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君の名は希望

どんな時も君がいることを信じてまっすぐ歩いて行こう

ドリアン・グレイの肖像【8/18】

いよいよ幕を開けた、優馬くんの主演舞台。
ドリアン・グレイの肖像。
私の初日は、最初の東京公演の千秋楽でした。
ザッと初見の感想を。

まず舞台上はとてもシンプルだった。
ハープシコードと、数脚の椅子、そして中央に物語の中心となる大きな肖像画。
このシンプルさが、大きな肖像画のインパクトを際立てているのが印象的だった。この肖像画をメインとして話が進んでいくので、とてもこの大きさは効果的で良かったと思う。また、どんどん醜く朽ち果てていく肖像画の姿は見ていられないほどの無惨さだったが、一目でドリアンが破滅に向かっているのか分かるのが印象に残った。

そして、舞台。
始まりは、ドリアン・グレイがハープシコードを演奏しているシーンからだった。
一点に光が射さり、その光が強くなってドリアンが見えた瞬間に、優馬くんの影は見えなかった。
この楽譜が欲しい!と子どものように天真爛漫にはしゃぐ姿はドリアンそのものだった。
明るく快活で、純粋でいたずらっぽい瞳をしたドリアンだった。若さを武器としていることを知らない、純粋無垢でまっすぐな美青年だった。

また、衣装が多いのも印象的だった。ドリアンは上流階級なだけあって華やかな衣服を身にまとっていたが、その華やかさに負けないお顔をしているのでとてもよく似合っていた。
いい意味で派手で、濃い顔が映えていた。
特にシヴィルの舞台をバジルとヘンリー卿と観劇に行く時のピンクのお洋服がお気に入り。
観劇にいくからかいつもより少しおめかししたようなお洋服と、シヴィルを見れる!というワクワクとした天真爛漫な笑顔がミスマッチでとても可愛かった。

この時のシヴィルを見るまでのドリアンは、本当に子どものように純粋で、穢れの知らないまっすぐな綺麗な瞳をしたドリアンだった。
飛んだり走り回ったり、ヘンリー卿の手をとってくるくるまわったり、無邪気で無防備な美しいをまとったドリアンだった。それに魅了されているバジルの表情がなんとも言えなくて時折、恍惚そうにドリアンを見つめていたのを強く覚えている。

しかし、シヴィルが死んでしまい、肖像画の口元が醜く歪んだ時からドリアンは破滅していく。その流れが、本当に美しかった。
純粋で、シヴィルを傷つけ肖像画が醜くなった事を後悔していたドリアンが、次第に堂々と立ち振る舞い臆せずに邪悪な笑みを浮かべるようになっていく様すら綺麗だった。
どんなに周りが年をとっても、ドリアンだけは美しさを失わない、まさに輝ける青春であり続けるドリアンは、その裏に大きな罪を背負い続けている。その光と影のコントラストが絶妙に表現されていて、あまりにも美しかった。

バジルが家を訪ねてきて、噂について真相を確かめるシーンがある。
椅子に腰掛け、堂々と立ち振る舞うドリアンにはもはや善悪のものさしはなく、自分こそが正しいのだという自信さえ感じているように見えた。そんな邪悪さを持ってしまってもなお、変わらないのはドリアンの美貌である。
ドリアンが背徳を重ねても、美しさは本当に変わらなかった。だからバジルは信じられないといった。悪いことをしている人は顔に出るが、君はまったく変わらない。美しいままだ、と。
バジルはドリアンと疎遠になっても未だ、彼を崇拝したままだった。変わらない美しさに魅了されたままだった。
だからドリアンはバジルを殺してしまったのかもしれない。バジルが求めているのは、ドリアンがとっくの昔に捨ててしまった自分だったから、純粋に美しかった頃の自分だったから、今の自分を否定され、憎んでしまったのかもしれない、と思った。
でも皮肉なことに、バジルをナイフで一突きした後もドリアンの美しさは変わらなかった。あの美しい顔でバジルに刃を立てたのは狂気でありながら、もはや芸術だった。

大きなマントを羽織り、フードをかぶって阿片窟に出かけるドリアンもまた美しかった。
真っ暗な闇の中で、虚ろな目をしたドリアンがアヘンを吸う姿さえ、優美で上品に見えた。
フードから見え隠れするお顔が、恍惚そうにした瞬間に白い煙が口元からあがるのだ。
それがどれだけ幻想的で美しいか。これだけでも見に来た甲斐があったとチケットを握りしめた。
それなのにその後に、ハープシコードを弾きながらアヘンを吸う姿を見せられた時には息が止まるかと思った。狂ったようにハープシコードを弾くドリアンの周りに男や女たちがいっせいに群がり、絡み合い、まとわりつき、ドリアンを翻弄していく。アヘンを吸わせられたり、首輪で拘束されたりする中、一心不乱にハープシコードを弾き続け、時折苦しそうに顔を歪めたと思ったら、次は快楽に溺れるように口元をゆるめたり、その姿は本当に狂気であり、息を呑むほど美しかった。
初めは「無邪気で無防備な美しさをまとった」と言ったが、この時は言うなれば「邪悪で、闇をまとった美しさ」であった。

原作にはないこのシーンだが、とても良い演出だと思った。原作では、快楽に溺れ背徳を重ねるドリアンが丁寧に描写されているが、この舞台ではそれがこのシーンに詰まっている、と感じた。ハープシコードを弾いてるだけなのに時の流れを感じて、狂ったように悪事を重ねていくドリアンが見える気がした。原作のダイジェストのように、悪事を重ねるドリアンが走馬灯のように駆けていく心地がした。
この数々の悪事を重ねていき苦悩していく姿を、ハープシコードを弾くだけのシーンで表した演出もすごいし、それを表現する優馬くんも本当にすごいと思った。
見るだけでもすごくエネルギーがいるのに、表現者がここに使うエネルギーはどれほどなのだろうと考えるだけで体力が奪われそうだった。
でも、ここが一番印象に残るくらい衝撃的でパワーのあるシーンになっていたと感じたので、演出と優馬くんの表現は正解しかないなと後から噛み締めている。

そして物語の最後は、自分への戒めを込めて肖像画にナイフを向けて終わった。それと同時にドリアンは今までの報いを受け、身体中に皺を負い変わり果てた姿で死んでいくのだ。
最期まで自分の美しさに翻弄され続けたドリアンは、最期に一番醜い姿で死んでいく。
この事実がどれだけ悲しくて残酷か。それを突きつけられた気がして、やっぱり最後はとても胸が痛かった。

全部を観劇し終わって。
どれだけ年を取り、美しさを失っていっても、外見だけじゃない美しさがあって、それを大事に磨く人は年を取って、顔に皺があっても美しい。若さは永遠じゃない、いつかは失われるものだけど、その時を精一杯生きるからこそ「若さ」が尊いのであって、若さは一瞬だからこそ、誰しもその時を精一杯生きるんじゃないか。それが人間らしくていいのではないか。
私はドリアン・グレイの肖像からこう感じた。
ドリアンは美しさに執着し、結果その自分の美しさによって自身を破滅に追い込んだ。
とても悲しい人生ではあったけど、愛情にしろ憎悪にしろすべてを一身に受けた人生だった。
すべての人のベクトルの向かう先だった。 
だからこそ、普通に年を取り、老けていくドリアンも見たかったと思った。あのまま純粋に美しいままだったら、たとえ老けていってもドリアンの内面からの美しさに崇拝する人がたくさんいただろうと思った。
でもこうして最期まで美しさとともに生きたドリアンはやっぱり、美しい。どこまでいっても美しい。美しさは正義であると証明しながら死んで行ったドリアンは尊いなと思った。
グレンさんが何を伝えたかったのか、私は伝えたかったことが読み取れたのか、それは分からないけど、とにかく私はこういう風に感じた舞台だった。

そして、全部のシーンが終わり、キャストが挨拶をする中、最後に真ん中に走ってきた優馬くんのことも書き残しておきたい。
本当にいい表情をしていた。
充実しているような、やり切ったような表情が印象的だった。
ここだけは優馬くんに見えて、ここで初めて優馬くんに会ったような感覚に陥った。
また、両手を広げ、客席に向かっておじぎをする合図をキャストに送る優馬くんは立派な座長で、ととも大きく見えた。
優馬くんがこうやってキャストを引っ張り座長をする姿を見れる日が来るなんて、夢みたいだった。嬉しくて嬉しくて、一瞬でも見逃したくなくて焼き付けるように見た優馬くんは、とても嬉しそうに笑っていた。
それだけで幸せだった。

以上が私が感じたドリアン・グレイです。
ちなみに私は、この記事を大阪の森ノ宮ピロティーホールに向かう途中で書いている。
今から、2度目のドリアン・グレイの肖像を観劇してくる。これで最後の観劇になるので、ドリアンをしっかり見納めしたいと思う。
もうすでに寂しくて、寂しくて、泣きそうになっているので、森ノ宮ピロティーホールでひとり大号泣してる人がいたら間違いなく私です。
では、いってまいります。