪われて、血管が膨張する感覚がした。
「私は親や世の中にいいように振り回された。だから、おまえに北斗と名付けたんだ。絶対に揺らぐことのない北の空の一番星。お前には誰よりも強くなって欲しかった。私がこの世界に残せるのはお前だけだ。」
狂ったように何度も何度も北斗くんの額にドライバーを抉らせながら、父・至高が叫ぶ。
「おまえが私のことを決して忘れないように、おまえの頭に星の印を刻んでやる。おまえは私の息子だ。北斗、忘れるな。」
これが息子に対する"愛情"なんだろうか。
至高にとっての愛の形なんだろうか。
だとしたら、 歪んでいる。
父に厳しく育てられ不幸だった自分と、自由で幸せそうな息子を比べて嫉妬する至高は子どものようで、至高を父に持った北斗くんの不幸は何も見えていないようだった。
ゾッとした。何も見えていない。北斗くんさえ見えていない。
見えてるのは不満や嫉妬といった自分の中の感情だけ。
親である前にあくまでも1人の人間。それはそうだけど、あまりにも自分本位の感情に私は絶句した。
そして親から子へ、また親から子へ、負は連鎖するんだと思い知った気がしていたたまれなかった。
こうして、北斗くんの額には星の印が残ることになる。
一方的で我儘な思いを背負わされ、一生消えない傷を背負う北斗くんを思うとたまらなかった。
その後も、この印を「呪い」としてこの男の血が流れている事を、壊れた男の息子であることを背負って生きていく北斗くんの姿は痛々しく、遺伝子を残したくないという北斗くんの思いが切なかった。

それから里親である綾子さんに出会い、初めて知った人に抱きしめられる温かさが彼を殺人犯にしてしまう。
こうして場面が法廷にうつり裁判のシーンになると、最初に様々なことが取り上げられていて「虐待」だけが北斗の20年間じゃない、とは言ったが決して「過去」ではないことに気付く。
「虐待の果てに、人を殺してしまった。」
こう言えば、結果としての「殺人犯」ばかりに目がいってしまうし、虐待はただの過去とされてしまうだろうし、重さとしては「殺人」の方に比重がいってしまうかもしれない。
でも最初から読んでいるからこそ分かる。
どれだけ「虐待」が重いことか。
北斗くんが虐待を受けたのは、思春期までだとしても、それまでの記憶や経験は確実に北斗くんを形成し、北斗くんの人生に影響している。
現に裁判では、北斗くんを苦しめた「虐待」が極刑を免れる「切り札」になるのだ。
1人の命を左右する、重要なファクターになる。
「過去」が20歳の北斗くんの命を繋ぐのだ。
皮肉だけど、それがどれだけ「虐待」が重いことかを、一生消えない傷なのかを、物語っているような気がして、胸が切り刻まれる思いだった。
こうして物語の中に医療詐欺や、死刑制度、裁判、殺人、様々なトピックがあるからこそ、その根源となる「虐待」という問題が浮き彫りになるなあと感じました。

そして最後まで読んだ時、私は一切ブレずにひとつだけを描いているような気がしてならなかった。裁判や死刑制度、殺人といった物語を動かす出来事がすべて「虐待」の重さを伝えるのための手段だと感じた。
石田衣良さんがこれらを「虐待」と並べたのは、殺人も、虐待も、同じ重さを持つということで。
「虐待」も形を変えた「殺人」なのかもしれない、と思った。
そんな一度死んでしまった北斗くんが、生きることを許された。
私は、この最後の結末は「希望」だと思っている。
北斗くんのような「被虐待児」という特性を持っていても、社会で生きていける、人間として生きる価値のある存在なんだということの証明。
北斗くんがそう感じ取ってくれたらいい、僕は生きていい人間なんだと思ってくれるといいなと、そんなことを考えた。

だから少なくとも私は、この結末に救われました。
だけど一方で。
2人の命を引き換えに受け取る「希望」ってなんだ。
虐待を受けたことが人を殺しても罪を軽くする理由になるのか。
遺族からしたらこれは「希望」なのか。
そう思う自分もいて。
さっきまで虐待の重さについて考えていたのに、人の命の重さを考えるとすぐに天秤が傾いてしまう。
人を殺すという非人道的行為の前では、虐待を軽んじてしまい、自分の気持ちがどこにあるのか一瞬で分からなくなる。
結局何が良いのか、この結末が正解なのかは最後までわからなかった。
だからこそ、石田衣良さんがひとつの物語としてこの結末を選んだことがすごいと思った。
万人の思う「正解」なんてきっとないはずなのに、きちんと結末として判決を下した。
当たり前だけど、どちらかを選ぶということは、どちらかを選ばないということで。
それは残酷なことでもあって。自分の言葉ひとつで誰かが救われて、誰かが絶望するかもしれない大変さを想像すると、私だったら投げ出すだろうなと思う。

石田衣良さんは物語をああやって締めくくったけど、きっとすべての人が幸せになる正解なんてないし、世の中のすべての事に白黒つけられるわけじゃない。
誰かにとっての「正解」は誰かにとっては「不正解」だし、誰かにとっての「幸福」は誰かにとっては「不幸」だ。きっと世界はそういうものだし、みんなそれを分かっている。
北斗くんも言っていたように神様なんていないし、法律だって人間が作りあげたものだ。
それでも、だからこそ、この「法律」という観点を通して「答え」を導き出すという過程が社会にとってはなにより重要で、そしてそれをきちんと「正解」にしていくのが北斗くんの役目であり、これからの生きる意味なんだと思う。
そして、北斗くんならそれが出来ると導き出されたんだと思っています。
「北斗 ある殺人者の回心」
このタイトルにその思いが込められている気がしました。
この「回心」という言葉が不思議で、どうしても「改心」という言葉の方が聞き馴染みがあると思っていて。
気になって調べてみると、キリスト教の教えでは「回心」とは心の向きを180度変えること。回心した心は二度と濁ることはないとされているそうです。
一方で「改心」とは心を入れ替えること。改心し新しいものに入れ替えても、しばらくすれば濁ってしまう。汚くなるたびに入れ替えて入れ替えて一生繰り返さなければいけないもの、だそうです。
私はこれに辿り着いたとき、石田衣良さんが「回心」に込めた思いをすごく考えてしまいました。
北斗くんは、回心して生きられる人だと。
奪った命について考え、背負い、罪と共に生きていく人だと。
この判決を「正解」に出来る人だと。
そう思ったんじゃないでしょうか。
そう考えると、やっぱりあの結末は北斗くんに託された「希望」なんだと私は思います。








優馬くんも、私にとっては「希望」です。
そんな優馬くんが北斗くんと出会ったことは、必然かもしれません。
原作者が苦しかったという作品を、映像化するということがどれほど大変か。
そして読むだけでも胸が痛い作品を、映像としてきちんと見ることが出来るのか。
想像するだけで、気が遠くなるけど。
私の「希望」は、きっと北斗くんも「希望」に導いてくれると思っています。
優馬くんがもう死んでもいいと思いながら、息を吹き込んだ端爪北斗くんが今から楽しみです。
そして同じ覚悟でこのドラマを見て、見終わったときに自分の見えている世界がどうなっているか。
それもとても楽しみ。
とにかくこの春は、何かが大きく変わる、そんな気がします。
今はその春を、じっと待ちます。