君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

ドリアンに出会えた奇跡について考える

優馬くんの初主演舞台「ドリアン・グレイの肖像」
9/6に無事に千秋楽を迎え、優馬くんの一生に一度の初主演舞台は大成功の後、幕を閉じた。
幕を閉じた。………幕を閉じた。
分かっている。幕を閉じたのは分かっている。
でも私はまだ、ドリアンが優馬くんの中にいるのではないかと思ってしまう。
しかし実際には、いよいよ明日からWキャストの「DREAM BOYS」での優馬くん版の公演が初日を迎える。
TwitterのTLが帝国劇場のユウマで溢れるその前にどうにかドリアンへの想いを綴っておきたい。
ドリアン・グレイについて記事を書くのはこれが最後です。(多分)

とか言いつつ、何から書けばいいのか迷ってしまう。それくらい、ドリアンには想いがあって、この膨大な想いをどうまとめればいいのか分からない。
まず、パッと言葉にしたくなるのは、ドリアン・グレイが好きだ、ということ。人として一人の人間としてとても愛しいと思っている。
それが優馬くんが演じているからなのか、それともただ単にドリアン・グレイという人間性が好きなのか正直もう曖昧で、境界線は分からない。それほどまでに優馬くんはドリアンだった。一瞬優馬くんなのか、ドリアンなのか分からなくなるくらい、ドリアンは優馬くんだった。

ドリアン・グレイの最大の特徴は、あの美貌だ。誰もが美しいと認め、そこにいるだけで場が明るくなる華やかさと、純真無垢で何にも染まらないような真っ白く美しい心も併せ持つ。
この美貌と釣り合いのとれた中身の純粋さ天真爛漫さもまた彼の「美しさ」を高め、尊いものにしていたように思う。
つまりは、ヘンリーと出会う前のドリアンは、肉体の美しさも、精神の美しさも兼ね備えどちらもドリアンの美しさに作用していた。
何も知らない、自分の美しささえ自覚していない、自分の中に眠っている感情も把握していない、まさに真っ白。汚れの知らない無垢な魂。でも皮肉なことに、その精神の美しさこそが、ハリーの言葉の誘惑、魅力にも真っ直ぐ向き合わせてしまったのだと思う。
何も知らないからこそ、何でも吸収するし、真っ白だからこそ、何色にも染まれる。
きっとそれを知っていて、ヘンリーは天真爛漫な子供であるドリアンに自分の美しさを自覚させた。
奇しくも、この時のドリアンは一番美しかった。ヘンリーからの快楽の世界へ導く魅惑的な言葉の数々、初めて知る感情に「知らなかったそんな考え方!」と素直に瞳を輝かせるドリアンは、自分の中から現れる感情を知れた喜びと、新しい感情が渦巻いていることの恐怖も感じていて、キラキラした瞳のなかに一抹の不安もにじんでいるそんな人間らしい表情をしていた。その一番美しいドリアンをバジルは、描きあげてしまったのだ。
そしてここからドリアンの破滅への道がはじまっていくのです。
私は、破滅へ向かっていくドリアンもどうしようもなく愛しく感じてしまいます。
自分の美しさを自覚し、それが失われていく恐怖も、美しさへの執着心も手にして、自己中心的、利己的になっていくドリアンも抱きしめたくてしょうがないのです。
もう子供じゃない、ある意味人間らしい醜い感情も知り、底知れない欲に出会い、自己を認識し、悪事を重ね、それでもなお肖像画に責任を転嫁し続け、自身は美しく生きたドリアン。
確実にあの頃の純真さや真っ白な心は失っているはずなのに、欲に溺れるドリアンも純粋で純白なままな気がしてならないのです。
私にとっては最後まで真っ白なまま死んでいったのだ。どこかで、ドリアンという人間自体に穢れない失われない強烈な、根強い純粋さがあるのだろうと思っている。どれだけ汚れて背徳を重ねても、ふと子どもっぽさが抜けないところもドリアンなのだろう。
でもやっぱり悪事を重ねて、感覚が麻痺してたことも確かで、シビルが死んでも悲しまなかったり、バジルを殺した時の残酷で冷徹でただの有機物を見つめているような感情のない瞳は、人間じゃないような冷たさがあって、きっと我を忘れる瞬間があるんだろうなと思うと、その時は一瞬だけドリアンが怖くなる。
だから、ジェームズの言っていた「お前の愛が失せたとき、お前の命も失せていた。」という言葉もそれはそれで本当なのだろうと思う。バジルやシビルを見捨てたシーンでいつも、ジェームズのこの言葉が浮かぶのだ。
「お前の愛(=シビルへの償いの心)が失せたとき、お前の命(=精神の美しさ)も失せていた」と、シビルを忘れたことから破滅が始まるので、ジェームズは誰よりもドリアンの状況を言い当てている。
それでもやっぱり私にとって、ドリアンは最後まで真っ白なままなのです。
根っこに強烈な純白さを感じるのです。絶対に汚れることのない白さ故の、異様なまでの美への執着心だと感じるのです。ドリアンの美への思いは、結果や過程はどれほど醜くても、その思いだけは怖いくらい真っ直ぐで純粋で真っ白いものだと思います。

このドリアンと優馬くんの共通点は、さっきからずっと言っている強烈な純白さ、純粋さだと私は思っています。
特に破滅への道を辿る前のドリアンの愛され方なんて、アイドルとしての優馬くんにそっくり。
ジュニアの時から、いかにも敵を作りそうな環境に置かれていた人なのに、実際にはどこにいても西だろうと東だろうと優馬くんの周りの人たちはみんないつも楽しそうで、疎まれる姿なんて見たことなくて、いつも輪の真ん中にいた。今だって、優馬くんのバックについてくれるジュニア担から「ありがとうございます!」と崇められる(www)ことはあっても、嫌な顔されることなんてないし。
そういう人間力がみんなに好かれているから、ドリアンと優馬くんはすごいところでリンクしてきやがるのです。

だから、このドリアンと優馬くんが出会えたことって、奇跡だし必然だし運命だし、神秘だと思っています。
何百年もの時を経て、オスカー・ワイルドが描いたドリアン・グレイが優馬くんによって蘇ったこと、いや優馬くんの中に生きたことは何かの偶然だとは思えないのです。
蘇るべくして、優馬くんの中に宿ったのではないかと思えてならないのです。
それほどまでにドリアンは優馬くんそのもので、優馬くんはドリアンそのものだった。
あの一瞬のような一ヶ月、優馬くんはドリアンとして生き、ドリアンは優馬くんの中に宿った。 
ドリアンは19世紀末から優馬くんとして生まれ変わったのだ。そしてまた生涯を終えた。
夢のような、でも確かにそこに在ったような強烈なインパクトを残して。

舞台の全体的な事では、やはり経験の豊富なキャストの方に大いに助けられていたとは思います。優馬くんは舞台経験が豊富という程でもないし、あのキャストに囲まれると足りない、至らない部分も確かにあったと思います。
私も最初観劇した時、初めの方のシーンのセリフがちょっと淡々としていて、流れているような気がした時あった。
でも、それだけ目をつけていてはとてももったいないと思った。優馬くんの否定的な部分だけを取り上げて見るにはあまりにもマイナスな事が多すぎる。
逆に、その優馬くんの初々しくて蒼い芝居が、ドリアンの危なっかしさと早熟さとを上手く表現していたとも感じたし、なによりそんな技術とか周りの方と比べて劣るキャリアとか云々より、優馬くん自体の気合いというか自分の芝居を!という気迫がすごかったので、しっかり豊富なキャリアに対抗してる気さえした。
優馬くんの芝居への想いをまさかそんなところから感じるなんて思ってなくて、一番最初に感動したのはそこだった。
だから、この舞台の真ん中に立っているのは優馬くんで間違いないと確信しました。
正しく真ん中に立つ優馬くんに、またこの人は……っていう何億回目の感情が……

あと、グレンさんの言っていた、
「これは悲劇だけの物語ではなく喜劇を感じて演じて欲しい」という考え方を隅々に感じた舞台だったのが面白かった。
原作よりも、みんな明るくて軽快なキャラクターで、最初は意外だったけど、よく考えてみたら確かに最初から自分の人生を悲劇だと思って生きてる人なんていないよなって。
毎日、365日、暗く思い詰めて生きる人なんていないよなって。嬉しいことだって、楽しいことだってもちろんあるし、むしろドリアンの人生でもその時の方が多かったかもしれない。
グレンさんは、ワイルドが描かなかったその喜劇の部分、より細かい人間的な部分もきちんと丁寧に映し出していて、そこにすごく共感した。
ドリアンだって、日々新しい自分と出会い、喜び楽しみの中に、影響を受け、悲しみや欲を重ねて、その結果が悲劇の生涯として終わる、ということなのではないでしょうか。
そう考えると救われる。ドリアンの破滅していく闇にばかり焦点を当てられがちですが、グレンさんの考えるように喜劇でもあったんだと思うと、そんなに悪い人生じゃなかったと救われてしまうから、すごいよなあ。

最後になるけど、優馬くんは、全員揃って再演したい、と言っていたそうだけど、私は複雑な思いでいる。
もちろんもう一度優馬くんの中にドリアンが宿るなら、血が巡るなら、とても嬉しい。
でも、このドリアン・グレイは「今の」優馬くんだから出来たことのようにも思えるのだ。
優馬くんの年齢で経験で、この気持ちだからこそ、が強く反映されたと思えるのだ。
あのドリアンは「今しかできない」ものだった気がする。
だから私は今、すごく刹那で一瞬で、本当に人生は一度きり、だと言うように、優馬くんはドリアンを一回しか生きれないような、もう優馬くんの中のドリアンは一生を終えてしまったような気分でいる。
それでもまた、ドリアンが優馬くんの中に宿ってくれるなら、優馬くんの身体で良いと言ってくれるのなら、私はまたドリアンに出会えるかもしれない。
ドリアンが優馬くんの美しさを、自分の美しさとして受け入れてくれるなら、優馬くんが若さと美しさを併せ持つ時間は刹那だから、それまでに宿ってくれるなら、またぜひ出会いたい。
そんな少し控えめな気持ちでいる。
こんなに舞台の中の誰かを愛しく思ったのは初めてだし、生きているような感覚で見てしまうのは不思議な感じだ。

優馬くんの初主演舞台がこんなに愛しい人物の人生だったなんて幸せで一生忘れない思い出になる。
でもドリボが始まったらまた優馬くんはユウマを生きると思うので、そして私はまたそれに夢中になるので、一旦ドリアンはそっと青春の小箱にしまうことにします。
さよなら、ありがとう、大好きだよドリアン………

(とか惜しんでるけど、ドリアン・グレイをやり終えた優馬くんが帝国劇場の眩しいド真ん中ジャニーズ舞台に戻ってくるってなんか超興奮するのであと2、3日したらユウマ、ユウマと言っているに百万票!ジャニヲタは図太い……)

というわけで、
「ドリアン・グレイの肖像」
終幕。素敵な夢をありがとう。