君の名は希望

優馬くんの名前は希望と今 知った

愛はタカラモノ〜優馬くんとタキツバ〜

ジャニーズは今、歴史の過渡期にあるのだろうか。それとも、何かの代償を払い続けているのだろうか。
と、思うくらいここ数年思いもよらなかったことが起こり続けている。
今年もまた、引き続いて激動の年だった。もう来年は落ち着くだろう、何もないだろう、その甘えをずっと反省させられている。
そして何かある度に、アイドルの儚さを痛感し、永遠だと錯覚していたことに気付かされる。

こうして2018年も様々なタレントが決断をした中で、中山優馬くんのファンである私にとってやはり大きかったのはタッキー&翼の解散だった。
いや、すべてのジャニヲタにとってか。この解散を他人事と思えないジャニヲタは山ほどいるだろうな。
そのタレントのファンとして、タキツバに足を向けて寝れないと思う人がどれだけいるか。それほど、たくさんあるグループのファンにも影響力の大きい、ジャニーズにたくさんの物を残している二人だった。きっとそれぞれのグループのファンが、タキツバとの色んな思い出を持っているだろうなと思う。
優馬くんも例に漏れずそうであり、10代の優馬くんの隣にはほぼこの二人がいてくれた。私はタキツバのことを優馬くんのパパ、ママだと思っており、パパとママの間でニコニコ微笑む優馬くんが好きだった。
環境も本人の様子も不安定だった10代の頃、唯一安心して見れるのはこの二人のそばにいる時だった。
そんなパパとママとの日々を、私の大好きなエピソードとして残しておこうと思う。

①タッキーの尊敬するところは「顔」

これは帝国劇場の100周年記念公演「新春滝沢革命」の制作発表で優馬くん(当時16歳)が放った言葉です。
面と向かって言われたことがなかったのか「返しに困った」という滝沢くんに私は思わず笑ってしまった記憶がある。
滝沢くんのたくさんあるカッコイイところの中で、一番カッコよくないと成立しない「顔」を選ぶあたり、優馬くんにはおたくのイズムを感じました。
ただ、当たり前すぎてこんなに堂々と言った人がいなかったのか、ちょっとザワザワしてたのも笑ってしまった。
そのあとラジオかなんかで「真面目な顔して何言ってるんだと思いましたよ。緊張して舞い上がってたんだでしょうね、かわいかったな…」と冷静に滝沢さんが分析してたのも地味に笑いました。


②ここ10年で一番やるなと思った後輩は優馬
[レコメン! 2012.09.20]

これはヨコヒナがパーソナリティーレコメン!にて、ファンからの質問に答えてくれたタキツバの言葉。

(ここ10年で一番やるなと思った後輩は?)
優馬かな。普通ね、あのスピードできちゃったら勘違いとかしちゃうじゃん。勘違いして普通だと思うんだよね。
でも優馬はそこちゃんとブレずにしっかり持ってるからすごいなと思うよね。(滝沢くん)

同じく優馬かな。彼は賢いよね。頭がいい。勉強できるとかの賢さじゃなくて知的なんだよね。品がある。(翼くん)

この言葉に当時の私はすごく救われました。あの頃の優馬くんはひとり関西を離れ、ドラマや舞台などめまぐるしく仕事をしていたけど、きちんと心が追い付いているのか、そして見てくれる人が周りにいるのか、ファンながらに身内のようにただただ心配していたから。滝沢くんの言葉できちんと地に足つけて物事に取り組んでいることが分かったし、翼くんの言葉で控えめで人見知りな優馬くんの良さもきちんと見てくれている、と思えて嬉しかった。横山くんも優馬は関西だけど、俺らよりタキツバの方が面倒みてるもんなー!と言っていたし、きっと10代の優馬くんにはタキツバのふたりが安心できる大きな拠り所だったと思います。


③プレゾン公演中、楽屋に炊飯器を持ち込んだ翼くん。「優馬の分のお茶碗も持ってきた!」
[今井翼のto base 2014.01.10]

これはマルヒナのレコメン!に翼くんと優馬くんでゲストで出演して、そのままto baseに出たときのラジオでの翼くんの発言です。

(ふたりはお互いの楽屋に遊びに行ったりしますか?)
翼「たまにあの、優馬呼んでます。最近炊飯器入れたからね、楽屋に。で、実はなんか、あの、ほんとにねえ、気持ち悪い話なんですけど優馬くんの分のお茶碗も持ってきたんで」
優馬「うわー!んふふ。いやもうありがとうございます!」
コレちょっとしどろもどろに、お茶碗持ってきたと白状する翼くんの激重愛情にめちゃくちゃ笑いました。自分で気持ち悪いと自覚してるのもめちゃくちゃ面白い…。でも優馬くんの分だけちゃっかり用意してくれる強火っぷり。
優馬くんも優馬くんでんふふと可愛く笑いながらわーいって喜ぶもんだから何を聴かされてるんだろうコレは…ってなりましたよね。
滝沢くんが後輩の面倒見が良いのはパブリックイメージとしてあると思うけど、翼くんも仲良くなると結構尽くしてくれるんだなあと思いました。


④ジャニーさんの誕生日会

今では事務所の恒例行事みたいになってるようですが、そもそもの発案者は優馬くんで、実行してくれたのは滝沢くんという、テレビでもたびたび披露される話です。
優馬くんがバーで城島リーダーと会い、誕生会をやりたい、タレントが集まる機会があったら楽しそうと一緒に話したのがきっかけで、いち早く相談したのが滝沢くんという。
やっぱり結局頼るのは滝沢くんっていうのが優馬くんらしいし、すぐ引き受け完璧にこなすのが滝沢プロって感じですごく好きなエピソードです。
優馬は一か月前からジャニーさんを口説くという重要な任務があるからあとは全部俺がやるって言ってくれる男気がすごいし、しかもそれをテレビやラジオできっかけはあくまでも優馬だから幹事はあいつで俺は準備しただけ、と後輩に華を持たせてくれる優しい先輩ですよね。
まあ当の本人は言い出しっぺやけど何もしてないから…とちょっと気まずそうに言ってましたけど笑。
優馬くんがよく言っている「前に出ていくのではなく背中を見せてくれる人」というのはまさにこういう部分なのだろうなと思います。きっと優馬くんにとっては一生大きい背中なんだろうな。



⑤滝CHANnelでの「優馬を爆笑させたい」
[第66回 2012.01.20 革命のピンチ!中山優馬を大爆笑させろ]

これは滝沢くんがジュニアに活躍の場を、という形でWebで配信していた動画コンテンツでの企画です。

(滝沢革命の稽古中。もう完璧?引っかかることはない?)
「...ちょっと優馬がね。ご飯も行ってるし、優馬の誕生日もみんなでやったりしてるんですけど、未だに大爆笑した優馬の顔を見たことがない。ちゃんと心を開いて息を合わせるのが舞台では必要になってくるのでね、まずは大爆笑から。」

先ほども言いましたがこの頃の優馬くんはひとり関西を離れ、知らない場所で知らない人と仕事をする機会がほとんどでした。人見知りで気遣い屋の優馬くんはきっと、いつでも気を張って緊張しながら仕事していたと思うんですよね。そんな優馬くんに気づいて、滝沢くんが計画してくれたこの企画が私は大好きでした。
自分では笑わせられないから関西ジュニアにその役目を、と結果的に関西ジュニアにも仕事を持ってきた抜かりのなさもさすがです。
ジャニーズWESTのメンバーや室くん文ちゃんといった面々がひたすら優馬くんを笑わせようと漫才・コントをするというだけの動画なのですが、それはもう楽しそうにケラケラ笑いながら画面を食い入るように見つめる優馬くんに思わず泣きそうになったことを覚えています。
メンバーが映るたびに「しげや~」「顔の筋肉がつってきた!」「出オチやん(笑)」とたくさん話すのは関西にいる時の優馬くんそのものでした。きっと優馬くんの不安な気持ちも寂しい気持ちもすべて分かったうえで、少しでも見慣れたメンバーを見て安心して笑ってもらおうとしてくれたんだなと思うと本当に頭が上がりません。
関西にも仕事が回るし、私たちファンも優馬くんの笑顔が見れてホッとするし、優馬くんも楽しそうだしでこんなウィンウィンウィンにしてくれて色んな所に気を回せる細やかさは、滝沢くんにしかできないことだなと思います。


あさイチでのトーク

(料理の写真を見せながら)
「これは後輩の中山優馬くんが最近上京して。この食材とレシピを優馬に渡して「こんなんできるよ〜」っていうのを優馬に送って。で、優馬も「僕もマネして作りました!」みたいな」

これはタッキー&翼として出演していたあさイチでの翼くんの発言です。
レシピを教えるだけでなく、食材までも渡す翼くんの本気具合が伺えますよね。優馬くんが上京してからの料理のノウハウは翼くんがルーツだと思います。ちゃんと作って報告する優馬くんが健気で可愛いなと私でも思うんだから、きっと翼くんはもっと嬉しかったんでしょうね。
これだけではなく、翼くんは他にも優馬くんにたくさんプレゼントをくれたり教えてくれたりしていました。プレゾン公演中に誕生日を迎えた優馬くんには、愛用していた時計や、お風呂で見れるテレビをあげていたし、他にもスピーカー、吸入器、お洒落な懐中電灯(優馬くんが懐中電灯好きの為)、私の記憶だけでもザっとこれくらいはありました。レッスン着や普段着も稽古場に定期的に持ってきてあげてたそうなので、優馬くんの全身が翼くんのものなのはしょっちゅうでした。でもほかの人にあげてもいいよって言われたけど、あげませんって着ない服も入らないクローゼットに押し込んだっていう優馬くんもなかなかだと思います…笑。
あと公演中の曲の中でも、バラの花束をプレゼントしてたという翼くん。す、すごい…さすが情熱的だな…だてに毎日アンダルシアに憧れてるだけあるわ(?)ってなったのを覚えています。もので気持ちを測れるわけではないですが、何かしてあげたいという気持ちが強い翼くんは愛情深い人だなあと思ってました。
ただこれを優馬くんに聞いた滝沢くんが「あいつは仲良くなったら服あげる癖があるからな」と冷静に分析してたのが一番笑いました。癖で片づける滝沢くん…。


⑦Myojoでの対談。「たぶん、俺と会ってるときの翼とは違うと思うんだよな。」
[Myojo 2015年3月号]

これは優馬くんと滝沢くんの対談での発言だったと思います。
「もう俺と翼で優馬の取り合いだから(笑)プレゾンが始まると、あ、そっち行っちゃったか~みたいな気分になるし。たぶん、(優馬といる時は)俺と会ってるときの翼とは違うと思うんだよな。」

一時期優馬くんは、夏はプレゾンに出て冬は帝劇で革命に参加するのを数年続けていたので、本当に季節ごとに二人にお世話になっていたことになる。もうここまでくると本当にファンとしてもタキツバの二人がいるから大丈夫みたいな謎の安心感すらあったので、密かに取り合いが始まってたのには笑った。
でも本当によく一緒にお仕事をしていたから、お互いの優馬くんへの接し方や優馬くんから話を聞いたりして、タキツバがお互いの事を知ったり、近況を知ったりしていて優馬くんが潤滑油になれてた部分もあったのかなあなんておこがましいことを思います。逆に私は優馬くんを通して知る、タキツバの二人の関係性や距離感が大好きだったので、素敵な先輩、素敵なグループだなあと優馬くんに教えてもらったような気がします。
ちなみにこの後この戦いは激化して、ついにはタキツバの10周年コンサートに見学に来た優馬くんを真ん中にしてキャットファイトが始まることになります。どっちが好き?と攻められてのらりくらりとかわす魔性の優馬くんに、ご両親に挨拶したもん!と自慢する翼くんと、最後にもっかい聞くから考えといて!と粘る滝沢さん、そして同じ日に見学に来ただけなのに戦いの火の粉をくらうエビキス、とかなりカオスな空間だったらしいことも付け加えておきます。


優馬くんからみたタキツバ「滝沢くんは背中をみて黙ってついてこいって感じで、翼くんは食材送ってくれたりレシピ送ってくれたりする」

最後の最後でソースが分からないものを引っ張ってきて申し訳ない(自分のアカウントにメモ代わりにこれだけつぶやかれたもので…)

このタキツバへの印象がまんまパパとママで凄いなと思ってメモを残した記憶があります。余計なことは言わず背中で語る大黒柱・滝沢パパに、息子にせっせと仕送りをし身体を気遣う翼ママという完璧な布陣。そりゃ息子(優馬くん)もすくすくと育つよ…。
でも真面目な話、私からみたタキツバもそうで。滝沢くんからは大きな背中を見て学んでいて、翼くんはプライベート含め献身的に支えてもらっていてっていう。
このふたりがいれば優馬くんは大丈夫、そう思えることが、そんな人が近くにいてくれることが、どれだけ安心したか。優馬くんが憧れる人が、ジャニーズ事務所にいてくれてどれだけ嬉しかったか。やっぱり、優馬くんのファンとしてタキツバの二人には足を向けて寝れません。大げさなことを言うと、この二人がいなかったら優馬くんはとっくに心が折れてたかもしれない。そう思うくらい、優馬くんを取り囲む状況や環境は不安定で不確かでした。でもそんな時に二人の背中を見れたこと、隣に立てたこと、これが絶対今の優馬くんに繋がっていると思います。何度ありがとうと言っても足りないくらいです。


本当はもっともっとたくさんエピソードあるんですけど、どれを思い出しても優しさや思いやりしかなくて。それは優馬くんがよく言う「いつも愛を感じている」という言葉が物語っています。そんなタキツバの二人から、優馬くんがもらった愛はタカラモノだなあと思います。
きっと今の強くて優しくて、芯のブレない優馬くんはタキツバの二人から学んだもので出来ている。
あの時、プレゾンに出演した事で確実に優馬くんは変わったし、東京での居場所が、そして仲間が出来た。それから滝沢革命に出演した事で帝国劇場の重みを知ったし、ジャニーズ舞台を担う責任の重さも学んだ。
こうして優馬くんが成長する機会を与えてくれて見守ってくれたのはいつだって、タキツバの二人でした。
アイドルとしての人格形成において多感で大事な時期に、この2人の隣で学ばせて頂いたことは、もうツイてるな、やっぱり持ってるなと優馬くんの運を褒めてあげたいです。
ファンにとっても、どちらも優馬くんを応援する上で欠かせない舞台になっていたし、かけがえのない時間でもありました。


そんな二人が、解散という選択を選んだことはやっぱり寂しいし、まだまだ実感できていない部分もあって。でもどんな未来にいても、とにかく健康でいっぱい笑って楽しい毎日を送って欲しいなって、ただただそれだけは願っています。そんな子どもみたいなことって思うけど、でもそれが一番で、多くは望まないから確実にそれだけはって思います。
ただ欲を言わせてもらうなら、翼くんにはジャニーズじゃなくなっても、アイドルじゃなくなっても、芸能人じゃなくなっても、ただ一人の「人間」として、大切なものを持ち続け、情熱を絶やさない、いつもの翼くんでいてくれれば嬉しいなと思います。
それにはまずは身体が第一なので、快方に向かいますように。
それから滝沢くんも。表舞台からは退いてもジャニーズに貢献する人材となること。あんなにカッコ良い人が見れなくなってしまう悲しさと同時に、あの滝沢くんがってワクワクするのも確かで。
それこそアイドルが人間として変化していったり、そもそも時代が変わっていったりとこれから色々、本当に色々あると思う。永遠なんてないし、絶対が約束された世界でもない。でもそれでもジャニーズという伝統が続いていく限り、ジャニーズに夢と希望を持つ人が絶対いるわけで。そんな中で、プレイヤーとしての経験値も持ち、アイドル側の気持ちも裏方側の気持ちも汲める滝沢くんがジャニーズ事務所にいることが絶対に強みになる日が来るなと思います。逆を言えば両方の気持ちが分かってしまうというもどかしさもあるだろうけど、あの滝沢くんが覚悟をもって決めた決断ならきっと、良い方向に導ける自信と慧眼があるからだろうと思っています。


最後に。
今目の前に好きなアイドルがいる事が凄いこと、そしてそのアイドルはどんな決断も出来ること、ここ数年前からずっとアイドルに教えてもらっている。
だから後悔しないように、後からタラレバが出てこないように。
本来アイドルは刹那的な瞬間の中で存在し得るものであること、心に刻んで応援していこうと思います。
ジャニーズ事務所は、楽しいことだけじゃなく、悲しいことも寂しいことも運んでくる事務所です。でもそれはきっと、アイドルではない一人の人間としての人生も背負って、多様性を認めてくれるからでもあると私は思っています。
だからこれだけ素晴らしいアイドル達が集まり、プライドと誇りを持って芸能界に居続けてくれているのだと私は信じています。
これから悲しいことや苦しい状況があっても、所属タレントや、滝沢くんやジャニーさんを含む事務所の人たちが「ジャニーズ」として届けるエンターテイメントだけは、人々に夢と希望を与え続ける前向きなものでありますように。
滝沢くんの覚悟が、翼くんの決断が、そして所属タレントの努力が報われる世界でありますように。
そう願ってやまないくらい、私は今日もアイドルが大好きです。


タッキー&翼のおふたり、たくさんのタカラモノをありがとうございました。
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The Silver Tassie 銀杯

見て来ました。初世田谷パブリックシアター
遂に優馬くんがここまで連れてきてくれたんだ、って思いながら劇場の前に立ってたのすごく感慨深かった。(しょっぱなから激重テンション)

この記事、観劇した翌日から書き始めたのですが。
観劇した日の夜、布団の中で目を瞑ると共同住宅で声高らかに歌う群衆とか、仄暗い戦場で楽しそうに歌う人形とか、担架の上で踊る骨ばった兵士とか、何度も何度も病室を往復するハリーとか、色んな場面の色んな人々が一気にフラッシュバックしてうまく眠れなかった。
観た直後は、噛み応えが凄すぎるので咀嚼するので精一杯って感じですが、飲み込んだものが後からジワジワ効いてきて台詞や歌が頭の中でリフレインするような面白さがありました。
以下、感想を書きますが、なんせ私が無知すぎるのと、一度の観劇なので今までで一番自分の主観たっぷりな予感がします笑。


■前半
まず物語に入り込む前にやっぱりあのセットが特殊で、見入ってしまいますよね。
上下ではなく左右の傾斜。情報として知ってはいたけど、実際に見ると感覚が狂うし、まず初めに平衡感覚を奪われたのはインパクトが大きかった。
でもずっとその傾斜の上で動く登場人物を見ていると、慣れてしまう。あたかも平行の世界にいるみたいに自由に動く人たちに錯覚させられる。
「ハリー達にとっては普通の世界でも、私にはあんなに歪んで見える」そのことを客観的に感じることで、もしかしたら自分の住む世界も人から見たら…と回りまわって自分の日常に返ってくるのが面白かった。
あとよく考えたら、地球は丸いんだし、人類みんな平行の世界で暮らしてると錯覚してるんだよな、っていうのもふと考えた。そう思うと、ハリー達の世界も、私たちの世界も変わらないんだよね…。

と、そんな傾斜がある世界で物語は進むのですが。
とにかく人々のエネルギーが凄い。生、生、生、生って感じで全員が生きていることを感じている歌がすごく印象に残った。
死と隣り合わせで、生が脅かされる生活を送ると、より一層生きていることを実感するのかな。その生々しいエネルギーが渦巻いていた。
その真ん中に自信に満ち溢れた表情で堂々と立つハリーは、揺るぎもせず世界の中心は自分だと思いながら歌っている。この姿がまあ似合うんだよな。
あのビジュアルももちろんだけど、真ん中が似合う人、フットボールの神様に選ばれた人、圧倒的な主人公、そんなハリーと優馬くん自身が持つ華やかさが上手くマッチしていた。
森さんは北斗を見てオファーをしたと言っていたけど、あの作品は優馬くんの華やかさやアイドル性を徹底的に消したものだったから、これは偶然の産物だったのかなあ、と。だとしたらとても面白い。
とにかく序盤のハリーは、すべてを手に入れ希望に満ちた若者で。怖いものなんて何もない、戦争さえ怖くない、そんな根拠のない自信も堂々と持つ人。
でも戦時下ではこういう自信家で堂々とした人や、明るい出来事を持ち帰る人にみんな縋って明日へ希望を繋いでいたんだろうなって。英雄を信じ、期待することは生活を豊かにする為の人々の術なんだろうな、と異様に盛り上がる共同住宅の人たちを見て思った。

そんな場面から一転して、薄暗い場所に乱雑に大砲が置かれたシーン。森さんの斬新な挑戦となった人形での戦争描写。きっと見た人が夢に出てくるのは主にここですよね。
でもまさに夢なのか現実なのかよく分からない、とにかく空気が薄そうな感じがする寒々しい空間。なのに人形たちは楽しそうに踊り歌い、タバコを吸ってサッカーをする。
爆弾が落ちたり、人が撃たれたり、地雷がはじけたり、人の腕だけが転がってたり、いわゆる凄惨な表現はひとつもない。リアリティーがひとつもない戦争。
でもなぜかゾッとする空間。あの人形たちにとってはこれがもはや日常で、楽しむ術さえ覚えている。苦しみの中に少しの楽しみをみつけ、とにかく明日を待つ。その感じが私は凄く怖かった。
体験をしてない戦争を想像出来ないのは当たり前だけど、戦争の合間の兵士たちの暮らしは妙に見覚えがあって。急に戦争が親近感をもって隣に座ってきた、みたいな怖さ。
私の日常に入り込もうとする戦争の描写は、爆弾が落ちたり、人が撃たれたりすることより恐怖感を覚えた。なんだろうなあのゾワゾワ感…。
戦争に誰かの意思はないんだな、って。兵士は理由も分からず戦場にいるんだなって。戦うべくして戦ってるわけじゃない。
そのことに「なんで俺らはここにいる」と何度も繰り返し歌われて気づく。そういうひとつひとつジワジワ攻めてくる恐ろしさが、滑稽でコミカルな人形とアンバランスで余計怖さを煽る。
みんな誰だか分からないのも怖い。唯一、人間として縛られているバーニーだって、ニワトリを盗んだ(将校の女に手を出した)から人間として存在しているだけで。
だって戦場でまだ性欲が余ってるバーニーの方が人間らしいなんてすごい怖いじゃん…。他の人はきっとその性欲すらないんだもんな…。
ハリーが出てこないってなってはいるけど、あの人形はみんなハリーかもしれない。いや、ハリーでもあるし、ハリーでもない。きっとそれくらい戦場では「個人の特定」はされない。みんな人形。誰が誰かはどうでもいい。
私は人形で戦争を描写されることで、戦争を「人間らしさを奪うもの」「アイデンティティーの消失」だと受け取りました。



■後半
戦争が終わり、戻ってくる日常。でも日常も戦争と変わらない、という残酷な後半戦。
ただただ何度も病室を往復して、窓をチラッと見てはうなだれる。あの頃のハリーに言ったら信じてもらえないだろうと思うほどの面影のなさ。
あんなに堂々としていた人が、あんなにみっともなく「ジェシージェシー」と窓から叫び、あっけなく背中を向けられる。でも追いかける為のハリーの足はもう動かない。
何がつらいって、もちろん当事者であるハリーの姿もなんだけど、周りの視線が私には一番つらかった。可哀想に。仕方ない。優しくしてあげなきゃ。言葉の端々、表情の隅々に散らばってるのが凄くつらい。優馬くんもポストトークで周りの視線が痛いと言っていたらしいけど、今まで羨望の的で、誰もが一目置く英雄だった分、余計つらいだろうなと思う。こういう人って実は一番人の目を気にしていたりするから。それをみんな気づいているのか、ハリーが来ると場の空気が一瞬で張りつめてピリピリするのも見ていて痛々しかったな。なんとかハリーの気に障らないように、みんなが空気を読んで、落としどころを探ってるあの感じ。
でも、悪意ではないんだよなあ。むしろ善意の意味合いの方が強い。自分より弱い立場の人、社会的弱者に向ける「助けたい」という善意。誰もハリーをないがしろにしないのが逆につらい。分かりやすい悪役がいないのが逆につらい。誰も悪くない、強いて言えば戦争が悪い、ということをハリーも含め全員が自覚しているところがつらい。
そのくせハリーが弾けるかな…って心配しながらウクレレ弾き始めたのに、風船に気を取られて誰も聴かなくなるしさ!いや聴いてよ!!!!!!!って心の中で死ぬほど大声出したからね。
あのハリーのそばに駆け寄ってウクレレの音色と歌声聴きたい人、絶対客席にたくさんいるのに誰も寄り添えないのがすごくもどかしかった…
せめて聴いてからにしてよ…するなら最後まで優しくして…ってこっちが泣きそうになりながらハリーの歌を聴いた。それがもう讃美歌ですかってくらい優しくて甘い声だから余計気持ちの行き場がなかったよ…。
しかもポロンポロンて優しく穏やかに響くウクレレの音色が残酷な現実との対比すぎてアレは良くない。すごくつらくて心臓が痛かった。
でも最後のフォーラン夫人の「ハリーのウクレレの音色が一番好きだった」みたいなニュアンスの台詞(やっぱ一回じゃ覚えられない悔しい…)が、もう戻ってこない平和を憂うみたいな一言ですごくグッときた。それでも生きていかなければいけない現実の残酷さとか、そんな自分を肯定する狡さとか全部が詰まっていて最後に相応しいセリフだったな。

そうやって周りの人々が気を使って、なんとか「違う世界の人(ハリーとテディ)」と折り合いをつけて共存しようとする中、必死にもがいているのがハリーで。
銀杯に何度もワインを注がせたり、ジェシーとバーニーを執拗に追いかけたり、汚い言葉を並べて煽ったりと「頭がおかしくなった」と人から言われていたけど、私はすごく好きだった。
足の自由を失い、希望を絶たれ、何も無くなった絶望の中でも「生きてやる」っていうしぶとさがある。死に向かわない。ジェシーが必死にハリーを避け、バーニーと生きようとしているところに「俺を見ろ」とばかりに入り込み、バーニーの複雑な思いすらもひっくり返す。人々が戦争を忘れようとし、変わっていく自分に目をつむってダンスを続ける中「俺を忘れるな」と銀杯でワインを飲み干す。私はそれに安心すらした。良かった、まだ気力がある、心の底では誰よりも生きたいって願ってる人だ。って泣きそうになった。
きっとハリーはどれだけ絶望しても死ねない人だと思う。私にはそう映った。むしろ絶望の中で感じた、憎しみや苦しみ悲しさすべての感情をエネルギーに変えて、生きてやる、お前らの足にしがみついてでも生きてやるって生命力を燃やす人。
確かに卑しい部分もたくさんあるけど、それ以上に生きることに対してすごく高潔で、決して尊厳を失ってない人のように見えた。絶望の中にいるまま物語が終わるので、悲しく感じる人もいるのかもしれないけど、状況は絶望的でもハリー自身の気力をとても感じたので私には悲しい終わりではなかった。生きてる限り望みはある、って安っぽい言葉だけど結局まさにそれ。
だからハリーの人生をもっとみたいと思った。これから年齢を重ねるハリーはどんな人になるのだろう。どんなおじいちゃんになるのだろう。どうやって絶望から抜け出して、どうやって人を愛して、普通に生きていくことを受け入れられるようになるのだろう。色んな感情を経験し、人の知らない痛みを知っている、これからのハリーの人生は面白い気がしてならない。
あの無残に転がる銀杯を、いつか笑いながら孫に見せる穏やかなハリーが居ればいいなと思う。綺麗事でもいいから、それくらいは願っていたい。どうかこれから先の人生を、死ぬまでの余った時間にしないで欲しい。死をじっと待つ卑屈な人にならないで欲しい。戦場に置いてきた自分を探さないで欲しい。ハリーには幸せになって欲しいから、どうしてもたくさん願い事を言ってしまいます…。

そんなハリーからすべてを奪った戦争。いろんな角度、いろんな立場、いろんな視点から描かれたその行為の愚かさ。
でも、銀杯での戦争は、どれも間接的だった。
戦いそのものではなく、人形を介したり、戦争に翻弄された人々を描く。
これは個人的な話になりますが、私の出身地は日本で唯一の地上戦が起きた地でもあります。
祖父母が戦争体験者である私には、幼い頃から「戦争」に触れる機会が多くありました。学校でも戦争について学ぶ機会が設けられており、ずっと写真や映像で戦争に触れてきました。飛行機から雨のように落ちる爆弾、痩せ細った何十人もの人間が転がる畑、足を引きずりながら歩く兵士、土の上に寝そべり銃を構える兵士たち。ひとりで歩く小さな子ども。
私の知っている戦争は、全部モノクロの平面での世界の話でした。
現在の、海が綺麗で空が青い故郷とはまるで違う、白黒の激しい世界はいつも信じられなかった。
でも今回銀杯で、私は初めて違う角度から「戦争」を見た気がした。立体的に見た、とも言うのかな。
物体の破壊や、人の死だけが戦争だけじゃない。
命からがら生き残った人や、傷だらけの兵士を助けてきた人、家族の帰りを待ち続けた人、生き残っても大切なものを失った人、そうやって「命を繋いだ人」もまた戦争の被害者だった。
生き残った人には、生き続けるという戦争が待っている。
これもまた、死ぬのと同じくらい辛い。
誰のせいでもない現実をひたすら生きなければいけない。
いっそ死んだ方が、と思うんだろうなあ。
と、初めて自分に置き換えて人の気持ちを考えた気がした。それくらい戦争を身近に感じたのだ。
そしたら一気に私の中で戦争のリアリティーが増した。
間接的な描写で、戦争を身近に感じるなんて不思議な話だけど、これが森さんが現代に落とし込んだ「戦争」なんだなと思った。
戦争そのものの怖さは理解出来なくても、人が誰かを憎み妬み、傷つき、壊れていくことの怖さは私たちでも知っている。悲しいことに誰もが共感してしまう。
現代にも、戦争と同じ苦しみはある。イジメ、貧困、過労死、虐待、詐欺、犯罪、どれも絶えることは無い。
昔の話じゃない。おばあちゃんの話の中の出来事じゃない。
戦争は同じ人間が起こした愚かな行為、そして今も起こり続ける悲しい現実でもあり、小さな火種は現代でもずっと燻っている。
ダブリンでも、日本でも、それは変わらない。登場人物に共感したり、気持ちを理解できてしまうのが何よりの証拠だ。
人間同士が共に生きる限り、無くなることはないのかもしれないけど、やっぱりハリーやテディのように「違う世界で生きる人」が増えて欲しくない。スージージェシー、バーニーのように誰かや何かを諦めて生きて欲しくない。
私だって、誰も何も失わずに、健康に生きたい。
欲張りだけど、綺麗事だけど、そんなすべてが叶うといいなと思わずにはいられない時間でした。


いやあ、改めてすごい舞台だった…。うまく言葉に出来ないけど、舞台自体もカンパニーの皆様も、森さんも、劇場も、全員がきちんと挑戦した演目なんだなというのがひしひしと伝わってきて、その熱量に圧倒されました。それこそ北斗みたいな。難しい題材だけど、考えるより先に感情が働いて、大きな波となって襲ってくるみたいな、頭より心が動く作品だった。
こんな上質で重厚感のある舞台の主演を優馬くんが務めたこと、改めて誇らしいな、と。そりゃ北斗が連れてきてくれた仕事は、上質に決まってるんだけど、ちゃんと優馬くんの働きが評価されてそれに見合ったお仕事に繋がるんだなと実感できて嬉しかった。
本当に優馬くんのする仕事はどれも、深い理解力、役を掴む洞察力、辛さに耐える精神力、パワーを出し切る体力、すべてを一気に鍛える事しかない。
こんな作品に何度も出会うということは、優馬くんは運がいい。それに一気にいろんな力を鍛える場所を貰っているのは俳優・中山優馬にとっても最大の強みになっている。
そしてこの運と経験は絶対優馬くんをもっとすごい場所に連れて行ってくれる、そう思います。
だから本当にこの舞台を観て、もういよいよ怖いものなしだなと思いました。もうどこに連れていかれても大丈夫、そんな心強さを感じました。

しかも銀杯で優馬くんのお芝居やっぱり好きだなあって感じて、もっと見たい、こんな役も演じて欲しいって思ってたら、もう既に2本舞台が決まってるのもすごく気持ち良い。
優馬くんの今を見たら、絶対に次が楽しみになるから、お仕事が途切れずにあることは本当にありがたいことですね。
次はどんな景色を見せてくれるだろう、優馬くんはどんな景色を見るんだろう。
「未来はいつだって 新たなときめきと出会いの場 君の名前は希望と今知った」
久しぶりに大好きな君の名は希望を思い出しました。
次に優馬くんが連れて行ってくれる新しい場所も、きっと絶対に素敵だと思うので、楽しみだ。
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ひとりごと。

今日からいよいよ「The silver Tassie 銀杯」が幕を開けますね。
いっぱい舞台に立ってる優馬くんだけど、単独の主演舞台は、実はそれいゆぶり。今年だけでもストゥーパ、Endless SHOCK、ローリング・ソングと3つ舞台に立ってきて、今年最後を飾るのが主演舞台ってすごく幸せな事だなあと思います。
しかも総勢22名のキャストがいて、世田谷パブリックシアターという演劇の聖地で、そして森さんの元で。こんな舞台の主演を任されるようになったんだなあと、こっちまで気が引き締まるような、それでいてワクワクするような、そんな気持ちです。

見る前から、雑誌やネット媒体の情報を目にする。その度に演劇界からこの舞台への期待がかかっているんだなと思った。私なんかが読むと「アイルランド」「戦争」「反戦喜悲劇」「人形」「車椅子」等キーワードがたくさん並んでるので、情報量の多そうな舞台だなと単純なことを思うんですが、何より人の多さによるエネルギー量が凄そう。その真ん中にいるのがハリー(優馬くん)だと思うと、ワクワクしないわけがないし、やっぱり主演舞台は嬉しい。優馬くんを応援していると薄れてしまうが、主演は何度も経験出来るものじゃない。
その経験をこの年齢で結構重ねていること、恵まれていると思うし、それを活かすことのできる人だとも思う。
森さんが優馬くんについて説明した「1つ聞いたらそれを何倍にも発展させるセンス」がまさにそれを表している。
センスは持ってても磨かないと光らない。優馬くんはそれを磨ける場所で、きちんと磨く努力をしてきたからこう言って貰えるんだって、ずっと見ていると分かる。
「手加減をしない」「もっともっと何でも要求して欲しいという飢えがある」「失敗を恐れない」他にも森さんの言葉で伝わる稽古場の優馬くんは、間違いなく私にとって「信頼できる役者」そのものだ。
そんな役者を、どんな場所だろうが、どんな形だろうが見れるのは幸せ。優馬くんの良さを理解して、お芝居が求められている環境に、優馬くんがいることが最高に嬉しい。
私は平凡で単純だから、それだけで十分だったりする。
(それで満足してしまう、とも言えるけど…。)

ただそれは、優馬くん自身が今、求めているものに出会って、充実している限り、きっと先は明るい気がするからでもあって。
本人が1番、満たされていることが大事。その先に、色んな形で、ファンがそれぞれ求めるものが叶う瞬間がきっとある。
だからひとつひとつ叶えていくその過程を楽しむのも、醍醐味ってやつ。
私はそう思うので、目の前の優馬くんを見つめる時間を大事にするのが今出来ることかなーと勝手に思ってます。
だからまあつまりは、銀杯楽しみましょうねってことです!
とりあえず今日から優馬くんはハリーヒーガン。
新しい優馬くんが生まれるのが楽しみだ。

トプキの座談会を読みました。

こんな未来があるなんてなあ。
と、読みながらずっと思ってました。
インタビュー記事にも、載ってるカットにも、とにかく穏やかな時間が流れていた。3人があの頃を大切にしながら、前を向いて歩いてることが分かって嬉しかった。


ジャニーズWESTの中にいて、一緒に歌ってる夢を見ることもある。でも僕が知らない曲で歌詞が分からなくて立ち尽くしてしまう。」

これは今年のMyojoの1万字インタビューで、優馬くんがグループだったら良かったとは思わない?と聞かれたことに対して返した答えです。
私はきっとこの答えを一生忘れないだろうなと思った。
さらにこの後には、でもあったかもしれない未来を選ばなかったのは自分だから、こっちの道が正解だったことをこれからの人生を賭けて証明したい、という言葉が続きます。
正直に優馬くんの中に「ジャニーズWEST」という選択肢があったことを認めてくれて、それでも尚この道だからこそ得られたものもあったと続けて言ってくれるこの人のことを、応援していてよかった、優馬くんはやっぱり世界で1番カッコイイ、と改めて確信した。
この答えを聞いてから、胸のしこりがすこし小さくなった気がしていたのだけど。
今回の座談会を読んでみて、改めてやっぱり少しずつ解けて、春を迎えているなと思いました。
それはきっと、優馬くんの中でもそうなのかなあと優馬くんの言葉を読みながら思っていて。



「オレは、正直みんなと大阪にいたかったけどな。」

この言葉とか。きっと今だから言えることだと思う。
前回のポポロの座談会や、1万字インタビューでやっと少しずつ話してくれるようになったけど、少し前の優馬くんなら絶対隠してた、ジャニーズWESTがデビューしなければ聞けなかった言葉かもしれないとも思う。
まあ大阪に対する執着は薄々感じてはいたけど、絶対口にしない人だから、全部が落ち着いた今だからこそ、素直にそう言える未来が来たんだなあって、感慨深かった。
やっぱりそうだったんだって切なくもなるけど、正直な気持ちを聞けることがこんなに楽で安心するんだって最近知った。やっと聞けた、そう思うと心が軽くなる。
どんな気持ちでも「そのまま」を聞けることがどれだけ大きいか。隠されるより私は全然楽に感じた。
それから、あの時の優馬くんのそばに流星くんがいてくれて本当に良かったなって。
流星くんは事実を淡々と言ってただけでしたが、東京の仕事が終わっても大阪の仕事の日まで滞在してくれたのは、色々読み取ってくれた彼なりの優しさなのかなと。何も言わずに行動で表す、流星くんと優馬くんのそういう関係性がやっぱり好きだなと思います。



ジャニーズWESTのデビューは嬉しかったよ。確約ではないけれど、この先同じ世界でずっとやっていけるんやなって思って。」

今回の座談会の中で一番グッときた言葉です。
この言葉の背景には色々詰まってると思うから。
ああ、優馬くんやジャニーズWESTはたくさんの背中を見送ってきた人達なんだよなあ、と。
この世界を見限った人、違う未来を見据えた人、そういう何人もの仲間を見送りながら、踏ん張ってステージに立ち続けたもの同士。
そして優馬くんは、これ以上仲間がいなくならないようにと待ちながら独り東京で戦い、ジャニーズWESTはいなくなった仲間の分もと思いを背負いながら大阪で戦って。
そうやってたくさん傷つきながらもこの世界に生き残ってる人達なんだなって、優馬くんの言葉で改めて気づいた。
だからこそ、たとえグループが違っても、優馬くんは1人でも、お互いがこの世界に生き残る限り、同じ世界を共に生きる同志なんだなあと思いました。きっとそういう存在がいるだけで優馬くんの心は軽くなるし、何より救われるんだと思う。
流星くんは「優馬にはずっと支えてもらってた」と言っていたけれど、そうじゃなくてお互いに背中を貸してたんだと思います。同じくらい優馬くんもみんなに支えられてた、いわば背中合わせ。
そう思うと、本当にジャニーズWESTがデビューできて良かったなと思うし、今この瞬間は彼らの凄まじい努力の上に存在していることに気づいて、ジャニーズWESTにも優馬くんにも感謝でいっぱいになる。
頑張ってくれてありがとう、こんな未来に連れてきてくれてありがとう、長いこと応援してみるもんだな、って。


「あそこ(松竹座時代)で積んだ経験が今に生かされてる。やってて良かったと本当に思うねん。」

からの、この神ちゃんの言葉ですべてが肯定されるよね。
いいことばっかりじゃなかったし、全てが上手くいったわけでもなかった。
でもそれでも、今こうして3人で話して、穏やかに過ごす時間がある。失ったものもあるだろうけど、この時間を過ごす為にはその全部が必要なわけで。
なにもかも、絶対に無駄じゃないよなあって。
神ちゃんの言葉は自分たちを肯定するものでもあるだろうけど、それを応援してきた私達も含まれていて、応援した甲斐があったと思わせてくれるものでした。
だって今こんなにも楽しそうに笑う3人が見れるんだもん。それ以上のことなんて無いし、このために見続けてきたんだから、と思う。
私の望んだ未来ではないけれど、本当に誰もいなくなるんじゃないかと怯えてたあの頃からは、想像も出来ない未来であることも確かだ。
だから、これが1番良いと思える。
本当に本当に、この未来で良かった。みんなが一緒にいる未来で良かった。
優馬くんもジャニーズWESTも間違ってない。選んだ道を信じて強く生きたご褒美だ、そう思った。
だからこれからも絶対絶対未来を正解にして、同じ場所で生きる同志であり続けて欲しいと、めっちゃ強く思います。

私も私で、こんな未来があるなんてなあ、をもっともっと更新したい!という貪欲な気持ちでおたくを続けたいです。
いつだって今が、あの頃のNEXT STAGEだということを忘れずにおたくとして生きます。

どんな明日が来たって、この手でトプキを、優馬くんをジャニーズWESTを守るからね!!!!!だいすき!!
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篠崎良雅と愉快な仲間たちfeat.with元気一発納豆

好きすぎてタイトルにしてしまいました。このネーミングがもう最高ですよね。
まさか自担が初めて組んだバンド名がこんなにダサいとは!

というわけで、ローリング・ソング見てきました。
ドリアン・グレイ、それいゆ、クロスハート、にんじん、ABKAI、この数年でいろんな舞台に出演したから、もう見尽くしてるような気がしていたけど、また新しい優馬くんに会えた。
皆不格好で不器用だから見ていて楽しくて、面白くて。
でも一生懸命に生きてるから切なくて、苦しい。
いろんな感情が渦巻いて共存する、まさに人生みたいな舞台でした。
そのそれぞれの人生が交差して、転がっていくのが見ていて気持ち良かった。
そして何より、優馬くんの舞台でこんなに最初から最後まで明るいドタバタ劇初めてだったから新鮮でした。
観終わった後、ただただ清々しい気持ちで楽しかったー!って帰路に着くのすごくすごく良い…!

あともう1つ初めての感覚だったのが、圧倒的主人公が誰もいなかったこと。
私はもちろん優馬くんを見に行ったんですけど、いつもなら良雅くんだけに注目してるだろうけど、今回は魅力的な全員に引き込まれてバランスよく見れました。
逆に言えば、全員揃わないと面白くない。色んな要素と色んな感情が入り交じってるからこそお互いが活きて、ヒリヒリしてワクワクする楽しさがあって。
それが「誰かと生きていく」っていう、大変さとか楽しさを教えてくれた気がしました。
だから私はみんなと一緒にいる良雅くんが好きで、紆余曲折を経て皆で歌うあのラストシーンが一番それぞれの「一緒に生きている」っていう感覚が伝わって来て大好きでした。
だってあんなにダサいバンド名なのに、全員がキラキラしてて愉快どころか最高にカッコイイし、元気一発どころか3000発くらい打ち上げたいくらい元気出るもん!
個人的には、人と人が関わり合うこととか、誰かと一緒に生きていくことって、たまらなく面倒臭いし、とんでもなく疲れると思ってるんですが…ほら、ゲイであることを隠して生きたり、好きになった人が兄妹だったり、結婚詐欺師だったり、めちゃくちゃじゃないですか。
でもそれが自分が生きてる証でもあって、誰かの記憶に残ることで人って生きられるんだなあ、とあの5人を見ていて感じました。
それには家族とか家族じゃないとか関係なくて。音楽を通して繋がって、新しい形を作っていく。
そのひとつの形になった最後の演奏がたまらなく眩しくてエモくて、楽しいシーンなのに何故か泣きそうになった。
そして、楽しさの中に眩しさを感じて泣きたくなる感覚って、すごく青春に似てるなって思いました。
戻らない今を生きている事を、その最中に感じると楽しいのに泣きそうになるあの感覚。その瞬間を客観的に見るから余計に泣けたんだと思う。
世代も性格も全然違う3人が、マイクに集まって楽しそうに同じ歌を歌うあの光景が泣けて泣けてしょうがなかった。
だからローリング・ソングって、夢に怯える、夢を諦める、夢を掴もうとする、色んな世代が夢に翻弄される。それが物語の軸ですが、私はその周りにある人と人との繋がりの方にすごく心が動きました。
いろんな角度から心が動かされて、人によって一番感じる部分が違う、とても面白い舞台だなって。

そして鴻上さんは、子どもみたいな人なんだろうなとも。
60歳とは思えないほど、パワフルでエネルギッシュなセリフの数々と、それに透ける伝えたい思いが莫大で。
今でもまだまだ演劇を通して言いたいことがたくさんあって、泉のように湧いてくる人なんじゃないかと、ずっと最初と変わらない気持ちで書き続けてる人なんじゃないかと思いました。
だからどこか、皆で放課後集まって必死に考えて作る文化祭の出し物みたいなエモさがありました。クラス全員のやりたい事を詰め込んで、ただただ楽しいって気持ちだけでみんなが動く。それか旗揚げした劇団の初上演。小劇場での公演だけどそれに収まりきらない情熱とパワーが有り余ってる、そんな感じ。どちらでもまだまだ終わりじゃない、これからどこにでもいけるっていう爽快感が見ていて気持ちいい。
一番純粋で、一番真っ直ぐで、一番エネルギーがある演劇。
きっとステージに立つ人が一番楽しい舞台だと思います。
60歳になっても、まだ初めに戻れる人って物凄く魅力的な人だなあ。

最後に良雅くん。
ほんっとに良い意味で何物でもない人ですよね。
ただの夢を見ることが厳しい現代に生きる若者そのもので。
誰でも自分と重ねられる、誰の心にもいる人。
今までの優馬くんの役って、奥行きを演じなければいけなかったり、影を作らなければいけなかったり、自分が物語を動かさなければいけなかったりと、背負うものがたくさんあった気がするけど、今回は全員で動かす物語だし、どちらかというと良雅くんは振り回される方だったのですごく新鮮だった。
あと本当に等身大の若者に見えた。垢抜けてなくて冴えないくすぶる若者。いつもならその美しさにハッとする横顔も、今回はずっと不安と頼りなさが滲んでて。ひとつも優馬くんの美しさが透けない今どきの若者の顔してた。あんなに顔が綺麗だけど、優馬くんってちゃんとそれに蓋を出来る人なんだよなあと思い出しました。
まあたまに純粋に綺麗な顔が覗くこともあったけど、それは良雅くんが何かを見つけた瞬間だったり、音楽に心から触れた瞬間だったりしたので、あの美しさは良雅くんの心の充足感からくるものだろうなあと。
それに演じる人の顔のポテンシャルが出ちゃってるだけ笑。

あとやっぱり歌う優馬くんが好きだなあとも。
あの大好きな声がメロディーに乗って聴こえてくることがとっても幸せだった。
ミュージカルではなく音楽劇だからそんなに劇からはみ出さない、その場や心情に寄り添った音楽ばっかりで、普通に話すよりダイレクトに気持ちが伝わってくるのがすごく良かった。楽曲も素敵なものばっかりだったから、映像化されることが本当に嬉しい…!何度も聴きます…!
ギターも初挑戦なのに緊張も伝わってこなくて、とにかく楽しそうに触ってるのが印象的。似合ってたのでギター続けて欲しいなあと思います。
いつか、自分で作詞作曲した曲を聴けたらいいなあ…。

そして、優馬くん本当に役に成りきるのが上手になったなあと思いました。今回の良雅くんは単純だからあまり深く考えずに演じられる人ではあるけれど、その奥にある思いや、矛盾する感情も丁寧に演じていて。それが歌となって伝わってきたり、セリフから滲んでいたり、表情が語っていたり。
その些細な演技が篠崎良雅という人をよりクリアにしてくれるから、受け取る側からしても想像しやすくて、見ていて楽しかった。
それがきっと今までの優馬くんが積み重ねてきた努力の結晶なんだろうなあと思いました。
パンフレットで優馬くんが「僕は1歩ずつしかあがれない」と言っていたけど、私は「1歩ずつしか上がらない」人だと感じていて。1歩の意味をちゃんと考えて歩く人だと思うから、一気に歩いてたどり着いたけど何を考えながら歩いたか忘れる人より強くなる。1歩ずつ、でも確実に歩く、そうやって優馬くんは演じる度に役を掴む技量を身につけてきたんだなあって。未来で実る生き方を「1歩ずつしか上がれない」と言う優馬くんを心の底からカッコイイなと思ってます!やっぱり最高の自担だ!
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……ちょっと余談。やっぱり舞台はいいなあ。目の前で顔を見て、声を聞いて、セリフとその空気感を感じる。生の世界。それがどれだけ幸せで満たされるか。1回見ただけでそれを思い出す。ごちゃごちゃ考えてても、その1回見るだけで全部浄化される。だからこれからもまたその1回をただただ楽しみにしていたいなあと思ってます。私の次はいつだろう。
はやく優馬くんに会いたいなあ。

「おっさんずラブ」に出会ってしまった話。

アーーーーー終わってしまった………。
ついに終わってしまった……。
一生に一度出会えるか出会えないかのドラマかもしれない。
そんな「おっさんずラブ」が終わってしまいました。
大大大大ハッピーエンディングを迎え、晴れ晴れしい気持ちともう些細な春田と牧くんの日常を覗き見できなくなる寂しさでいっぱい…(号泣しながら)
こんな感じで1日経っても尚フワフワ状態だけど、この気持ちを残さなければという衝動だけ抱えて、ブログを打っています。

なんかもうおっさんずラブの前では語彙力失くすんだけど。
いやむしろ言葉なんて必要ないんだけど。
どうしてもこの好きだって気持ちを残しておきたい。
後から読み返せるようにして、ずっと覚えておきたい。
それくらい、罪深いドラマだった……。

きっと、良いところも悪いところも含めて人間を愛しいと思っている人が作っているドラマなんだなと思います。
とにかく登場人物が全員人間味があって、7話というドラマとしては少し短い時間なのに、ひとりひとり語れるくらい濃く丁寧に描かれていて凄かった。
その中でも私が好きなのは、牧凌太くんです。(特大フォント)
いやあキャラ設定も良いし、ポジションも良いし、そして中の人(役者さん)が凄かった……。
だってあんな主人公に尽くす献身的な人います?????(号泣しながら)
ゲイというセクシャルマイノリティを抱えながら、春田のために料理こしらえて、家事全般こなして、大好きなくせに春田のために「春田さんなんか好きじゃない」って自分から身を引いちゃう子ですよ??????世間の目とか、色んなものに巻き込みたくないって諦めちゃう牧くん健気すぎて、好きしかなくない???春田役の田中圭くんも言ってたけど、1話からこんなに切ない役ある?????
ずっと切ないんだもん、そりゃ幸せになって欲しいって視聴者が肩入れするよ。
頑張ってる人を応援してしまうのは人間の性であり、真理じゃないですか。
オリンピックで選手を応援するのと同じように、視聴者の多くが1人の男の子の恋路を応援してたわけですよ。(※主人公は春田)
普段はしっかり者で、冷静沈着なくせに春田のことになると周りが見えなくなって部長に啖呵切ったり、シャワー浴びる春田にキスしたりと積極的で、いつも春田のために一生懸命に頑張って。家事も仕事も何でも出来るスーパー人間でありながら、ダメダメな春田を思う姿は健気以外の何者でもない。かと思ったら、追いかけっこしたり、春田に膝蹴りくらわせたり、ヤキモチ焼かせるように仕向けたり、25歳の年相応な可愛い部分もあったりして、でもそれは春田だけが見れる素の部分で。
こんだけ魅力がいっぱいなのにひとつだけ悪いところがある。
ワガママになれないところだ。
こんなに多くの視聴者が応援しているのに、本人は自分に甘くないというか、自分の幸せよりも好きな人の幸せを優先してしまうどうしようもない人で。あんなにスマートでカッコよくて、何でもできるのに大事なところで自信が持てなくて逃げようとする癖があって。
見てるこっちが歯がゆくなり、もう臓器でもなんでも提供するし指くらいなら何本かあげるから(発想がヤ〇ザ)…マジなんでもするからどうか幸せにしてあげてくれ、牧くん頼むから笑ってくれ、と何故か応援してる側の方がヤキモキしてモンペ化してしまうのは絶対私だけじゃなかったはず…!!
春田さんなんか好きじゃない、と泣きながら言う牧の涙をカラカラになるまで吸い取りたいと思ってたのは絶対私だけじゃないでしょ…!!(怖い)
もう何度もっとワガママでいいんだよ、もっと困らせていいんだよってテレビに掴みかかろうとしたことか。
誰にも負けない気持ちがあるくせに、幸せに出来る技量もあるくせに、全部全部自分の中にしまいこんで、勝手に完結させてしまう。でも今までの牧くんの人生考えると責められなくて、きっと同性が好きってだけで幸せになることを諦めてきたんだろうと思うと切なくて…。
だから最後の最後に「俺もう我慢しないって決めたんで」って嬉しそうにはにかむ牧くんに心の底からホッとした。
自分からちゃんと手を伸ばして、幸せになろうとする牧くんに救われた。頑張った人が、ちゃんと向き合って生きてる人が、幸せになる瞬間ってこんなに嬉しいんだなあって牧くんは教えてくれた。

そんな牧くんを演じているのが林遣都くん。
この人がまあすごかった。元から知っていたし、初めて演技を見るわけではなかったけど、こんなにも肩入れをしたキャラは初めてってくらい表情から仕草からいちいち細かくて、本当に存在しているようなリアリティーが凄かった。
この人の身体を借りて本当に牧くんが存在しているなと、牧くんって絶対生きてるよなと見ながら思ってました。
いやあ、すごくお芝居が好きだった。何をするにしても繊細で丁寧で、ちょっとした表情や言い方でバックボーンを想像させるような、奥行感を出すのが上手い役者さんだなと思いました。
細かくこだわった演技を見るのが楽しかった。これでまだ若手の域ってちょっと…すごいよね…。すっかり虜なので、他の作品も見てみる予定です。おそるべし、林遣都


でも良いのは牧くんだけじゃないんだな、おっさんずラブは。
田中圭くん演じる春田創一もまた最高なんだ…。
とにかく太陽みたいな人。でもギラギラ燃えている太陽じゃなくて、ポカポカ優しく照らすような陽だまりタイプ。
優しすぎるが故の優柔不断さと、流されやすさがたまにキズだけどそれすら愛しくなっちゃう、根っからの愛される人。
セクシャルマイノリティを抱えてどこかに影をまとった牧くんと違って、どこにも闇がない春田。
太陽は輝く故に影を作ってしまうとよく言うけど、まさにその通りで、太陽ゆえに知らぬ間に人を傷つけたり(マジデリカシー)、影を知らず明るい感情だけで生きてる陽気さがあって。
牧くんに対しては割と甘めでモンペ化する私ですが、春田に対しては「おいそういうとこだぞ春田」って何度テレビに言いそうになったことか。
でも牧くんが選ぶ気持ちが分かるのもまた春田の魅力で。
(牧見る目ねーな、って思った方の目は節穴です。)
女にモテないのも分かるけど、男にモテるのもめっちゃ分かる。
人の懐にスッと入ってきて、自然に周りを明るくするし、お人好しの嘘つけない正直者で、絶対悪口は言ったりしないタイプ。しかも人の気持ちを受け切る人で、それが自分にとって良かろうが悪かろうがすべてを受け止めてしまおうとする心の柔らかさがあって。
「モテない」はともかく、春田を嫌いになる人は絶対いない、生粋の人たらしスキルの持ち主。
特にゲイであるが故に楽しいことだけでは過ごしてこれなかった牧くんにとっては、春田のバカがつくほど裏表のない無邪気さや、感情に素直なところは眩しいものがあったのかな。
しかもこの春田、素直で感情に正直であるからこそ、男である牧くんや部長のこともきちんと受け止める柔軟さがあるのがミソである。春田がきちんと受け入れてこそ、そして真剣に向き合ってこそ成立する物語なので、本当にすべてを受けて、背負う男なのだ。ダメダメなくせにそういう器のデカさを持っている。
とにかく春田はそういう奴だから結局誰からも愛されてしまうし、年下の後輩男子にかいがいしくお世話されて、家でダラダラしてる幸せそうな顔みてると全部許せてしまう。
ただ田中圭くんの清潔感漂う爽やかなお顔と、締まりまくったナイススタイルがだいぶ春田の欠点をカバーしてくれた感はある。あの屈託のない笑顔で8割は許せちゃうから、結局顔面は大事。
そんなまあダメダメな春田なんだけど、部長に告白されて、牧くんと出会って、ちゃんと変わっていくところが愛しくて。今までお気楽に生きてきた分、たくさんの人を傷つけながらでしか幸せに辿り着けなかったけど、最後の最後にちゃんと気づいて手を伸ばせるのは、素直に思ったことを言えるのは、今まで真っ直ぐ生きてきたからで。部長に説得されて泣いちゃうのはいっぱいの罪悪感と、やっぱり人として部長が好きだと自覚してるズルさと、そしてバカみたいに人の気持ちに寄り添っちゃう優しさからで。
春田が思い出す記憶の中の牧くんが、あんなに幸せそうに綺麗に笑ってるのは、春田の隣にいるからで。
自己肯定感が低くてすぐ幸せを手放してしまう牧くんに「勝手に決めんなよ」って言えるのは春田だけで。
そんな春田だからこそ、牧くんに真っ直ぐ「好きだ」と「結婚してください」が言えるわけで。
やっぱりどんだけ人を傷つけても、最後は一番幸せにしたい人をとびっきり幸せに出来る「太陽」なんだよなあ。
あんなになりふり構わないへなちょこな道路越しの告白でも、子どもみたいなハグでも、牧くんにとっては死ぬほど嬉しくて、世界が変わる告白だったんだろうなあ…。
あーもうほんっとどうしようもなくて、1年もかけてしまうほど鈍感だけど憎めない…。
この一見ただのダメダメ春田を、きちんと愛される理由に意味を持たせて、春田の周りが愛で満たされていたのは、田中圭くんの演技の力なんだよなあ。受けるお芝居がとんでもなく上手くてナチュラルで、本当に春田が存在しているみたいなリアリティ満載の演技。こんな春田見せられたら田中圭くんの「役を生きる」っていう感覚に信頼しかないですよね。

そしてこの春田が太陽だとしたら、牧くんは月。全然似てない2人だけど、だからこそ補ってお互いにないものを持ち寄って、2人の世界を代わる代わる照らし合うみたいな関係性が最高なの。
そしていつしか一緒にいたら似てくる部分もあって最後にはきっと太陽と月はひとつになるんだなって…(激重思想すぎて銀河系の崩壊)


あと、このおっさんずラブが成立してたのはなんといってもちずちゃんのおかげだと思う。
部長に告白されたとバラの花束持ってわんだほうにやって来た春田を、違和感なく受け入れたちずちゃんがいたからこそ。
引っかかりもつまずきもなく「春田よかったじゃーん!」と応援する彼女のアナーキーさは少なからずノンケ春田に影響を与えていたような気がする。
ちずがマイマイと争うくらい一番視聴者と目線が近いキャストだったのもあって、「春田さんのことが本気で好きなんですよ!」って大声で告白した牧くんに「裏切られた気分だわ」って言っちゃった春田をビンタした時なんか、もう「ちずありがとう!」ってスタンディング・オベーションした。
いつも視聴者分のオイ春田!を全力で体現してくれてありがとう。ここでお礼言っときます。
そんなちずからして分かるように、おっさんずラブではあまりセクシャルマイノリティに対してマイナスな感情を抱えた人がいない。
もちろんそこを焦点にしていないからだろうけど、だからといってそれがフィクション感を増すのではなく、きちんとリアリティーを持っているのが面白い。
世の中にちずみたいな人も結構いるんじゃないかなあ…。
実際私もちずタイプで、あまり抵抗感がない。でも別にそれに理由があるわけでもないし、友達にいるからという状況のせいでもない。
「ただなんとなくあまり気にならない」ってだけ。
結局抵抗感や偏見を持つのも、持たないのも説明できない「なんとなく」みたいな感情に集約される気がする。
そんな程度で物語が進んでいくのがそれを上手く表してる気がして私は好きでした。
ちなみに私は母ともこのドラマ一緒に見たことあります。
なんなら感想を誰かに言いたくてわざわざ放送後に電話してました。最終回のラストシーンも母の前で死ぬほど再生して奇声上げた。(それに関しては単純にコイツ大丈夫かみたいな顔はされましたドヤ顔)
この先こういうちずみたいな人が普通になる世の中が来るような気がして、おっさんずラブみたいな世界が普通にあったら楽しいなってちず越しに見るのも面白かった。
もっとマイノリティーがオープンになれたら、ちずみたいに第三者になる日も、春田みたいに当事者になる日もあるかもしれないよね。

でもこのちずも切ないんだよなあ…。
牧くんと付き合って「誰かのものになった春田」を見て、自分の気持ちに気づいちゃうタイミング間違えた女の子(泣)
このちずと牧くんが話をする6話のシーンが大好きなんです。風邪引いても春田のご飯の買い出しに行く、恋人として完璧な牧くんに「完璧だよ」って声かけるんだけど牧くんは「俺なんて欠陥だらけですよ」って返すの。
このシーンの何がすごいって異性同士で「ライバル」の会話が普通に成立してるのすごくない?????
二人ともがすごいナチュラルなシーンでめちゃくちゃ好き。
ちずは性別のことは何も考えてなくて「何でも出来る恋人」として完璧な牧くんの事を単純にすごいと思っているけど、牧くんは牧くんで、女性であり春田と平凡な交際ができるちずのことを「自分が持ってないものを持ってる人」として見てて、その性別を超えた「ないものねだり」の対比が面白かった。
余談だけど、このシーンの牧くんの表情も良いんだこれが。
心の小さな小さな揺れを顔全部に滲ませる演技の絶妙さ。
本当に見てて飽きないなあと思ったなあ。
他にもちず牧はほんっとにいいシーン多くて。最終話の橋のシーンなんか、性別違うのに同じ人を思っててライバルの友情が芽生えてるのがすごく良い。それに何の違和感もなくて、ちゃんと友情だと分かるリアルさが素晴らしかったので、ちずちゃんが最後に超絶イケメンのスパダリをゲット出来ていて心の底から嬉しかった…!ぜっっったい春田よりいい人だよ…よかったね…!!(ごめん春田)
これからは牧くんとタッグ組んで春田のことイジったらいいし、春田と喧嘩したらすぐわんだほう乗り込んでちず味方につけたらいいよ牧くん!!!!

そしてこの物語の正真正銘のヒロイン、部長こと黒澤武蔵。
正直6話では、いやなんで急にふざけんなよ???って牧モンペが押し寄せてごめんなって思うほどの良い男。
今まであまりにも牧と春田の物語を見せられてたから、否定的になってしまったけど、もしほぼ空白のままだった「1年間」を見せられていたら部長モンペになっていたこともおおいに有り得る人柄で。
とにかく春田に負けないくらい真っ直ぐで、愛情深くて、人情味があって。そして情熱的。
ほんと春田はあんなんだけど、好かれる人に恵まれすぎなんだよ。なんで春田なんだよって死ぬほど思ったけど、嬉しそうにインスタ更新する部長見てたら、何も言えなくなっちゃう…。11年間春田を思い続けた一途さも、好きな人の背中を押せる懐の深さも、振られちゃったって笑う強さも、全てにおいて憧れのヒロイン。いやむしろヒーロー。
主人公と結ばれないヒロインって切ないのかもしれないけど、でもこのヒロインがいなきゃ物語は成立しなかったし、春田と牧くんは幸せに辿り着けなかった。
1年間かけて春田が答えに辿り着くまで、受け入れ、待って、そして春田の答えを尊重してくれた。
しかも思い出すのは楽しかったことばっかりって、春田との1年間をちゃんと思い出にしてくれて…。そしてなによりこんな結末なのに「君に出会えてよかった」って言ってくれて…。
こんな最高なおっさん他にいないよ……。胸が苦しい…。
だからもう絶対絶対絶対絶対、春田よりカッコよくて可愛くて最高なダーリン見つけようね!!!!!!!!
いつか絶対報われて、春田より幸せになった姿を見せつけてほしいです。(武川さんをチラッと見る)

その他にもほんっとに魅力的なキャラクターがいて、ひとりずつ良さ語ってたら本が1冊出来そうなペースで語れる。
30年間寄り添った旦那のハードル高い恋路を率先して応援する超いいオンナ蝶子さんとか、ただの生意気な後輩かと思ったら「人を好きになるのに歳も性別も関係ないじゃないっすか」という名言を残した新世代・マロとか、クールでバリバリの仕事マンなのに牧のことになると我を失う武川部長とか、視聴者の声を代弁してくれたりナイスパスしてくれるマイマイとか、いつもわけのわからんメニュー出してくるけど、「ハッピーハッピーラァヴ~♪」という視聴者のどうにもならない気持ちを代弁してくれる曲も提供してくれる鉄平兄とか…!!
みんなチャーミングで愛される人間力の持ち主で、もはやおっさんずラブ世界線に生まれたかったと願うほど。



とまあこんな風に、最初は面白半分でゲラゲラ笑ってみてたのに、気づいたら登場人物全員の幸せを願う熱心な視聴者になっていたわけでありますが。
人の恋をこんなにも応援したのは、プロポーズ大作戦のケンゾーと花より男子道明寺司以来だった(大真面目)
いやなんならケンゾーと道明寺を超えて、今までで一番応援したのは牧凌太かもしれない。数年ぶりの更新。
なんなら好きなカップルにおいてはぶっちぎりの1位だ。
私の中ではのだめと千秋、道明寺とつくしと並んで春田と牧が殿堂入りですよ。
なんかもう感覚としては普通の恋愛ドラマと一緒だったんですよね。
キュンキュンするところも、切なくなるところも、分かるなあって共感する感情も、2人をみて微笑ましいのも。
それが男同士だってこと途中から忘れてたぐらい普通だった。
逆に恋愛ドラマは男と女ってなんで今までで決められてたんだろう…?
って不思議に思うくらい違和感がなかった。
それはもちろん演じてる役者さんの演技力の賜物なんだろうけど。
やってる本人たちも変に気張るんではなく、リアルに存在しようとするナチュラルさがこんなにもしっくりくるんだなあと。
だってどこからどう見ても、牧くんと春田はカップルだったし、幸せの形の具現化みたいな2人だったし、男女のカップルとの違いは性別が一緒なこと以外見当たらなかった。
同性だろうが異性だろうが、人を好きになるって幸せなことだし、その好きになった人が自分を好きって奇跡だし、お互いを見つけられた春田と牧くんのことを本当に羨ましく思う。私にもいつか、こんな出会いあるだろうか、って純粋に憧れてしまう。春田みたいに真っ直ぐ自分を受け入れてくれる人が現れるだろうか、牧くんみたいに自分より大切にしたいと思える人に出会えるだろうか。
って、まあ私の話なんかどうでもいいんですけど。
とにかくあの二人は私にとっては眩しいんですよね。
同性同士だからとか、普通より恋愛のハードルが高いから凄いとか、偉いとかじゃなくて、そうじゃなくて。
同性同士だろうと異性同士だろうと、年齢差があろうと身分の差があろうと、コンプレックスがあろうと関係ない。人が人を好きになること自体が素晴らしいこと。
こんな当たり前だけど当たり前じゃなかったことに気づかせてくれたおっさんずラブって、すごい画期的なドラマなんじゃないかなって。
このドラマはたまたま同性同士の恋愛だったけど、変にセクシャルマイノリティに対してメッセージが込められているわけじゃないからその手軽さが逆に、色んな人が日常に溶け込んで普通に暮らしていることを教えてくれてる気がして心地いいドラマだった。
全然違う世界の話なんかじゃなくて、どんな恋愛も同じ世界での話だし、境界線や壁なんて本当はひとつもないんだよね、当たり前だけど。そう気づいた時の晴れ晴れとした気持ちと、2人の幸せそうな最後が見事にリンクして、新しい世界の幕開けみたいな気分です。明日からちょっとだけ世界が開けて、明るく見えるみたいな。

人が人を好きになること。幸せの形はそれぞれで創っていけること。愛だの恋だのはどんな垣根も超えていくこと。
こうやって色んなことを教えてくれたおっさんずラブこそ、月9でもやれる王道ラブストーリーだと思います。
……でも夜中にこっそりワイワイ盛り上がって、夜眠れない位が丁度いいね。
月9みたいに派手な恋じゃなくても、周りの人が応援してくれて、穏やかで些細でそれでいてとびっきり幸せな土曜の夜が、おっさんずラブらしくて好きでした。

おっさんずラブ、君に出会えて良かった。
春田と牧くんの御祝儀の代わりと言ってはなんですが、
DVD買います。ありがとうございました。

未来を越える今今今

去年の夏、初めて関ジャニ∞のライブを見に行った。
ずっと好きだった人たちに、画面越しで見てた人たちに、
会えた瞬間のあの高揚感と快感。
7人とも最高にカッコよくてしびれたこと、ずっと覚えていると思う。
だから今年も会えたらいいなって楽しみにしてたけど。
結果的に、私が生で見れた7人の関ジャニ∞はあの夏が最初で最後だった。
もっと大切に見たらよかった。もっとちゃんと焼き付ければよかった。
こうなること分かっていれば、なんて思い浮かぶのはタラレバばっかりで。
好きなアイドルが明日もアイドルをしてるかなんて、
約束されていないんだなあってこと、また思い知らされてしまった。
ずっと在り続けると思っていたものが突然なくなると、やっぱり呆然とするし、思考が止まる。
ここ最近で何度も思い知ったはずなのに、その度に寂しくなる自分に、全然学習できない自分に、少し笑ってしまう。
でもやっぱり、寂しいものは寂しい。
何度思い知っても、慣れないものは慣れない。
渋谷すばるのいない関ジャニ∞が寂しいって声に出して言いたい。
横山さんの「今日という日が来なければいい」は胸が痛くなるくらい、分かる気持ちだった。

だけど、寂しい気持ちと同じくらい、
すばるくんのことすごい人だなと思う自分もいる。
恵まれた環境も、慣れ親しんだ人たちも、置いていける強さが。
変化を恐れない、その強さが、本当にすごい。
「36歳を迎えて自分の人生を考えてみた」って当たり前のことを言ってるはずだけど、すばるくんの環境を考えるとそれが出来ること自体がすごいことだと思う。
きっとグループとして生きていくためには、折り合いをつけ時には「自分」より優先することが必要で。
それをしてきて関ジャニ∞で居続けた人が、30半ばをすぎた今、自分だけの人生にスポットを当てる。
グループの一員として自分が存在していることが当たり前の世界で、自分のことだけに焦点を絞る。
そうやって自分の目指す先を、改めて見つめ直すことはなかなか出来ることじゃない。
ましてや15年も走り続けてるんだから尚更。一旦立ち止まって考えることは、少なからず怖かったはず。
当たり前を、一から見つめ直すことって簡単じゃないはず。
そしてその決断を本当に行動に移すことは、絶対に並大抵じゃない。
たしかに「わがまま」なのかもしれないし、大倉くんに言わせれば「勝手な決断」なのかもしれない。
でも、それでも自分の人生を優先した意志の強さにすごいと思うしかない。
私は純粋に、今までの全てを覆してでもしたい事があるすばるくんが羨ましくなった。
1人の人間として、いいなあと思ってしまった。
だって普通に考えたら、人生でそこまでしたい事があるってすごく幸せなことで。それだけで大きい意味があること。
何の目標も持てず、やりたいことも上手く見つけられない、自分の才能に気づけない人がいる中で、すばるくんは「関ジャニ∞」と「自分の夢」、夢中になれることを2つも見つけている、とんでもない人だと思う。
だからこれからは「自分の夢」の番なのかな。
そう思うと、旅立つ夢を見てしまったすばるくんを、大倉くんと一緒で、嫌いになれなかった。
むしろどこまでいってもブレないすばるくんがやっぱり好きだった。

そして、そんなすばるくんと同じくらい、6人が好きだった。
このすばるくんの思いを受け入れて、かつ関ジャニ∞を守ってくれた人たちがやっぱり好きだった。
一切飾らない、ありのままだけを並べて話してくれる等身大の彼らの言葉が好きだった。
私も受け入れられなかったけど、一番受け入れたくない顔をして隣にいたから少し救われた。
そんな彼らが受け入れるしかないと、腹を括ってすばるくんと一緒に座っていて安心した。
私なんかが見ていた時間は長くないし、もっともっと関ジャニ∞を見守って来た人からしたら、浅はかに思えるかもしれないけど、やっぱり一番カッコいいグループだと思った。
そしてなにより、これからもずっと笑っていて欲しいと思った。どうか、これからもくだらない事でゲラゲラ笑い転げる関ジャニ∞でいて欲しい。
どうなっても「関ジャニ∞」が彼らに大きなものをもたらしている事は変わらないから。
すばるくんにはこれから何をしたって、どこにいたって、関ジャニ∞であったことがアイデンティティーとして存在していくんだから。それは残された6人も同じだから。
だから7人がただただ笑ってくれればもうそれでいい。

今でも浮かぶのはタラレバばっかりだけど。それはもうたぶん一生だけど。
それでも最初で最後でも、関ジャニ∞渋谷すばるくんに会えてよかった。
自分の目で見れてよかった。あの時ライブに行けて良かった。
7人の関ジャニ∞を見ていてよかった。
知らない方が良かった、なんて思えないくらい最高なグループだし、知らない方が絶対後悔していた。
やっぱり、そう思います。

だから渋谷すばるくんに、そして関ジャニ∞に、
7人でいる「未来」を越える「今」が来ることを願っています。