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君の名は希望

どんな時も君がいることを信じてまっすぐ歩いて行こう

舞台「それいゆ」第2幕

2幕からは、時代が戦後に変わります。人々の様相もガラッと変わり、もんぺや国民服のような色身のない服ではなく、色とりどりのいろんな洋服に身を包んだ人で溢れる世の中になりました。それでも淳一は戦中も戦後も変わらず、真っ白い服に身を包んでいた。1幕よりは浮かなくなった淳一の服装だが、果たしてこの時代は淳一に適応していたのだろうか。

 

  • ミュージカルプレイへの挑戦

終戦間際に徴兵され帰ってきた淳一は、戦後も女性が美しく生きるための方法を提案し続けていた。戦中よりなお一層の情熱を持って、焼け野原を生き抜く女性に希望を与え続けていた。他にスタッフも増えたが、変わらずずっとそばにいたのは桜木だった。そして、天沢も。

天沢は歌の仕事を成功させ、人気歌手になっていた。そんな天沢と共に淳一は日本初のミュージカルプレイに挑戦したいと言い始める。桜木は「そんなものはお金持ちの道楽でしかない」と大反対するが、天沢は長野から帰ってきていた舞子も誘おうと淳一に持ちかけていた。そして2人は舞子が立っていると聞いたステージに向かう。

 

  • ストリップ小屋

舞子が立っていたステージとは、薄暗い部屋に似合わないほどのいたずらに派手なスポットを浴びる場所だった。そこで天沢と淳一は、一枚一枚服を脱いでいく舞子を見てしまう。舞子は「裸さらしておまんま食べる生活」をしていたのだ。客席に淳一を見つけた舞子は逃げるようにステージを後にするが、まったく人が変わったように淳一に冷たい態度を取るようになっていた。

 

そんな舞子に向かって淳一はあの頃と同じように「笑っているのか、幸せなのか」と問いかける。舞子にとって「淳一先生」は憧れだったはずだ。力強い画も、信念ある生き方も、ぜんぶぜんぶ舞子にとっては憧れだったはず。そんな淳一とこんな形で再会した舞子の気持ちを考えると胸が痛くなる。誰よりも尊敬する人は、今でも変わらず美しく生きていた。そして自分にもそれを求めてきた。淳一にとっては純粋に舞子に語りかけたことかもしれないが、彼女にとっては残酷だっただろう。今でも綺麗に生きる淳一を一瞬恨めしく思ったかもしれない。

そしてまたそこには五味の姿もあった。相変わらず時代の需要に沿ったことをし続けている五味は「いまどきミュージカルなんて誰も求めていない。」と淳一の理想を否定し、ある一冊の本を渡す。

 

  • 桜木、淳一の決別

五味から手渡された雑誌には、桜木のイラストが掲載されていた。淳一はヒマワリ社の人間がなぜ他の雑誌に挿絵を描いているのかと桜木につめよる。桜木はギャラが良かったからと説明するが、淳一が気にしていたのはそこではなかった。「この絵だよ、桜木くん。君はこんな絵で満足なのか。」淳一は編集者から求められて妥協して描いた桜木の絵が気に入らなかったのだ。ここで2人の価値観の違いがぶつかった。そして淳一はまっすぐに「君を解雇する。」と桜木に告げる。目を大きく開いて、悲しそうに顔を歪める桜木は、淳一をただただ見つめていた。

 

そして言いたいことがあるなら言えばいいと言われ、ゆっくり口を開く。

「先生は今の時代に合っていない。商売に向いてないんですよ!こだわりたければいくらでもこだわればいい。でも…だったら…他人を巻き込まないでくれ…大衆向けにものを作ろうなんて思わないでくれ…孤高を貫いて自分が好きなものだけ作ればいいじゃないか…!!!!!!僕はあなたとは違う。イラストレーターだけど、芸術家ではない。僕は幸せになれるように求められたものを作るだけです、最小限の労力で、最大限の儲けが出るように!!」

「こだわりを捨てた時点で作家としては終わり」である淳一と、「人に求められたものを作っていく」桜木。根本的に違うスタンスが、2人の間にはあった。きっと桜木は淳一のことを尊敬していたし、憧れていたと思う。だからこそ長い間そばにいれたし、間違いなく淳一の理解者だった。でもそれは紙一重で。2人の関係は桜木が歩み寄って理解していたから成り立っていて、淳一が努力したことは一度もないのだ。だからこの関係は桜木が諦めてしまえば終わりだ。

でもだけど。桜木が話している間も、桜木が頭を下げて帰った後も、ボーっと一点を見つめたり、ウロウロと視線を泳がせたり、淳一は不安そうだった。「彼には彼の生き方がある。」と絞りだしたように言った言葉は、まるで自分に言い聞かせてるような言い方で、切なくなった。淳一は桜木を理解しようと努力はしなかったが、でもそれでも彼の愛情は感じていただろうし、彼を失ったことは淳一にとって大きな出来事だったと思う。またひとりいなくなった。またひとりぼっちになった。…そんな気分だったんだろうか。

きっと桜木は先生に憧れて、いつか超えたいと思いながらも、そばにいればいるほど、自分とは違う世界の人だと思い知ったんだろうなあ。そしてこれを言えば終わりだと思いながらも、最後の最後に自分の思いをぶつけたんだろうなあ。どれほどの覚悟と、寂しさだっただろう。それにしても、淳一も淳一で、愛に溢れた人だから一番近くで自分を支えてくれた桜木の愛情も感じていただろうに、それでも自分の信念を曲げないことを選ぶなんて、業の深い人だなあと思う。大切な人を失うことになったとしても妥協を許さないその生き方は、他の人を傷つけていたけど、きっとそれ以上に自分自身をも傷つけて痛みを伴っていたんだろう。

 

そんな淳一は、ぽつりと天沢に語り出す。

「芸術家なら、彼の言うように心の中で作品を作ればいい。だけど僕が作っているのは世の中の女性が手軽に手に出来る商品だ。自分で工夫できる余地のあるものだ。その商品を通じて美しく生きる方法を提案している。だがいくら手軽であっても作り手は魂を込めるべきなんだ。でなければ本質的な美しさを求めなくなってしまう。」

まるで自分の考えは間違っていない、これでいいんだと自分に問いかけるような言い方だった。天沢くん、と語りかけているのに独り言のようにぽつりぽつりと言葉を紡ぐ淳一はどこか寂しそうだった。

 

  • 淳一の心の葛藤シーン

 淳一が詩を読むと、さえぎるように白い仮面をかぶった敵たちが責める。

もしこの世の中に風にゆれる花がなかったら、人の心はもっともっと荒んでいたかもしれない。
「花が咲いてることに目を向けずに、荒んだままでも人は生きていける。」
もしこの世の中に色がなかったら、人々の人生観まで変わっていたかもしれない。
「いずれは褪せていく色に心を奪われて人生台無しになるだけよ。」
もしこの世の中に信じる心がなかったら、一日として安心してはいられない。
「信じて裏切られる苦しみを味わうくらいなら、最初から信じない方がずっとマシさ。」
もしこの世の中に思いやりがなかったら、淋しくて、とても生きてはいられない。

「あなたは他人にも、自分自身にも厳しい人だ。そして、寂しさに包まれて生きている。」

白いマントが仮面を外すと、そこには桜木。
もしこの世の中に小鳥が歌わなかったら、

人は微笑むことを知らなかったかもしれない。

「小鳥の声なんて今は聞こえない。だから私は微笑みなんて浮かべない。」

そして舞子。

もしこの世の中に音楽がなかったら、

けわしい現実から逃れられる時間がなかっただろう。

「のがれられたつもりになるだけで、そんな時間を求めるのはかえって残酷なだけさ」

そして五味。

もしこの世の中に詩がなかったら、人は美しい言葉も知らないままで死んでゆく。

「美しい言葉なんて、聞けば聞くほど、この現実との違いに苦しむだけさ」

もしこの世の中に愛する心がなかったら、人間は誰もが孤独です。
「淳一先生、あなたは愛する心に溢れている。なのにどうして誰よりも孤独なの。」

仮面を外した舞子が、淳一に問いかける。

白いマントが舞子や、桜木、五味になって淳一を襲ったのは、心のどこかで、罪悪感を覚えていたからだろうか。現れるたびに苦しそうに顔をゆがめる淳一が、とても痛々しかった。たしかに舞子が言うように、いずれは色褪せるかもしれない、桜木のいうように、最初から信じない方がマシかもしれない、五味の言うように、逃れられたつもりになるだけかもしれない、それが現実かもしれない。淳一の詩は理想に過ぎないのかもしれない。このシーンはこういうことを考えて、すごく淋しくなった。そして実際に現実はそうだと言う事が中原淳一さん自身も分かった上で、この詩を書いたのではないかと思った。分かった上で、そうやって現実を見るよりも理想としてこうして生きた方が美しく生きられる、そういうことを提示したかったのではないかと思った。そのための詩なのではないかと思った。

こうやって現実と対比するようにこの詩を使うのはすごく面白かったなあ。

 

  • ミュージカルプレイ

そして淳一の挑戦であった、日本初のミュージカルが上演された。その公演を見に来た、山嵜と淳一はまたもぶつかり合う。

 

そしてまくしたてるように山嵜は語り出す。 

中原淳一は、美しさを手に入れられない暗い時代だったから受け入れられた。多くの人は、ほとんどが君みたいに信念にしたがって生きることはできないんだよ。だから僕はこの手で中原淳一という作家のこだわりを壊したかった。」

淳一が「もしあの時僕を壊せたとしてそれになんの意味があるんです?」と聞くと、山嵜はゾクリとする表情で、

「スーッとすからだよ。自分より優れた人がいればそいつを自分のいる場所まで引きずり降ろしたくなる。なんだ、こいつも現実を受け入れるしかなかった俺と同じ弱い人間なんだと安心したい。」

と嫉妬心があることを白状した。この人も誰より、中原淳一に憧れていた人だったのだ。憧れて、羨んで、嫉妬していた。ならばせめて自分の手でそれを壊せたら、良い影響でも悪い影響でもいいから何かしら淳一に与えられたら。きっとずっとそう思っていた人だったんだと思う。

 

そして山嵜はこう続ける。

「物があふれると人は考えることをやめてしまう。自分で何かを作る喜びも失われて、こだわり抜いて自分にとって最高のものを見つけ出す楽しみもなくなる。並べられた選択肢の中から無感動に選び出すんだ。しかもその選択肢の中は、本物なんかじゃない。「本物っぽい」ものだ。自分じゃない誰かがいいねと言ったものだ。虚飾にまみれたものだ。君にそんな世界が耐えられるかね。」

自由な世界、大量消費社会がやってきた。自由で何でも選択できる、それゆえに自分が今何を選んでいるのか、はたまた選ばされているのか分からない社会だ。その世界で淳一は信念を曲げずに生きられるのか。山嵜もまた、淳一に憧れ嫉妬しているが故に、彼のことを誰よりも理解している人だった。彼にとってこの世界が生きづらくなることを誰よりも感じていた。わざわさそれを指摘するあたり、山嵜は嫉妬だと言ったけど、私にはそれは愛情の裏返しにも思えた。編集者でもある山嵜はやはり流行には敏感だし、きっと淳一が時代に取り残されることを察知していただろう。だからそうなって時代に捨てられていく前に、自分の手で壊したい、彼が理解されなくなる世界を見るくらいなら。嫉妬で壊したい気持ちと同じくらい、そういう気持ちもあったのではないかと思う。淳一にいちばん嫉妬していたのは山嵜だろうが、淳一を、淳一の作品を、誰よりも愛していたのもまた山嵜だったのではないかなあと私は思えてならない。こうして見てみると、本当にこの物語の登場人物は深みのある素敵な人たちばかりだ。ひとりひとりちゃんとした生き方があって想いがある、それを言葉や仕草でひとつひとつ丁寧に表現していて、それが本当に人間くさくて面白い。山嵜を自分なりに理解した瞬間にそう思った。

 

  • 舞子と天沢の再会

舞子と天沢は淳一のお店「ヒマワリ」の前で偶然、再会を果たす。病気で伏せていた母が亡くなり、五味の手助けが必要なくなった舞子は、自分の食いぶちを稼ぐために1人で生きていた。少しずつお金を貯めて、大好きな淳一先生の作品を買うことを何よりの励みにしていた舞子。やっとヒマワリで買い物ができた矢先に、天沢と再会を果たしたのだった。

 

  • 淳一の心の葛藤シーン

真っ白な敵たちが淳一に向かって叫ぶ。

「今この時代は、大量に生み出すことに豊かさを見出し、同じものを持つことに正義感を覚える、多数派に属さなければ排除されてしまう、優しくて残酷で素晴らしい世界。」

その言葉をきいて苦痛にゆがんだ顔で佇む淳一。

 何度も何度も襲ってくる敵を振り払い、逃げ惑うように舞台の上を行ったり来たりしながら手を伸ばす。

「自分自身が追い求めることもなく、工夫することもなく、そのあたりで手を伸ばせば誰でも手に入る服を着て、他人がいいよと言ったものをさも自分が欲しがっていたかのように錯覚しながら買い漁り、味も知らない評判の店で食事をして満足し、流行という言葉に飛びついて、同じ音楽を聞く。そんな生き方の何が美しいんだ……!!」

ほとんど叫ぶようにまくしたてる淳一は、倒れこみながらも言葉を続ける。

「……美しさとは自分の中から追い求めるもの。自分自身に問いかけるもの。誰かに与えられるものじゃない。簡単に手に入るものじゃない…!!!!!!」

淳一は訴えた。この時代に生きるすべての人に向かって。本当にそれでいいのかと、本当にそれが美しいのかと。

 

1幕では制限された自由の中でどう自分のこだわりを貫くかで苦しんだ淳一だが、その時代が終わって次に淳一を迎えた世界も、淳一にとっては難しい時代だった。次に待っていたのは、自由に制限のない世界。自由とは、囲いがあるから感じるもので、その囲いやくくりがなくなれば、人々は自由であることさえ忘れてしまう。自由を持て余して、無限にある選択肢を疎ましく思い、人と同じ選択肢、誰かが決めた選択肢で満足してしまう。そしていつしか自分が決められた選択肢の中から選んでいることさえ忘れ、まるで自分の意志で選んでいるかのように錯覚する。そんな自分を持つことに対して自堕落で、自棄的な世界。淳一にとっては、どちらの方がマシだっただろう。どちらだったらまだ耐えられたのだろう。どちらにせよ、時代が変わっても、時代は淳一に厳しかった。簡単には生きさせなかった。きっと生きやすい時代なんてないのだろう。きっといつの時代でも「美しく生きる」ことには痛みが伴い、苦しみが付き纏う。美しいのはその響きだけで、実際は傷だらけで生きるしかない。そういう矛盾のようなものと、やるせなさをこのシーンから感じ取って、淳一の絶望がありありと伝わってくるような気がした。

そして淳一と生きた時代は全然違うが、淳一の言ってることは現代にも通じることで、このセリフを聞いた時ハッとするひとが現代にもたくさんいるだろうなと思った。現に自分もハッとしたひとりだった。大量生産大量消費である現代社会に生きる人にとってグサグサ刺さる淳一のセリフは他人事には思えなかった。このあたりは本当に人それぞれの感じ方があると思うし、見た人の数だけの響き方があると思う。私も思う事はたくさんあったが、脱線するのでそれはまた。

とにかくこのシーンの淳一は、悔しさ、悲しさ、さびしさ、歯がゆさ、いろんな苦悩の感情が渦巻いていてすごかった。大きな眼から溢れるように垂れ流される涙と、ぐちゃぐちゃにゆがんだ顔が淳一の絶望を物語っていて鳥肌が立った。自分が求めている美しさを、もう誰も求めない、世界にひとりだけ取り残された孤独な男が叫ぶ、その姿は絶望という真っ暗なシーンのはずなのに、驚くほど美しいのだ。悲壮感にあふれ、孤独を背負ってもなお美しい淳一が、まさに美しく生きていることの証明のような、そんな説得力のある美しさだった。

 

  • 淳一の生き方

敵と戦った淳一は、苦痛に顔をゆがめながらゆっくり意識を手放していった。そうしてアトリエの階段で死んだように眠る淳一に駆け寄ったのは、天沢だった。目を覚ましてすぐに見えた天沢の顔に、どこかホッとしたような淳一は子どものようだ。

そして子どものように天沢にすがりついて弱弱しく「僕の生き方は間違っていたのか?」と問いかける。そんな淳一を、天沢は初めて否定します。

「間違っていましたよ。あなたの生き方はずっと矛盾していた。芸術家だからといって孤高を気取ってもよかった。商売人だから職人だからと流行に流されてもよかった。だけどあなたは芸術家よりもこだわりを持ち、職人や商売人よりも社会と向き合い続けてきた。こだわり抜いたものも、1日経てばもう古いと否定して、それでいて完璧な造形美を作ろうなんて狂気の沙汰だ。」

あの約束を交わした日からずっとそばにい続けた天沢にしか言えない言葉だなと思った。淳一の生き方は矛盾だらけだ。もっと高みにあるはずの、分かる人には分かるレベルである自分のこだわりを、商品として提示し続けた。しかも多くの人に希望を与えるものである程度までこだわりを落とすことなく提示し続けたのだ。でもそんな矛盾を抱えながらも淳一は多くの人から支持される挿絵を描き続けた。本当に狂気の人だなと思う。よく自分の中で相反する矛盾を飲み込んだままで、こだわり続けられたなとゾッとする。でも今までの淳一の葛藤から分かるように、人一倍悩んで悩んでここまで生きた人なのだ。だからこそ狂気だけでなく、その中にある人間らしい部分を感じとって愛しくなってしまう。

だから天沢に否定され、孤独に震える寂しそうな淳一の顔を見るだけで泣きそうになった。「君まで僕の生き方を否定するのか。」天沢の腕を強くつかんですがりつく姿にどうしようもなく悲しくなるのだ。だけど、天沢はこう続ける。

 

「いいえ。違います。それでもあなたは誰よりも美しく生きてましたよ。中原淳一の生き方は他のどんな人の生き方よりも美しい。だから多くの人に伝わるものがあったんですよ。」

きっとこれが淳一が報われた瞬間なのだろうなと思った。絶望の中で、一筋の光が差し込んだような気がした。それも強いまぶしい光ではなくて、優しくて柔らかいゆっくりと差し込むような光だ。矛盾を抱えながらも、諦めずにこだわりを追い続けた、時には人を傷つけ、いつも自分を傷つけ、いろんなものを犠牲にして。悩んで悩んで、苦しんで苦しんで、答えを出してきた。表面だけの美しさでいえば程遠いかもしれないが、そのがむしゃらでまっすぐな生き方は確かに美しかった、と。

 

「舞子さんが言っていました、もしこの世の中に完璧な造形美があるとするのなら、それは淳一先生の人生そのものだと。」

淳一が生涯かけて追い求め、焦がれていた「完璧な造形美」は淳一そのものだった。魂が震えるほどの、誰もが疑いようのない美しさとは、淳一の生き方だった。歩みを止めるときは「完璧な造形美」が出来上がったときだと淳一は言っていたが、それはまさにその通りだったのだ。淳一が人生を終えるとき、歩みを止めるときが、完璧な造形美つまり淳一自身が完成するときなのだ。

私なりにこの答えを見つけた瞬間に、スーッと暗闇から抜け出せたような、トンネルを抜けた先の鮮やかな世界に辿りついたような感覚になった。本当に気持ちいいほど、今までの淳一が報われたような、霧が晴れていくような気分になった。それと同時に、今この瞬間淳一は解放されたのだ、もうあの白いマントの仮面に追われることはないのだと思えた。長いトンネルを抜けて、あとは鮮やかな世界を歩くだけ。今までの生き方を誰かに認められ、そして自分の中でも受け入れたらあとはもう進むだけ、そんな突き抜けた明るさを感じた。

 

「やあ。いらっしゃい、舞子くん。」

そして淳一は天沢の計らいで舞子とも再会します。そこで人形に着せようと思っていたドレスを渡された舞子は嬉しそうにそのドレスを見つめていた。

「僕の中ではこのドレスは不完全だ。そして君もまだ未完成な女優の卵だ。そういう意味ではおあつらえ向きだと思ってね。」いたずらっぽく舞子に告げる淳一の顔はどことなく晴れやかだった。

 

さらに、こんなドレスをもらってもどうせすぐ汚してしまうと嘆く舞子に、淳一はこう語ります。

「汚れれば、洗えばいい。破れれば、繕えばいい。その方がただ飾られてホコリをかぶっているよりもドレスも美しく存在することができる。そのドレスと共に美しくありたまえ。努力を惜しまず、精一杯汗かいて、自分自身の夢を追い求めること。素敵な服を着て、満足するのではなく、そのドレスに見合った素敵な自分になろうとすること。そして他人の価値観ではなく、自分の価値観を磨きあげること。

美しく生きるとはきっと、そういうことだ。自分を卑下して下ばかり向かずに太陽を見上げるひまわりのように生きることさ。」

淳一の言う美しさは、悩んで葛藤していた頃となんら変わっていない。時代が変わっても、大切な人がいなくなっても決して変わらなかった淳一の思い。時にはその強いこだわりに自分自身が苦しみ、首をしめていた時もあったが、光が差し込み、苦しみから解放された今、淳一から発せられるその言葉は前よりも輝きに満ち、自信にあふれ、胸にスッと染み込んでいくようなエネルギーを持ったような気がした。

 

最後に天沢は淳一に尋ねる。 

「どうしてそんなに美しさにこだわるのですか?」
「そんなの決まってる。美しさこそ、世界を変えることができるからだよ。」

淳一は力強くそうつぶやいて、優しく笑っていた。「美しさこそ、世界を変えることができる。」美しく生き続け、自身でそれを証明した人にしかない説得力と輝きが淳一にはあった。

 

  • 登場人物のその後

桜木は、少女の友で働いていた元内のもとでイラストを描き続けているし、天沢は今はラジオではいつも声が聴こえる人気歌手だ。五味は相変わらず、真似をして「偽物」を売る生活をしている。こうしてひとりひとりの人間のその後を描くあたりがすごく丁寧だなあと思った。どの人生も綺麗な物語として受け入れて、みんな幸せになって欲しいと願える優しい演出だった。

 

  • ラストシーン

舞台の端で、一番最初と同じように真っ黒い台に向かう淳一。

フッと息を吐いて、

「上向いて、胸張って、前。」

そう呟いて、また人形に手を伸ばす。晴れやかな顔で作品に向かい、楽しそうに、幸せそうに、人形に触れる。その姿が本当に美しくて綺麗で、舞台が明るく柔らかい光に満ちたような充足感でいっぱいになる。本当に舞台がキラキラしてまぶしくて見えないような希望で溢れているのだ。

そんな淳一に向かって、舞子が、美しく生きた淳一先生の物語は、これから先も受け継がれいていくのよ。美しく生きる人のために。と語る。

そして天沢は歌う。

命のある限り おまえを抱きしめて

この世の果てまで おまえとならば

わたしのこの命 悔いなく捧げよう

かたき心の愛の誓いもちて

 

愛の賛歌を浴びながら、一生懸命作品に向き合って、幸せそうに笑う淳一が本当に美しくて。それだけで泣けた。ちなみにこの愛の賛歌、よく聞くものと歌詞が違ったので調べてみたら、実際に中原淳一さんが訳詞したものでした。中原淳一さんはシャンソンを日本に広めた方でもあるらしく高秀男さんというシャンソン歌手をプロデュースしていたとか。もしかしたら天沢はこの方がモデルなのかなとか考えられるのは、実在した人物を扱った舞台の醍醐味だなーなんて。2番の歌詞もあったのですが、とても素敵でした。気になった方は調べてみてください。

 

そして最後は、淳一の語りで舞台は終わります。

真っ黒い何もない台を指して、淳一は客席に語りかける。

「あなたにはこれがどんな形に見えますか?どんな色に、見えますか?

さあ、あなたの中の美しさを思い浮かべてみて。そしてそれを自分自身の姿として追い求めてみてください。他の誰でもないあなただけが生み出せる美しさが、あなたの人生をよりよく形づくり、そしてまた鮮やかに彩ることのできるよう。」

舞台の中央に移動した淳一の後ろに現れるのは、中原淳一さんの鮮やかな画と、大輪の揺れるひまわり。そしてたくさんのひまわりが揺れる黄色い海の中に、淳一は佇んで力強く続けます。

「僕もまだまだこだわり続ける。作り続ける。僕自身のために。

美しく生きるために。」

そうしてまっすぐ天に向かって光を掴むようにゆっくり手を伸ばすと、淳一の手にまばゆい光が集まって、舞台全体が明るい真っ白な光に包まれる。

淳一は生涯をかけて美しく生き抜き、まばゆい光の中のような存在になったのだ。

上向いて、胸張って、前。

そうやってひまわりのように太陽を見上げて。

 

とても良い最後だった。本当に気持ちいいくらいに晴れやかになる、そんな最後だった。なにより、黄色いヒマワリの海で、まっすぐ前を見据える淳一が美しくて涙が出た。ああ報われた、この人は本当に最後まで自分と向き合い続けて、美しく生き抜いたんだと自然と思えて涙が止まらなかった。美しく生きる事の素晴らしさを、自分の人生をもって証明し、提案し続けた淳一が今この現代でもまた、美しく生きようとする人たちの道しるべになっている、そんな時代を超えた奇跡に立ち会えたような気がしました。そして淳一が提案した「美しく生きること」は間違いなく現代を生きる私にも影響を与えたし、なにより、今もなお色褪せることなくたくさんの人に愛され続けている淳一の作品がそれを証明しているなと思いました。淳一が美しく生き続けたからこそ、今もなお淳一の作品が愛され、淳一の生き方が誰かの心を動かしているのだろう、と。

 

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ぜんぶで4公演観劇しましたが、中原淳一さんの信念や、言葉をかみ砕こう、受け取ろうと毎回必死でした。

優馬くんが制作発表の時に「美しい人しか出ていません」と言っていたけど、作品を観てみて本当にその通りだなと思いました。その時は冗談のようにクスッと笑わせるための言葉だと思っていたけど、蓋を開けてみればそれいゆに出てくる登場人物は本当にみんな強かで美しかった。

みんな何かしらの信念を持って、戦中、戦後を生き抜いていて、ひとりひとりにしっかりとした物語が見える、そんな丁寧な舞台だった。

自分が覚えておきたくて書き残したのもあるけれど、少しだけほんのちょっとだけ、見ていない人にも伝わるものがあればいいなーと思いこの記事を書いています。私の拙い文章と、曖昧に覚えているセリフでは半分も魅力を伝えられないけれど。本当にひとつもこぼさずに聞きたい素敵なセリフと、ひとつも見逃したくない美しい生き方がたくさんある物語でした。

見た方は、思い出して素敵な思い出に浸れるように、見ていない方はこんな素敵な舞台があったんだなーと心の隅にでも留めておけるように、この記事を残しておきます。

これを書き終えた今、やっと私の中の「それいゆ」も幕を下ろしたような気がします。改めて、全13公演お疲れ様でした。