君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

美しさは世界を変えられる。〜それいゆを観劇して〜

舞台の内容については、1幕と2幕に分けてびっくりするほど長い記事を書いたので、今回は私の感想と、この舞台について。まとめです。

 
……何から書けばいいのだろう。
とにかく、伝えたいことが明確でメッセージ性の強い、確かなコンセプトのある舞台だった。
かといって、小難しいわけでも、ごちゃごちゃしてるわけでもない、とてもシンプルで単純なストーリーだった。
「美しく生きるとはなにか」
ただひとつ、それだけに焦点をあて、
それだけとひたすら向き合い続ける2時間半だった。
見終わったあとは、柔らかな温かい光に包まれているような優しい気持ちになれた。
本当にとっても満たされた気持ちでいっぱいになるのだ。
だけど、物語をただ受け取るだけではなく、自分のこととして考えてみるとハッとする。
 
果たして自分は「美しく」生きているだろうか。
淳一先生の言うように生きれているのだろうか。
他人の価値観を、あたかも自分の価値観だと錯覚し、知らない間に流されていないだろうか。
他人がいいねと言ったものを、受動的に受け取っていないだろうか。
努力を惜しまず、精一杯汗かいて何かをしたことがあっただろうか。
淳一先生のように、何かに対して強い信念をもってこだわったことがあっただろうか。
この問いに、私は自信を持って「はい」と答えることはできない。
ちゃんとした確固たる「自分」を持っていることに対して、私は自信が無い。
他人の意見に倣って流される方が楽だ。皆がいいと言うものをいいと言った方が生きやすい。多数派に属して、少数派(異物)と見なされるのを避けた方が目立たない。
何かと割り切った方が辛くない。手を伸ばしても届かないものには初めから手をつけない。
そんな合理的で都合の良いことばかり考えて、自分を殺すことを何度もしてきた。
学校や、社会という集団の中で「自分」というものを晒すのはとても勇気がいる。理解してくれなかったらという怖さと、本当にこれが正解なのかという不安のせめぎあいで、いつしか自分の中だけで押しとどめてしまう。
私はそんな性格だ。
そんな自分が嫌になることは何度もある。
何度も何度もこんな自分を捨ててしまいたくなるときがある。
だからいつも、だからいつも。
私は優馬くんが羨ましかった。
いつでもまっすぐ前を向いて、自分の意思で自分の道を選べる、あの優しさと強さが、いつも眩しかった。
ああ、こんな人になれたら、私もこう生きれたらいいのになあ、そう思っていた。
だから私にとって、中原淳一さんは、
優馬くんそのものだ。
舞子にとって淳一先生が憧れであったように、私も優馬くんに憧れている。
 
だからだろうか。淳一先生の言葉が、優馬くんを通して伝わってくると、どうしようもなく泣きそうになるのだ。
面と向かって「あなたは美しく生きていますか?」と問いかけられると、私は下を向かなければならない。
優馬くんが好きなのに、優馬くんの顔を見ることができない。
それは恥ずかしさからなのか、情けなさからなのか。
…………たぶんどっちもだ。
こんな自分が恥ずかしくて、情けなくて、悔しくて、痛くて、どうしようもなくなる。
初日、初めてこの物語を見終わったとき、私は感動の涙と、悔しさからの涙で感情がぐちゃぐちゃだった。
あまりにも優馬くんが中原淳一さんそのものだったから。
まるで本当に淳一先生が生きているかのように舞台上で動き回って、現代に淳一先生が蘇ったかのように言葉をつむいでいたから。
優馬くんの中に、淳一先生が生きていて、優馬くんの身体を借りて今この瞬間、淳一先生が問いかけている、そんな気持ちになった。
きっとそれは、優馬くんも美しく生きているからで。淳一先生が優馬くんの身体に宿ることを許したのは、きっと優馬くん自身も美しく生きているからで。
淳一先生は、優馬くんを認めたのではないだろうか。
そう思えてしょうがなかった。
それくらい優馬くんは、淳一先生として誰よりも美しく生きていた。
それがどうしようもなく誇らしくて、嬉しいのに。また憧れてしまった、そんな気持ちになった。
優馬くんみたいになりたいと思っているのに、優馬くんはどんどん素敵になっていく。まだ全然追いついてないのに。
これがどういう感情なのかよく分からないけれど、今回の舞台でより一層この感情は強くなった。
近い言葉でいえば「憧れ」や「尊敬」といった類のものだろうけど、それよりももっともっと単純で、難しい。きっと言葉にできない感情。
たぶん、この感情にぶつかる度に、私は「美しく生きなければ」と思うのだろう。
優馬くんのように。淳一先生のように。
 
自分の中の美しさを追い求めてみる。
自分の人生を、よりよく形づくるために。
そしてまた鮮やかに彩るために。
そのためにまず私は、「自分とは何か」それを考えるところから始めてみようと思う。
私にしか出来ないこと、私だから出来ること、私を象徴するもの、私といえばこれだと言えるもの。それを探すところから。
私を彩っている色を、かたどっている形を、まずは理解するところから。
これが自分だと、私の信念はこれだと誰かに伝えられる、そんな確固たる自分を持てるように。
淳一先生に恥ずかしくない自分になれるように。
人からしてみたらちっぽけな、些細なことかもしれないけれど。今まで「自分」をないがしろにしてきた分、まずはここから始めてみよう。
 
私は、この舞台を見て、自分自身のことや、生き方について深く考えたけど。
いろんな感じ方があると思う。それこそ見た人の数だけの、感じ方があって心への響き方がある。
どう受け取るかはその人だけのものだし、何を持って帰るかは自由だ。
私にとってのこの舞台は、「道標」になった。
これからどう生きていくか。
そんな未来を照らす光になった。
 
こんな舞台に出会えたのは、紛れもなく優馬くんのおかげで。
優馬くんが中原淳一さんと出会ってくれたおかげで。
なんて運命的なんだろう。
優馬くんの舞台はいつも、とても彼に似合う。優馬くんが努力した結果なのだから、当たり前だといえば当たり前なのかもしれないけど、ドリアンも淳一先生も優馬くんのためにあったんじゃないかと思うほどだ。
優馬くんが努力して寄せていってるのもあるが、きっと運命もあるんじゃないかと割と本気で思っている。
優馬くんが演じるべき人だった。優馬くんが出会うべき人だった。
優馬くんが演じたからこそ、あの説得力だった。
私はそう思っている。
美しく生きた人を演じるのは、身も心も美しい優馬くんだから出来たことだ。
応援している故の盲目だろうがなんだろうが、私はこの運命を信じている。
優馬くんにはそんな運命を手繰り寄せる力があると思っている。
だから、今回も、優馬くんが素敵な役に出会えたことに感謝しています。
 
それともうひとつ。このカンパニーにも。
今回はSNSを利用してるキャストやスタッフさんが多くて、それいゆの状況を知る機会がとても多かった。
大変そうだし、毎日悩んで、役と向き合っているんだろうなと思ったけど、それ以上に笑いの絶えない和気あいあいとした現場なんだなと思った。
ドリアンカンパニーが素敵だったから。
今回は大丈夫かなあと心配していたけど。
いらない心配だったなあと今は笑い話です。
本当にいつも思うけど、優馬くんの周りは温かい人たちばかりだなあと嬉しくなる。
ドリアンから一緒だった、山崎さんが「カンパニーが仲良くなるのはそんなに多くない。10回に1回くらい。だけどドリアンもそれいゆの現場もみんな仲良いのは、座長(優馬くん)の人柄だと思う。」と言ってくれた。この前のドリアンでもすんらさんが「何十年もやってるけどこんなに仲良いカンパニーはないよ。座長がいいんだろうね。」と言ってくれたし、JONTEさんが「出会えたこと、出会わせくれたことにありがとうです」なんて素敵な言葉もかけてくれて、なんか本当に優馬くんの力もあるんだろうけど、このカンパニーの皆さんなんだよなあと強く思う。
本当に優馬くんは周りの人に恵まれる強運の持ち主だ。
今回も強い引きだった。
優しくて、温かくて、穏やかな陽だまりのような空間の中心に優馬くんがいて、いつだって座長である優馬くんを立ててくれる方々に囲まれて。優馬くんも優馬くんでひとりひとりときちんと触れ合い、話しかけていて。
本当に本当に出会いの運に恵まれた人だなあと思った。
それになにより、優馬くん自身も千秋楽で「自分という人間はこういう出会いで形成されているなとつくづく思います。」と挨拶をしたというのを聞いて、ああちゃんと本人もこれがすごいことだって自覚しているんだなと嬉しくなりました。
 
そして、2回目の座長。ドリアングレイの時は初めての座長で、カンパニーの最年少で、優しく見守って支えてもらったような感覚が強かったけど、今回は少し余裕を感じさせるくらいどっしりとしていて、なんだか本当に座長なんだなあとしみじみ噛みしめるくらいにしっかりしていました。
特にこの舞台で女優デビューを飾った、桜井日奈子ちゃんを見る目がただのお兄ちゃんで、今までずっと日奈子ちゃんの位置にいたのは優馬くんだったのに、もうこんなに大人になったんだなーとすごく思った。優馬くんをはじめ、とにかくカンパニーみんなで日奈子ちゃんを支えようって思いがありありと伝わってきて、たどたどしく話す日奈子ちゃんをみんなで見つめてうんうんって頷いてるのを見て、心がじんわりとするような、幸せなカンパニーでした。きっと優馬くんも日奈子ちゃんを見て、自分もこうやって支えられていたんだなと改めて気付くのだろうなと思うと、すごく感慨深いものがあります。
 
最後に。
この舞台をこの目で見たこと。美しい人たちの生き方を焼き付けたこと。
きっと一生忘れられないし、これからの人生で何かあるたびに、中原淳一さんの生き方を、言葉を、思い出すことでしょう。
そんな素敵な思い出を、素敵な物語をありがとうございました、そうこの舞台に関わったすべての皆さんに言いたいです。
始まりがあれば、終わりがある。それいゆはこれにて終演ですが、キャストの皆さんはまだまだ美しく生き続ける。
だから、またいつかどこかで、再会できる日を夢見て。
それまで、「上向いて、胸張って、前。」へ。
本当に本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。