君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

帝国劇場と中山優馬

 

2004年、新たな舞台が帝国劇場で誕生した。
それは今も受け継がれ進化を遂げる舞台、DREAM BOYS。
当時、客席の一人だった幼い少年は、11年の時を経て今、DREAM BOYSの看板を背負って帝国劇場の真ん中に立っている。
これは一人の少年が、帝国劇場に辿り着くまでの物語ーーーー。
 
と、壮大な語り始めを並べたくなるくらい優馬くんと帝国劇場には物語があったと思う。
しかも驚くことにそれはフィクションの話ではないのだ。全部が実話であり、ドキュメンタリーなのだ。
母親に連れてこられた舞台を見た少年が、数十年後にはその舞台に立っている、なんて簡単に転がっている話ではない。
選ばれし人にのみ許される物語なのだ。
私は、この目で帝国劇場の舞台に立つ優馬くんを見てそう思った。
 
優馬くんが、DREAM BOYSのパンフレットで、帝国劇場への思いについて語っているページがある。
「滝沢革命」で帝劇の舞台に上がったことがありますが、実は正直、楽屋にいてもあんまり落ち着かないんです。というのも、劇場に歴史と重みがありすぎて、帝劇のほうがまだ自分を受け入れてくれへん…そんな風に感じてしまうんです(笑)。今回「まあ、許してやるか」、そんな風に帝劇に認めてもらえるよう頑張らなと思っています。
あの時、帝国劇場でジャニーズのエンターテインメントショーに魅せられた幼い少年にとっては大きすぎる所。優馬くんのこの言葉をきいてそう感じた。
でも実際にこの目で見た優馬くんは、しっかり足をつけてまっすぐ前を見て立っていた。帝国劇場に許された人に見えた。
 
もともと、最初にDREAM BOYSへの出演が決まったとき、このブログにも記したようにあまりよく思っていなかった。今年の夏は優馬くんはドリアンとして生きるものだと思ってたから、忙しくなる優馬くんも心配だったし、何より稽古時間もそんなにない事が心配だった。
果たして、稽古時間もそんなになくて、公演に間に合わせるのがやっとみたいな状態で、帝国劇場に立っていいのだろうか。それを、帝国劇場や観客は許してくれるのだろうか。
優馬くんを信頼してると言ってもやはり不安は拭えなくて、どうせ帝国劇場に立てるならもっとちゃんと準備を整えて立って欲しかった気持ちは消えなかった。
だから、稽古時間のことをつつかれると痛かったし、言い訳や逃げ道が出来ることが悔しかった。
 
でも優馬くんはもう、そんな境地にいなかったのかもしれない。
ジャニーさんから電話をもらって引き受けた時点で、帝国劇場に立つ覚悟も、ジャニーズのエンターテインメントショーを背負う責任も、ジャニーさんの期待もぜんぶ引き受けていたのかもしれない。じゃないと、あんな気迫と覚悟を身体の隅々から感じたりしない。
ドリボのユウマを見て私はそう思った。
私が言い訳や逃げ道が出来てしまった、出来るならもっと稽古時間をもって完璧なものを見たい、とウジウジ思っていたことなんて、ユウマを見たらヌルかったなと痛感した。
私の方がよっぽど覚悟が足りなくて、自信が無かった。
優馬くんの方がよっぽど「中山優馬」を信じていたし、腹を括っていた。頭では分かっていたのに、やっぱり自分の目で見るまでは優馬くんのことを信じていなかった自分が恥ずかしくて、情けなくなった。
それくらい優馬くんは堂々と帝国劇場の立っていて、華々しくジャニーズ舞台の真ん中にたっていたのだ。
 
もちろん稽古時間はあればあるほどいいと思うし、良い物を作る上で絶対に必要不可欠なものであると思うけど、それ以上にキャストの覚悟や「成功させてやる」という強い意思も大事なんだなとこのカンパニーを見て思いました。
どれだけ稽古時間が無くても、その限られた時間でどれだけ出来るか、何が出来るか、全員が今出来る精一杯をした結果があのドリボだったんだろうなーと、いつかのぴんとこな「私たちの事情など、見に来てくださるお客様には何の関係もないのだ!」の恭之助パパの言葉の意味を改めて噛みしめました。
 
さらに、優馬くんは新聞でもゆうまわるについて「自分からやりたいと言った。怖いし、手足は震えるし、稽古では失敗続き。でも、やるしかない。」と語っていた。
いつだったか自分は運動神経も勉強も何もかも人並みだ、と優馬くんは言っていたし、私もそれを否定しようとは思わないけど。そんな優馬くんがこの難しい技に短い稽古時間でも挑んだことにすごく覚悟を感じた。それも出来るか保証のない大技を取り入れて、どこかで自分を追い込んで、やるしかない状況を作っていったのかなっていう凄まじい覚悟。
優馬くんは確かに群を抜いて秀でたものがあるわけではない。それを自分でも分かっているからなのか、いつだって努力の人だった。歌も、芝居も、ダンスも、人並みだった優馬くんがこんなにもドリボを絶賛された事は、間違いなく優馬くんの努力が関係している。見えないところで、人知れず努力をする人。
だから「何でも出来る人」というイメージを持たれがちだが、私はずっと努力でカバーする人だと思っている。並外れた才能がないなりに、カバーしてカバーして努力以上のものを開花させる人。私にとって優馬くんはずっとそうだった。
だからこそ、今回のドリボのレポや感想を見ていて、「優馬くんは「才能」の人、玉森くんは「努力」の人」という言葉を見つけたのがすごく印象的だった。
優馬くんをあまり知らない人が見ると、そういう風に見えるのだろうか。だとしたら、それさえも「才能」だと思った。
努力を感じさせない人。才能だと思わせる人。
どこか優馬くんは昭和くさいところがあるから、そういう努力を見せないことが自分のポリシーというか軸なのかもしれないので、才能の人だと思われるのは優馬くんにとっては正解なのではないかと個人的には思っています。
今のアイドルって裏も表もぜんぶ見せようみたいな、努力も悲しみも苦しみも葛藤もぜんぶさらけだそうみたいな風潮がある気がしてるんですけど(ドキュメンタリー映画しかり、密着取材など)、優馬くんは絶対そういうところ見せてくれないだろうなあとこれまた勝手に思っています。そういうところは絶対に曲げない人だけど、そこが好きだから。努力や葛藤はこっちで頑張って読み取るから優馬くんはいつだって堂々と自信満々に表だけを見せていて欲しいのです。
 
それこそ、今回のドリボは本当に「中山優馬」の生き方というか、アイドルとしての生き様を見せてくれたような熱量がこもっていた。
ハードな状況下での努力も、微塵も感じさせずただただ凛と背中を伸ばして立っていた優馬くんが誇らしかった。逆にその優馬くんの堂々とした姿から努力を汲み取ってしまったくらいだった。
何も見せずにただただ強く美しくあり続けた優馬くんが本当に好きだと思ったし、これこそ「中山優馬」だと思った。
また、ずっと何かを背負っている人だと思っているけど、今回さらに帝国劇場を背負い、座長を背負い、ジャニーズエンターテインメントを背負った。これ以上何も背負わせたくないと思う反面、いつも優馬くんは何かを背負う度に強く美しく生きてくれるからまた見たいと思ってしまうのだ。それは酷な事かもしれないけど、何かを背負わせたくなる人。背負うたびに強くなる人。
今回帝国劇場を背負う姿を見て、それを強く感じて、優馬くんのその生き方にゾクゾクした。期待も覚悟も責任も、自分のエネルギーに変えていく、化け物みたいな人だなと思った。
前にこのブログで、こんな記事を書いたことがある。
その記事の中で、
優馬くんがアイドルをしないことを選んだのは自然のような気がして。むしろ、今アイドルという職業を選んでいることが不思議な気がして。
もしかしたら優馬くんは普通の人として生きる方がピンときていたかもしれない。 
と書いている。
確かにそう思うことも事実なのだけど、同じくらいアイドルに選ばれた人だとも思うな、とドリボを通して思った。
本人は庶民的な部分もある飾らない人だけど、でもやっぱりひとたび舞台に立つと人が変わるような。舞台に選ばれた人にしかない輝きを放つのは舞台に愛されている証拠だな、と強く思うのです。
優馬くんがアイドルじゃない人生もありえたかもしれない。
とも綴ったが、ドリボを見る限りそんな人生やっぱりありえないなと思うのです。
優馬くんが舞台に立たない人生なんて、ジャニーズとして生きない人生なんて、退屈すぎる。こんな華々しく輝きを浴びた人を見れないなんて、そんな人生欲しくないと思うくらいに、とてもジャニーズが、帝国劇場が似合っていた。
たとえ優馬くんがアイドルを選ばずに生きていたとしても、必ずどこかで見つかっていただろうと強く思うほど、優馬くんはこのために生まれた人だと確信した。
改めて滝沢革命を経て、ドリボの舞台で久々に帝国劇場に帰ってきた優馬くんは、帰る場所はここだったと、優馬くんが立つ場所はここだと自分の身を持って証明してくれたことを本当に誇らしく思います。
 
さらに今回はWキャストという特殊な形のドリボ。私は優馬くんのドリボしか見てないので、どちらが良かったかなんて言えません。ましてや負けず嫌いの個人的な性格上、どちらも良かったはもっと言えません。
たくさんの声も聞いたし、意見を見た。Wキャストという形は「比べられる」という宿命を負っているもの故の痛い意見も比べ方もあった。
でも私はWキャストで良かったと思っています。今の状況では、優馬くんだけで帝国劇場を埋めるのは悔しいけど厳しいと思うし、マリウスくんや風磨くんにたくさん助けてもらったと思うし、キスマイの集客力はやっぱり羨ましいと思わずにはいられません。どうしようもないし、今すぐどうにかなることじゃないとは分かっているけど、やはり歯がゆい思いをしたのは事実だった。だからこそWキャストという形で関わらせてもらったのは今の優馬くんには「正解」だと思うし、キスマイのドリボというもともとの注目度あるものに関わらせてもらったからこそのこの注目度だったと思う。
でも今回の優馬くんを見て、このドリボでも人を集められるのではないか、と思った。物語自体のクオリティーとキャストの高い士気と、華やかなショーは、集客力の欠点を凌ぐ魅力となるのではないかと思ったし、新たな武器にしたらいいのではないかと。物語自体のクオリティーが高いと自然と集客力はついてくる気がしたのでぜひ来年からの形態に注目したい。
 
そして。
「僕には自信がある」
改めて、今回のこのドリボの優馬くんはこの言葉に尽きる。
堂々と貫禄さえ感じさせた姿だったが、それもこれも努力と経験を力に変えた自信からくるもので、その自信を支えているのは優馬くんの凄まじい覚悟だろうなと思いました。
先輩たちが受け継いできた、歴史あるジャニーズというブランドと、エンターテインメントショーへの強い責任をしっかり背負っている座長の姿は、とても真摯で敬意に溢れているように映りました。
そして帝国劇場で聴くIn The Name of Loveには、希望しかなかったので、これからの優馬くんが本当に楽しみです。
「ずっと、ずっと、待っていたんだ こんな日が来ること」君の事、幸せにしてみせる」「不安はいらない や・く・そ・くする 僕はずっとここにいると」「見えるだろう君にも 願い続けた夢が 今僕の前に」優馬くんが綴った歌詞がこんなにも、帝国劇場の真ん中に立つ優馬くんに重なるなんて。いつもIn The Name of Loveには泣かされてばかりだし、ソロコンオーラス以上のIn The Name of Loveは無いと思っていたのに、軽く超えてくるから優馬くんを追いかける2015年こんなに幸せでいいのかと若干怖くなりました。
 
優馬くんがいろいろな仕事を経験していく中で、彼にとって舞台は本気で挑んで、自分の可能性をさらけだすもの、本気でぶつかって向き合わないと人の心は動かないと思い始めているんだろうなあと2015年ひしひしと感じているので、愛しいなあと思っております。ひとつひとつ大事に真剣に向き合って、強い意思の中で優馬くんが作り上げていく役もとても愛しいです。今回のドリボは夢を追いかける若者の物語でしたが、ユウマを通してジャニーズの舞台に憧れた幼かった優馬くんの夢が叶う瞬間を見れて嬉しかった。優馬くんもジャニーズ舞台への憧れと夢を、風磨くんもドリボへの憧れと夢を、マリウスくんもショーへの憧れと夢を、それぞれ背負って駆け抜けたまさにその姿こそがDREAM BOYSそのものだった。夢を追う3人を見れて幸せでした。
 
最後に。今回ドリボで帝国劇場に帰ってきて、なおかつ初めて座長として帝国劇場に立った優馬くんを見て。新たな時代の幕開けの目撃者になった気がしたので、貪欲に生きたいなと思いました。たから帝国劇場で花開いた優馬くんがまた戻ってくることを望みます。
本当に貪欲に望むならば。これからたくさん帝国劇場を経験したら、ドリボでも革命でも、ジャニワでもなくSHOCKでもない、新しい帝国劇場での舞台が欲しいです。その真ん中に優馬くんを立たせて欲しい。優馬くんにはそれが出来る人になってほしい。帝国劇場に立った数々の先輩方と肩を並べるようなジャニーズのショーを引っ張る人になって欲しい。
私は欲張りに望んでいきたいと思っています。想像を軽く超えて、いつでもすごいものを魅せてくれる優馬くんを貪欲に求めていきたいです。優馬くんならそれに応えてくれると確信しています。
 
2015年。
帝国劇場と優馬くんの物語はまだ、
はじまったばかりだーーーー。